東京大学大学院表象文化論コースWebジャーナル
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2022.10.30

まじめに勉強

平居香子

私も、大岩さん木下さんと同じく、働きながら、博士課程に在籍しています。今年の4月、労働の対価にサラリーを得ることと(大岩さんと同じく、働くにあたって『工場日記』を買いましたが、まだ読んでいません)、博士課程を同時に始めたので、「研究のトポス」が、まだ全く構築できていません。せめて毎日朝1時間だけでも、規則的な勉強のペースを獲得しなければと思うばかりの半年でした。

私の仕事はシフト制で、不規則にやってくる休日は、家事の消化と、観劇で終わることが多いです。月にたぶん、10本くらいは見ている気がしますが、日々頭の中の多くを占めているのは、安い月給でも買える洋服とか靴とかについてです。ユニクロの服、New Balanceのスニーカー、イッセイミヤケのかばんとか……。

かれ氏と一緒に住んでいます。私と同じく、東大の博士課程の学生です。10畳のワンルームに、2人の院生が住むということは、主に本によって常に部屋が散らかっていてイライラさせられるということです。しかし、それでもいろいろ研究上の利点があるようです。アイデアと本を拝借しあうことができるし、憂鬱な気分の滞留も防ぎます。院生同士の共同生活は、なかなか有益です(長期的な継続には、ボーヴォワール&サルトルのように、共働のシステムの構築が必要でしょうが)。

ちなみに、いまは京都に住んでいます。かれ氏は私に付いてきてもらいました。私の仕事は3年の任期付き、かれ氏は2年後には留学の予定があります。3年後の私の居住地は、お互いの夢とライフプランがからみあった可能性の探究の結果になりそうです。

東京ではなく、いま京都で暮らしていること、そして、市の指定管理を受けてアートセンターを運営している公益財団法人の職員として働いていること(つまり、界隈に知り合いが急増すること)は、私のミーハーなマインドに大きな影響を与えました。

私は元来、ジゼル・ヴィエンヌとか、クリスタル・パイトとか、パパイオアヌーとか、そういう、デカくてお金がかかった作品が好きな人間です。しかし、ここにいると、見るべきもの、ありがたがるものはそういう作品ではない、という気持ちになります。螺旋状に続くトライ&エラーの最初の一巻きに、私はお金を払わないといけないし、もしその先に何か少しの閃きが見えたなら、私は、拍手の音が静かになってもひとり、一生懸命手を叩き続けたいし……。ここでやるべきことは、真正な新しさを言明し続けることよりも、「痛い痛いの飛んでいけ」のまじないのような、親密な変容を与えられ続けることのような気がしてきています。(「新しさと正しさ」の「いかがわしい結びつき」を混ぜ返す、伊藤連さんの文章には感じ入りました。分野も全く違うので、間違った受け取り方をしているかもしれませんが……。)

修士論文では、矢野英征という、1970年代に活動したダンサー/振付家を調べていました。彼は、日本の現代舞踊史のなかではほとんど無名です。彼が舞踊史に何をもたらしたのか、ということも、あまりよく分かりません。なのに、彼の身体の静謐なうつくしさは、人々の記憶に残っています。見たこともない彼の腕のひとふりが、過去の批評から立ち上ってくるように匂い、私はそういう残り方に惹かれました。でも、それだけでは、論文にするのは難しいような気がします。そんな瞬間は問いの始まりにはなっても、グローバルな「史」のなかに立ち位置を得させられるほど、作品も、私の思考も、強くはないのです。

京都でわたしが拍手を送るものものも、ほとんど「史」には残らないでしょう。確実に、グローバルに、「知」を更新しなければいけない研究のなかで、私はどんなふうに、何をしたいのでしょうか。今は一生懸命手を叩くことしかできていないようです。アートセンターで働くこと、研究すること、東京を離れたこと(でもまだ日本にいること)。ひとつひとつ、今の自分にとっては必要な決断だったということは確かなのですが、まだそれぞれはバラバラで、生活面だけではなく、自分の頭の中でさえも、「研究のトポス」が、まだ作り出せていません。

まだ自分自身がさまよっているせいで、何を言いたいのかよく分からないまま尻切れトンボになってしまいましたが、最近、私がいちばん手を叩いたのは、地点と空間現代による、「私自身/これについて」です(地点も空間現代も美術史に残るやろ!というツッコミは置いておいてください)。この作品は、ロシアの詩人、マヤコフスキーの詩を組み合わせたテキストのリーディングパフォーマンスでした。1時間足らずのパフォーマンスで、以下の部分がいちばん、心に残りました。

娑婆に出たときは気が立っていた。私がそれまでに読んだのは、いわゆる有名作家のものばかりだ。しかし、かれら以上にみごとに書くことは、実に造作ない。私にはすでに正しい世界観がある。ただ芸術の修練が必要だ。それをどこで獲得しよう。私は無学だ。まじめな学問をしなければいけない。それなのに中学からは追い出されるし、ストロガノフ工芸学校からさえ追い出されていた。党に残るとすると、地下にもぐらねばならない。地下にもぐれば、勉強はできなくなると私は思った。一生涯ビラの文句ばかり書き、まちがっていないにしろ私が考え出したのではない他人の本の思想を、並べてみせることが必要になる。今まで読んだものを私からふるい落としたら、何が残るだろう。マルキシズムの方法が残る。しかしその武器を手につかんだのは、ほんの子供の手ではなかっただろうか。その武器を身につけるとしても、自分の思想とかかわりがある場合にのみ、それは有効になる。現在もし敵と出っくわしたら、どうなるだろう。[1]

実際のパフォーマンスでは、「まーじーめーに!べ・ん・きょ・う!しなければならなーイッ!クシュン!」という感じで発話されるのですが、その声は、スカッと私の体内に響き渡りました。そして、脳内で、ブランキが牢獄の中で想像した、天体たちの荘厳なパレードが始まりました。無限の可能性の展開の先に、革命の可能性が一瞬ひらめくかもしれない。「まじめな学問」の先には、私自身の「研究のトポス」も多分あるでしょう。なんか、まーじーめーに、べんきょう、しよっ!

机の上

茂山狂言会のテープを貼ったパソコンスタンド、スターウォーズのポーチに入った銭湯セット、豪徳寺に住んでいた時に買ったお気に入りのマグカップ、楽天で買ったコースターが必ず机の上にあります。

  1. [1]

    ウラジーミル・マヤコフスキー『私自身』小笠原豊樹訳、土曜社、2017年、33-34頁。

執筆者

平居香子
HIRAI Kanoko

博士課程1年。1960〜80年代ごろの現代舞踊を研究しようとしています。京都でアートコーディネーターという仕事をしています。源氏鶏太にも興味があります。