もしも修士時代の私に、博士後期課程の研究でラジオ体操に触れると言ったら、きっと驚くだろうと思います。私は、洋楽受容と近代性の関係から研究を始めました。では、どのようなきっかけでラジオ体操と出会ったのでしょうか。
話は2019年からはじまります。このとき、国際音楽学会アジア地域会(IMSEA, International Musicological Society Regional Association for East Asia)の第五回会議が蘇州大学で開かれました。これは2011年に第一回会議がソウル大学で開催されて以来、台湾、香港、東京など各地の大学で行われているものです。私の実家は蘇州の近くにあるので、国際学会に参加しつつ帰省もできるだろう、という半分勉強半分遊びの気持ちで参加しました。ですが、三日間の会議で、普段日本で会う機会が少ない多くの英語圏の音楽学者と知り合いになっただけでなく、彼らの発表を通して研究の方法や対象の豊富さもはじめて実感しました。
その中で、中国の中央音楽学院の二人の学部生の共同発表が印象に残りました。彼らは日本語ができないのですが、中国大陸と台湾の資料を活用して、日本のラジオ体操にも関わっている中国と台湾のラジオ体操についての研究結果を発表しました。当時の私は、音楽学の研究は音楽そのものにとどまらず、サウンドの研究でもありうると考えていましたが、ラジオ体操の音楽を扱った彼女たちの姿からは強いインスピレーションを受けました。ですが、その後私はすぐにラジオ体操の研究をはじめたわけではありませんでした。
博士後期課程に入学したのち、自分の研究について何をすればいいのか悩んだ時期がありました。一般的に、西洋音楽を研究したいのなら、欧米に留学することが多く、それは日本でも中国でも同じです。また、中国の音楽文化を研究しようと思い日本に留学したと言っても、理解してくれる人は少ないでしょう。ですから、研究者としての自分の位置づけを探すのに少し時間がかかったのです。
これまで他の研究者が行ってきた研究のなかで、まだ展開されていない部分を見つけるのは簡単なことではありません。音楽史、思想史、メディア史に関する書物を広範に読むなかで、私は個人的な関心が音楽文化と音響メディアにあると気づきました。日本と中国は漢字文化や儒教文化を共有していますから、19世紀後半から両国が西洋文化と接触するなかで生じた変化には、何か共通点があるのではないかと考えました。このような自分の好奇心に従って、日本と中国の近代音楽文化において蓄音機とレコードがどのような役割を果たしたのか、エクリチュールと音響メディアの関係とは何か、という問題意識が自然と現れました。
博士2、3年のときには、日本と中国のレコード産業とレコード会社についていろいろと調べました。ですが、結局、膨大な資料の中から何を見出せるのか自分でも分からなくなってしまいました。そんななか、上海音楽学院の日中音楽研究分野の教授の誘いを受けて、2019年に福州で開催された日中音楽比較研究国際会議で発表する機会を得ました。発表テーマは「日本の影響(1920−1930年代)──大中華蓄音機レコード会社を中心に」で、これがきっかけとなり、私の研究は転換点を迎えたのです。当時、私のセッションの司会を担当した中国人の音楽学者が、「レコードの研究をするなら、やっぱりレコードの目録が一番気になりますね」と助言してくれました。彼の言葉は、これまで蓄音機やレコードの産業史、日中近代思想史、日中関係という立場でばかり考えていた私に反省を促しました。研究は自分のものである一方、他の研究者の疑問に応じることも不可欠でしょう。くわえて、音楽への関心から自分の研究を出発させたことを考えると、音楽そのものの研究に戻ることは自分にとっても受け入れやすいことでした。
中国から日本に帰ってきた私は、音楽作品と音楽ジャンルという音楽学の最も基本的な要素に立ち返って、レコードの目録に関する資料を中心に調査しはじめました。その過程で、新たな問題意識が浮かんできました。それは、国語教育のレコードや軍歌、国歌のレコード、ラジオ体操の伴奏曲のレコードなど、これまで研究されたことが多いとは言えない音楽(音声)作品がなぜ音楽商品としてのレコードに吹き込まれたのか、というものです。こうして、私はこれらの少々変わった「音楽」と洋楽受容の関係に興味を持つようになりました。
2021年、知り合いの紹介で、2019年のIMSEAでラジオ体操に関する発表を行った方の一人と言葉を交わしました。彼女のラジオ体操の研究は前回の学会のみで、イギリスに留学したら他の題目に変えるつもりなのだそうで、手元にあるラジオ体操に関する資料をすべて私に送ってくれました。その資料に基づきつつ、他の中国側の資料と日本側の資料を付け加えて、ラジオ体操の研究を正式にはじめました。その研究結果を、IMSEA 2021年度バーチャル・カンファレンスと日本音楽学会第72回全国大会で発表しました。
日本ではラジオ体操に関する先行研究が少なくありませんが、その中の多くは運動としてのラジオ体操を近代日本の体育史と身体の国民化という立場から分析するもので、身体の国民化における音楽の役割という観点からラジオ体操にアプローチするものはわずかです。音楽にも体操にも関心を持っている研究者は少ないので、資料を読んでも分からないときは自ら解決するしかありません。なので私は、長い間、ラジオ体操の伴奏曲の役割を理解するため、体育史と体育教育史という自分の研究とは全く異なる分野の本を読まざるを得ませんでした。なぜラジオ体操を研究しなければならないのか、今自分のやっていることと音楽は本当に関係があるのかと、研究の意義を見失いそうになった時期もありました。
その後、転機となるゼミの発表がありました。そのゼミには聴講という形で参加していましたが、発表の機会をいただき、自分の研究に関する議論の場を提供していただきました。幸運なことに、出席者の中には、論文内で言及されている藤村女子高校に勤める都賀城太郎先生がちょうどいらっしゃいました。都賀先生のおかげで、同校の高橋あゆち理事長及び東京女子体育大学で体操とダンス研究を専門とされている田川典子先生と高橋繁美先生と出会うことができました。この先生方は、私に新しい世界の扉を開いてくれました。当事者へのインタビューや東京女子体育学校での現地視察、そして図書館資料へのアクセスなどを通じて、私は日本の体操とダンス教育を肌感覚で理解しつつ、近代日本の女子体育に奉仕した素晴らしい教育者である藤村トヨ先生および伊澤ヱイ先生の気骨に触れることができました。こうした体験は、さきほど挙げた女子体育教育の分野で活躍されている先生方の好意と人情によって得られたものでした。コロナ禍のなか部屋で自分と闘っている私にとって、それは久しぶりの、家族のような温かさでした。
物語はまだ終わっていません。博士論文はまだ完成していないからです。上記の内容は成功事例でもありません、単に個人の経験をシェアするものです。ですが、もしこの文章が、闇に迷いながら進む人々に少しでも光を与えることができれば、それより嬉しいことはありません。
connect the dots、
発表の機会を活かし、
本を山ほど読むと同時に周囲の生活にも配慮することを心がけましょう。