東京大学大学院表象文化論コースWebジャーナル
東京大学大学院表象文化論コース
Webジャーナル
2022.05.28

研究の道具立て

木下紗耶子

私は建築資料に特化したアーカイヴズ施設・国立近現代建築資料館に研究補佐員として勤務して2年になります。アーカイヴズを研究で利用する立場から、作り、維持する立場になって気付いたことを書いてみたいと思います。

建築資料館では、私はいくつかの資料群の整理・公開担当をしつつ、展覧会業務を担当しています。資料担当は収蔵された資料の管理全般を行いますが、大まかには、目録作成と収蔵管理、資料のデジタル化と情報公開などを様々な人と協力しながら行います。谷口さんが「デジタル・アーカイヴ時代における少女たちの生をめぐる調査」で紹介・活用しておられたデジタルアーカイヴは、資料が広く研究されることによってその価値や意義が加筆や修正、展開されていくために重要であるとともに、オリジナルの資料を保存し劣化させないという役割を持っています。

建築アーカイヴズにはあらゆるものが集まってきます。フリーハンドで書かれたアイディアスケッチから、構造計算に基づく図面、建設現場で走り書きされたメモ、竣工写真や模型、また日記等の建築家の個人的な資料など、建築のあらゆる段階にかかわる資料に触れることができます。完成した建築物そのものを収蔵することは多くの場合できませんが、アーカイヴズには完成にいたるまでのあらゆる検討段階の可能性、また完成後の環境変化に対応する変更なども記録されているのです。この点は美術館のコレクションと異なっています。一つの建築プロジェクトのための資料、図面だけでも2000枚を超えることもあります。収蔵庫で作業していると、その物量に圧倒され、数えきれない人々が介入したプロセスを想像すると眩暈がおきそうな感覚になります。中性紙の封筒に静かに収まっている紙の束が、濃密な気配を漂わせています。

資料を扱うなかで日々体感することは、当たり前のことではあるのですが、それぞれの資料には重さと大きさがあること、そして、素材ごとに違った振る舞いをするということです。たとえば紙といっても厚さや大きさで振る舞いが違って、持ち運ぶための道具が変わってきます。小さな紙であれば、箱に入れるなどして一人で持ち運べますが、大きな紙は養生をして板状の段ボールに挟んで、紐をかけて固定し、二人以上で運びます。また、資料作成の時期によって紙の質が異なり、1950年代のトレーシングペーパーに比べ、より古い時代の和紙の方が保存状態が良いこともあります。素材が要求する道具と動作、そして経年の仕方を知ることは難しく、おもしろいです。

展示企画も資料調査からはじまります。資料調査のなかで見つかったモチーフを肉付けしつつ枝葉を広げていくことで展示の具体的な内容を詰めていきます。資料の状態やスペース、予算といったあらゆる条件から、展示できる資料は、膨大な資料の内のごく限られたものです。しかし、小林紗由里さんが「つながりを示すラインの軌跡―宇佐美圭司 よみがえる画家」展で言及されるように、資料や作品が継続的に考察されて作品が社会的に存続していくことが重要であり、そのために展覧会は良い機会であると考えられます。

展覧会で記憶に残っていることを紹介したいと思います。昨年、「丹下健三 1938-1970 戦前からオリンピック・万博まで」展[1]が開催されました。私は展示企画がほぼ固まった後のタイミングで参加したのですが、資料の借用や一部の調査に同行することができました。そのなかで、丹下が天文学者を夢見ていた中学生時代に手に入れたという天体望遠鏡用の反射レンズを調査・展示させていただきました。レンズは布に包まれて保管されており、鏡面側のメッキははがれていましたがほとんど欠けなども見られず、大切に保管されてきたことがよく分かるものでした。裏面を良く見てみると、鉛筆で1928年11月20日という日付が書き込まれていました。恐らく丹下が購入の記録を記したものと思われます。私は、15歳の丹下が、レンズを手にして嬉しさから鉛筆を取って日付を記入する姿を想像し、次にガラスに鉛筆で線を引くときの感触を想像しました。丹下の今治の実家は、1945年8月の空襲でコンクリートの蔵を残してほとんど焼けてしまったとのことですが[2]、その焼跡から見つけ出して丹下が保管していたものでしょうか。丹下の作品研究をするうえでは、このレンズやそこに書かれた文字に注目することはあまり無いかもしれませんが、日付を目にしたとき、丹下にとって重要な一瞬に接したような気がしました。丹下が星々を見つめた時間と、建築や都市を構想する時間には重なりがある、そんな想像が膨らみます。

さかのぼること5年前、私は表象文化論コースに入学しました。そのころ私は川崎市岡本太郎美術館の非常勤学芸員でしたが、今後、どうやって作品理解を深めていくことができるだろうかと立ち止まっていました。大学院に入って友人たちとともに研究するなかで、様々なジャンルの研究や新しい言葉に接する機会に恵まれました。それは、それぞれの言葉や情報の性質や振る舞いを知り、それに沿った道具立てで使う練習をすることだったのかもしれません。修士論文では、1950年代に議論された芸術の総合の言説と、その実践として丹下と岡本太郎が協働した旧東京都庁舎について研究しました。この過程を経て、おぼろげながら研究という営みの場を自分の中に思い描くことができてきたように思います。今、私は自分の研究の場を育て充実したものにしていけるように、言葉と物、両方の重さと大きさを捉えることを目指しながら、引き続き研究に取り組んでいます。

 

こちらは下北沢駅前で塀で囲われた建設用地が花畑になっていたのを撮影したものです。塀に小さな窓がついていて、そこから覗き込んで撮りました。撮影は2年前の5月でこの場所は、今、商業施設になっています。

  1. [1]

    国立近現代建築資料館ウェブサイト、丹下健三展紹介ページ。https://nama.bunka.go.jp/exhibitions/2107 [2022年5月23日最終閲覧]

  2. [2]

    丹下健三『丹下健三 一本の鉛筆から』、日本図書センター、1997年、42頁。

執筆者

木下紗耶子
KINOSHITA Sayako

博士課程。戦後日本美術とくに岡本太郎を研究。美術と建築の交流・横断的な作品に関心をもっています。

Archive