東京大学大学院表象文化論コースWebジャーナル
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2022.04.23

デジタル・アーカイヴ時代における少女たちの生をめぐる調査

谷口 奈々恵

フランスの自伝研究で知られる文学者フィリップ・ルジュンヌ(Philippe Lejeune)は、1993年に上梓した著書『娘たちのわたし──若い娘の日記をめぐる調査(Le moi des demoiselles : enquête sur le journal de jeune fille)』において、学術書としてはややユニークな試みを行っています[1]。本書は、文学研究においてそれまで本格的に扱われてこなかった、19世紀フランスにおける上層階級の婚前の娘たちが記した私的な日記(journal intime)──彼女たちは当時、日記をつけることを日々の習慣、特に教育の一環として課されていました──についての研究書なのですが、その前半部には、ルジュンヌがある出来事を契機として1991年に開始した「調査(enquête)」の記録、すなわち数々の少女たちの日記を収集し、読み込み、分析する1年間のプロセスが、彼自身の私的な日記という形式をとって、軽快な語り口で綴られているのです。

調査の過程における思わぬ発見にともなう喜び、研究の行き詰まりに対する戸惑い、当時の少女たちの教育や習慣に関する疑問と仮説──ルジュンヌの感情や思考を辿り、他人の日記を覗き見る若干の悖徳感が綯い交ぜになった愉しみを味わいながら、本書を読んでいるあいだずっとわたしの頭に浮かんで離れなかったのは、彼と同じく19世紀の少女たちの生活や文化を研究対象とする現在の自分の経験との大きな差異です。この分野の第一人者である専門家と、ひよっこの自分を比べることの烏滸がましさについてはさておき、その最大の違いとは端的に、ルジュンヌによる少女の日記の調査開始から約30年のあいだに進行した、研究環境をめぐるデジタル化によって生じたものであるといえます。

わたしの専門は19世紀フランスのジェンダー史・文化史で、現在は主に、当時流行していた玩具である女性型の「人形(poupée)」をめぐる表象や、人形が少女たちの生において果たしていた役割について調べています。昨年の夏より資料調査のためにフランスのパリに長期滞在していますが、今のところその「調査」の内実といえば、自分のパソコンと向き合う時間がかなりの部分を占めています。というのも、当時の資料は近年、デジタルデータ化が大幅に進行しており、オンラインで閲覧できるものが多くあるためです。

大学院生の各々の研究の手法にフォーカスするこのリレーエッセイの場で、今のわたしの研究がどのように形成されているか、少し振り返ってみようと思います。

まず、資料の収集方法について。ほとんど毎日のように利用するのは、フランス国立図書館(BnF)のオンライン・データベースGallicaです。Gallicaは1997年に公開された電子図書館で、書籍、手稿、雑誌、図像、動画、音楽まで、パブリック・ドメインのあらゆるデータを閲覧することができます[2]。フランス関係の研究に携わる方であればきっと一度ならずお世話になったことがあるかと思いますが、19世紀フランスの少女向けの出版物を扱った修士論文をはじめとして、これまで日本で行われたわたしの研究は、Gallicaなしでは決して成立しませんでした。

同じくBnFの運用するRetroNewsは、1631年から1951年まで、2000タイトル以上におよぶ定期刊行物のデータベースで[3]、2016年に公開されました。記事はOCR(光学文字認識)によって高精度でテキストデータ化されており、任意のキーワードで検索することができます。たとえば“poupée”(人形)と入力し、期間を1852-1870年と設定すれば、第二帝政期のフランスにおいて“poupée”に言及された新聞や雑誌の記事がヒットします(さっき検索したら、約15,240件でした)。このサイトもまたこれまでに、わたしの研究にさまざまな発見を与えてくれました。

RetroNews

書籍や雑誌、新聞といった文字資料のほか、美術作品や写真をはじめとする非文字資料についても同様に、オンラインのデータベースが発達しています[4]。先述のGallicaでも版画や写真、地図などが閲覧できますし、Paris Muséesというサイトでは、パリの美術館や博物館のコレクションを横断的にサーチしてその多くをイメージ付きで表示できるほか、ルーヴル美術館やオルセー美術館をはじめ、数々のミュージアムが独自のデータベースを公開しています。

ParisMusées

ParisMusées

多岐にわたるデジタル・アーカイヴを挙げていくときりがありませんが、現在はとにかくさまざまな分野における膨大な量のデータに、インターネットを通じて、場所や時間を問わず自由にアクセスできる状態にあるのです。もちろん、あらゆる資料が電子化されているわけではなく、特にルジュンヌが扱ったような私的な日記のほとんどは、実際に所蔵先を訪れない限りはアクセスが困難です。また、仮にインターネットを通じて閲覧できる場合であっても、図書館やアーカイヴで現物に触れる経験はかけがえのないものであり、それによって新たに生じる出逢いもあります。それでも、すでにとても一生かけても読み切れないほどの膨大なデジタルデータがオンラインの空間に蓄積されている以上は、それらに取り組まずにいることもできません。

資料の収集においてと同様に、集めた資料を整理し分析する方法についてもまた、デジタル化が進んでいるといえます。電子ファイルの扱い方については試行錯誤を重ねており、いまだ最良と思える方法を見つけられずにいます。ひとまずPDFでダウンロードすることができるものはすべて、フォルダに分類しながら(実際はかなりごちゃごちゃですが)オンラインストレージ上に保存し、外付けのハードディスクにもバックアップをとっています。文献を読むにあたっては、以前はすべて紙にプリントアウトしていましたが、利便性を考えて、特にフランス渡航後はiPad上で読むことが多くなりました。必要に応じてApple Pencilでハイライトし、書き込みを入れていきます。

メモもまた、紙のノートをほとんど使わずにすべてパソコンでとっています。文献がOCRでテキストデータ化されている場合には原文の引用をコピーして貼り付けることが可能です。これらの記録のためには、大学入学後、講義のノートを取るためになんとなく使い始めたMicrosoft OfficeのOneNoteというアプリケーションを現在に至るまで10年近く利用し続けてきました。自分の考察とあわせて書き溜めたそれらのノートをもとに、Wordでの論文をはじめとする原稿の執筆に取り掛かります。つまり極端にいうならば、資料の調査から成果のアウトプットまで、研究の一連の作業がパソコン1台で完結してしまうこともありえるのです。ただ、もともとデジタルでの処理が自分の性に合うのも相俟って、デバイスにはいささか依存気味かもしれず、紙の本の触感やノートの罫線に対する意識など、マテリアルなものの経験を重んじる野上貴裕さんの「研究のトポス」のエッセイを読んで、自分の偏りを少し反省しました。

デジタル・ヒューマニティーズという分野の発展が示すように、デジタル化の進行は、調査における大幅な時間削減と効率化を実現し、資料を扱う手法、そしてアウトプットの在り方にも大きな変容をもたらしてきたことと思われます。わたしのフランスの大学での指導教員の先生もまた、デジタル・アーカイヴの構築は歴史学における研究の方法を一変させたと話されていました。2020年に刊行された彼女の著書は[5]、ひとえにデジタル化のおかげで生まれたとのことです。

2019年以来のパンデミックにより加速された研究環境をめぐるオンライン化とあわせて、今後もこうした傾向は続いていくでしょう。デジタル時代の人文学の在り方という大きなテーマについてここで深く考察していくことはできませんが、この流れは個々の研究者の日常の経験というミクロなレベルにおいても、影響を及ぼさずにはいないだろうと想像します[6]

今からおよそ30年前、ルジュンヌは娘たちの日記に関する「調査」を開始したきっかけを、1848年生まれのクレール・ピック(Claire Pic)という少女による日記の抜粋4ページが彼女のひ孫にあたる女性から彼のもとへ届けられ、その内容に深く感銘を受けたことであったと綴っています[7]。そんなドラマティックな幕開けから、昔の日記の持ち主である親族との出逢いや同僚の研究者からの助言を通じて資料を集める過程、アーカイヴで手稿の薄れたインクの文字を苦心して読み込んでいくといった様子は、著者自身が「旅行記(récit de voyage)[8]」と名付けるように、文字通り豊かな冒険のようです。

これに対してわたしはといえば、200年前の人々の記録を読んでいるはずですが、現実にほとんどの時間、目の前に向き合い続けているのは、2年前に日本で購入したMacBookの13インチのディスプレイです。キーワード検索の結果、好みの人形の写真を見つけたときの興奮も、少女たちが愛好していた雑誌を読み進めていく愉しみも、そして長時間の作業のすえに眼や腰にあらわれる疲労も、とにかく研究を通じて得る精神的、身体的な経験の大半が、パソコンとともにあります。味も素気もないのですが、その一方で、19世紀の人々が紙に記した文章がテキストデータとして広大な電子の空間に広がっており、21世紀にキーボードで打ち込んだ自身の思考のメモもクラウド上にアップロードされ、それらすべてが交ざり合いネットワークを形成している……と想像して気分が妙に高揚する(のはわたしだけかもしれませんが)、といった感覚はデジタルによってしか得られないものかもしれません。これもまた、過去をめぐる新たな探索のかたちだといえるでしょうか?

デジタル・アーカイヴの時代における歴史研究の場をいかに築いていくか。この問いに対して日々手探りで模索を進めるばかりですが、少女の日記をめぐるルジュンヌの調査の記録を読んでから、研究の成果物としての論文のみならず、研究者の私的な生の経験もまた、学問の展開という意味においてひとつの貴重な記録となり得るのだと認識しました。オンラインでの資料へのアクセスに開かれ、新たな分析のツールが与えられた時代に研究に携わる者として、わたしもまた、過去の少女たちの生についての調査や執筆をめぐる日常の記録をつけてみようかと思い始めています。

  1. [1]

    Philippe Lejeune, Le moi des demoiselles : enquête sur le journal de jeune fille, Paris, Éditions du Seuil, 1993.

  2. [2]

    Gallicaについて日本語で読めるものとして、たとえば次の文献がある。服部麻央「フランス国立図書館の電子図書館Gallicaの20年」『カレントアウェアネス』第333号、2017年、5-7頁。時実象一「フランスのデジタルアーカイブ機関──BnFとINA(調査報告)」『デジタルアーカイブ学会誌』第2巻、第3号、2018 年、287-293頁。また、2022年3月には日仏図書館情報学会主催によるシンポジウム「フランス国立図書館の電子図書館 Gallicaの利活用促進・創出戦略」が開催された。https://www.mfjtokyo.or.jp/events/co-sponsored/20220319.html[2022/4/17最終閲覧]

  3. [3]

    2022年4月23日現在。

  4. [4]

    フランスの近代美術に関するオンラインのアーカイヴやデータベースの情報については、次のWebサイトに詳細なリストが掲載されている。「フランス近代美術リソース集」https://artfrancais.weebly.com/[2022/4/17最終閲覧]

  5. [5]

    Gabrielle Houbre, Les deux vies d’Abel Barbin, né Adélaïde Herculine (1838-1868), Paris, Puf, 2020.

  6. [6]

    フランスの歴史学におけるデジタル化の進展とその影響については、次の文献において簡潔に考察されている。中村督「デジタル時代の歴史学──フランス」『現代史研究』第58号、2012年、65-74頁。また、表象文化論学会ニューズレター『REPRÉ』第33号(2018年)には、人文学における複数の分野とアーカイヴとの関係性や、アーカイヴにおける研究者の経験について論じられた「アーカイヴの表象文化論」という小特集が組まれている。https://www.repre.org/repre/vol33/greeting/[2022/4/17最終閲覧]

  7. [7]

    Lejeune, op. cit., p. 9.

  8. [8]

    Ibid.

執筆者

谷口 奈々恵
TANIGUCHI Nanae

博士課程。19世紀フランスのジェンダー史、文化史。

「19世紀フランス児童出版物における「ものを書く人形(poupée de lettres)」の展開──人/モノの〈母〉-〈娘〉関係をめぐって 」『超域文化科学紀要』第26号、2021年、47-68頁。

https://researchmap.jp/nanaetaniguchi