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ブックレビュー

フィクションにおいて想像はいかにして伝達されるのかキャサリン・エイベル『フィクション 哲学的分析』書評

銭清弘

Catharine Abell

Fiction: A Philosophical Analysis

Oxford University Press, 2020

Catharine Abell

Fiction: A Philosophical Analysis

Oxford University Press, 2020

フィクション作品の内容はいかにして決まるのか。鑑賞者はフィクションの内容にどうアクセスするのか。フィクションとノンフィクションの違いはなにか。虚構的存在者(キャラクター)とはどのような存在者か。本書は、フィクションにまつわる広範な問いに一貫した答えを与えようとする野心的な試みである。

フィクションではない言明(例えば、信じていることの報告)を理解することは難しくない。会話の聞き手は、文字通りに伝えられる内容だけでなく、より深いところで話し手が暗に伝えようとしている内容でさえ特定できる。というのも、(1)現実世界のあり方に関する知識と、(2)話し手がそこから大きく逸脱しているわけではないという仮定があれば、相手の意図した内容を(平たく言えば)察することができるからだ。フィクションではそうはいかない。作品内の世界と現実世界のあり方はしばしば根本的に異なり、鑑賞者もそのことを踏まえている。現実世界がしかじかだからといって、作品内の世界もそうとは限らない。また、話し手は自分で信じていることを伝達しているはずだという仮定も、フィクション的なコミュニケーションにおいては立てられない。作者は自分で信じてないようなことでも平気で書くからだ。すなわち、現実世界でのコミュニケーションに関して利用できる解釈戦略は、フィクション的なコミュニケーションには適用しがたいのだ。エイベルはフィクションを特徴づける当の課題を「想像の伝達」問題と呼ぶ。作者はわれわれに一定の事柄を想像させたい。われわれは作者が想像させようとしていることをちゃんと想像したい。しかし、それは一見すると困難である。

エイベルの基本的なアイデアとは、フィクションを社会的な制度とみなすものである。「想像の伝達」は、ちょうど車道の右側と左側のどちらを走るべきか定める場面と同様、なんらかの協調を通した解決を要する状況だとみなされる。制度はルールの体系からなり、フィクションの諸制度を通して、ある種の特徴を持つ虚構的発話に特定の内容が付与される。ある国の法制度がその国において走るべき車道を定めるように、あるフィクションの制度が特定の作品の虚構的内容を定めるのだ。鑑賞者としては、作者の意図を推論するのではなく、これらの規則を踏まえることで虚構的内容にアクセスすることになる。作者としては、制度を経由してなんらかの想像を伝達するよう意図するが、制度を経由して特定される内容が作者の意図した内容であるとは限らない。このように、作者と鑑賞者の間にフィクションの制度があることで、それによって「想像の伝達」という問題が解決される、というのがエイベル説の骨組みとなるストーリーである。

エイベルのフィクション論は、社会科学の哲学や社会存在論をひろく援用したものになっている。近年、邦訳でも刊行されているジョン・サール『社会的世界の制作』(勁草書房、2018年)、フランチェスコ・グァラ『制度とはなにか』(慶應義塾大学出版会、2018年)、デイヴィド・ルイス『コンヴェンション』(慶應義塾大学出版会、2021年)などの道具立てを美学・芸術哲学の問題において応用した試みとしても、評価に値する新鮮な著作だろう。これを一昔前のフィクションの哲学、例えばWalton (1990)やCurrie (1990)と引き比べれば、関心やアプローチにおける本書の斬新さが見て取れるだろう。

しかしながら、斬新な試みであるからこそ、その根幹となるアイデアには議論の余地がある。前述の通り、エイベルはフィクションの目的を、「想像の伝達」という協調を要するゲーム理論的課題として理解している。ここには大きくふたつの懸念があるだろう。第一に、われわれのフィクション実践は、本当にエイベルが語るように「想像の伝達」を中心としたものなのか。エイベルの前提は、(妥当かどうかはともかく)鑑賞者側で自由に想像して楽しむという類の鑑賞観と真っ向から対立している。想像の内容に関して作者と鑑賞者が協調することは、そうしないことに比べてなにがうれしいのか。もちろん、双方にとってより大きな利得があるからこそそうするはずだ。これらの点はエイベルの問題設定において素通りされているように思われる。John (2021)も本書の書評でこの点に触れている。

第二に、仮にフィクションの中心に「想像の伝達」という問題があったとしても、それがエイベルの理解するような問題であるとは限らない。とりわけ、エイベルは制度に関するグァラ説に依拠しているようだが、グァラの「均衡したルール」説は、制度を調整問題に対する相関均衡として説明する、それ自体としてクセの強い枠組みである。相関均衡の典型例とされるのは次のようなケースだ。ふたつの部族が放牧地を棲み分けようとしている。ちょうどいい川があるので、「部族Aは川の北、部族Bは川の南」といった暗黙の取り決めがなされる。これは離反することが不都合である(戦争になると双方が損をする)ような均衡になるとともに、それに従うことを求めるルールとして内面化される。ここで、「放牧地の棲み分け」という課題と、「想像の伝達」という課題が、類比的な調整問題なのかどうかはほとんど明らかではない。第一の懸念と合わせて、フィクション解釈がどういうゲームなのか、より精緻に記述していくことが著者にとっての課題となるだろう。

キャサリン・エイベルは2019年にオックスフォード大に着任した気鋭の美学研究者であるが、初の単著として本書が出たのは意外であった。すでに描写の哲学や芸術の定義といったトピックにおいて注目すべき仕事をなしていたエイベルだが、フィクションの哲学をやっている印象はなかったからだ。しかし、本書を読めば、その主要なアイデアが別のトピックで展開されていたものの発展であり、集大成にふさわしい議論となっていることが分かるだろう。例えば、Abell (2011)において、ある事物が芸術作品であるどうかは、共同的な地位や機能の割り当てに依存する制度的事実だとされた(こちらはもっぱらサールの制度理論に依拠している)。チェスのコマをある特定の仕方で動かすことはひとつの物理的出来事に過ぎないが、この出来事がチェスのゲームという文脈において生じたならば、それは「チェックメイト」になる。芸術制度は、作品が果たすべき一連の機能やそれに対する鑑賞者の期待と結びつき、あるものを芸術にする。これは、ジョージ・ディッキーが一連の仕事において提出した芸術の制度理論を、現代においてアップデートしたものと言えよう。また、画像の描写内容がなにによって決まり、いかにして特定されるかに応えるAbell (2009)でも、伝達を通して作者と観者が心的状態を揃える調整問題として「描写」を理解する道筋が示されており、これは本書における「想像の伝達」へとつながる。〈生産者と消費者で、同じことを頭に思い浮かべるゲーム〉こそがエイベル的な表象観・解釈観なのだと言ってもよさそうだ。

参考文献

Abell, Catharine (2009). Canny Resemblance. Philosophical Review, 118(2):183-223.
Abell, Catharine (2011). Art: What it Is and Why it Matters. Philosophy and Phenomenological Research, 85(3):671-691.
Abell, Catharine (2020). Fiction: A Philosophical Analysis. Oxford University Press.
Currie, Gregory (1990). The Nature of Fiction. Cambridge University Press.
John, Eileen (2021). Book Review: CATHARINE, ABELL. Fiction: A Philosophical Analysis. Journal of Aesthetics and Art Criticism, 79(4):514-517.
Walton, Kendall L. (1990). Mimesis as Make-Believe: On the Foundations of the Representational Arts. Harvard University Press. ケンダル・ウォルトン『フィクションとは何か』田村均訳, 名古屋大学出版会 (2016).

執筆者

銭清弘
SEN Kiyohiro

博士課程。分析美学、芸術の哲学。とりわけ、批評、画像表象(描写)、ジャンル、ポピュラーカルチャーなど。

銭清弘 (2021). 「画像がなにかを描くとはどういうことか」『新進研究者 Research Notes』(4), 123-131.
モンロー・ビアズリー (1970). 「美的観点」銭清弘訳 (2021). 『フィルカル』6(2), 328-353.
Sen, Kiyohiro (forthcoming). An Institutional Theory of Art Categories. Debates in Aesthetics.

https://www.senkiyohiro.com/

Phantastopia 1
掲載号
『Phantastopia』第1号
2022.03.08発行