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レポート

見切り発車する、居合わせている、ハリボテをつくる。東京大学教養学部選抜学生コンサートにおける林光《流れ》の演奏に寄せて

加藤理沙+西垣龍一+三浦純香

2023年6月17日、駒場キャンパスコミュニケーションプラザ北館音楽実習室において、第29回東京大学教養学部選抜学生コンサートが開催された。この演奏会は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部ピアノ委員会が主催しているもので、5月に行われたオーディションを通過した学生が演奏を披露した。

その中で、加藤理沙(表象文化論コース修士課程1年)、西垣龍一(同左)、三浦純香(多文化共生・統合人間学プログラム修士課程1年)は林光《流れ:簡易楽器をともなった声と動きのための ある架空の儀式。3人の女性の演者による。》(1973)を演奏した[1]。林光(1931-2012)は20世紀を代表する日本の作曲家であり、オペラシアターこんにゃく座との協働によって日本語オペラの新たな地平を開拓したことで知られる。《流れ》という作品は、林光が1973年に竹前文子(1939-)の委嘱で作曲した作品である。欧米において近年ニュー・ミュージックシアターあるいはエクスペリメンタル・ミュージックシアターと称され、日本では主にシアター・ピースと呼ばれる、1960年代前後以降の前衛音楽シーンにおいてシアター的要素を導入した作品群に位置づけることができる。

本稿は3名がリレー形式で書き継いだものである。ルールは①西垣→加藤→三浦の順番で執筆する。②48時間以内に回す。③三人称を用いること。

著者は文字の色によって示す。西垣➡山吹色、加藤➡、三浦➡水色である。

2023年4月。西垣龍一は学部を卒業して大学院に進学した。西垣にとっては5年目の駒場キャンパスではあったが、とはいえ新しいこともあった。指導教員が新たに中井悠先生となり、「表象の同期」も過半数が入れ替わった。その頃、中井先生はピアノ委員会の委員長に就任したらしく、選抜コンサートのことを盛んに喧伝していた。実験音楽界の謎めいた音楽家デーヴィッド・チュードアの分厚い研究書を書いた彼は、コンサートをより「面白い」ものにすることを望んでいるようだった。西垣は「新たな表象の同期と選抜コンサートに出演する」ことを目指し始めた。指導教員やコースメイトと親睦を深めたいというあまりに「四月的な」動機だった。

林光の《流れ》[2]という3人の女性のための作品[3]に照準を定め、2人の共演者を探すことにした。西垣ははじめに同期の加藤理沙に声を掛けた。学部時代は東京藝術大学でパフォーマンスを制作・上演していた加藤は、この誘いにすぐ乗った。加藤が三浦純香を誘い、メンバーが揃った。5月5日に3人のLINEグループができる。オーディションは5月12日。猶予はちょうど1週間だった。

5月9日はオレンジ色の陽射しが淡く降り注ぐ春の日で、3人は生協前に集合後、西垣が予約したアップライトピアノのあるフローリングの部屋へと向かった。オーディションには作品後半部分を持っていくことに決め、早速空間を意識しながら、図形楽譜[4]と指示書を読み解きにかかった。演者としての経験もある三浦に朗読、音楽学部出身の加藤に歌、ピアノを弾いてきた西垣にピアノが、自然と割り振られていった。また、加藤が家にある簡易打楽器を持っていくことになった。

数日でオーディションの日を迎えるわりには、あまり焦っていなかった記憶が加藤にはある。練習の合間には喋っていたし(加藤と三浦はこのとき西垣から駒場キャンパスに関する多くを学んだ)、ピアノで他の曲を弾き(西垣は林光の別の曲を紹介してくれたが、加藤は何の関係もない曲を弾いていた)、各自の用事をこなすこともあった。各自が練習に参加しているというよりはむしろ同じ場に居合わせているという性質の制作・練習時間は、この上演を制作するにあたって大きな特徴のひとつとなった。その性質は、演出家など、常に観客目線で作品全体を見ているひとを立てずにパフォーマンス制作をしようとすることと重なっていたが、3人は結局最後まで、というか今に至るまで、なにかを「する」よりも「居合わせる」性質の強い時間を共に過ごすことになる。

本オーディションでは公演の一部を実際に披露し、ピアノ委員会が選出した学生が選ばれることとなる。「流れ」に関しても、先述した通り後半部分を披露することとなった。

「流れ」は図形楽譜を含む6枚の楽譜からなる演目である。加藤も三浦も、「演奏会練習をしましょう」と聞いたとき、どのようなことをするのかは大体想像がつくような感覚を覚えたはずだ。しかし西垣がほか2人に6枚の楽譜を共有したとき、その感覚は消えた。その6枚の楽譜には、”具体的に何をすればよいのか”が全て明記されているわけではなく、ある程度の但し書きがあっても、それだけで演奏するのには不十分なぶんしか記述がされていない。それどころか、皆どのように楽譜を読めばよいのかの見当すらつかない。しかし、図形楽譜はそもそも決められた読み方をするものではなく、各図形楽譜にある程度の手順はあるとしても、ベースとしては演奏者の感覚やセンスにたよるところが大きいものなのである。そのため、「オーディションに向けた練習」をするにしても、「上演中の動作の練習」というような単純なプロセスだけでは演目は完成しなかった。「この楽譜をどのように読むのか」を各自で考え、すり合わせ、”どう動くのか”に昇華することが必要であったからだ。

そうした読譜は、とはいえ、即興演奏のように不確かな「芸術的感性」のようなものに任せて行われるものではなく、むしろパズルのように読み解かれていくものである。《流れ》という作品のリアライゼーションのプロセスを書き留める本稿は、ある意味でパズルの解法をひけらかす文章だといえる。

パズルのヒントは至る所にあった。楽譜の中に、歴史の中に、作曲者の中に、演奏者の中に……。そして何と言っても、それは上演空間の中にあった。このことがオーディションの選考を困難にしたことは想像に難くない。そもそもオーディション会場の学際交流ホールはコンサートホール型であるが、本番会場の音楽実習室は平土間型であるため、《流れ》は必然的にまったく異なる演奏とならざるを得ないのだ。ここでは、演奏の「再現性」を前提とするオーディションというシステム自体が無効化される。そのようにして、他のコンテスタントとの比較を不可能にする形で、たった1週間で作り上げた即席の《流れ》は選考を通過した。ただし、従来の演奏会と馴染まないパフォーマンスであるため、中井先生が「顧問」につくという条件が付随していた。

選考に通過してからは、だいたい週に2回集まって練習をした。《流れ》を上演しようと言い出した西垣が、《流れ》の上演の歴史や作曲家のことを調べる役割を全面的に担い、さらに3人の導線や動きの案まで考え、練習に現れた。加藤は今までの経験上、舞台に関わるときは演出を担うことが多かったため、西垣が提示する情報を全体として見ようと務め、それを自分なりにどう解釈するか、自分ならどう立ち上げるかを考え提案していた。三浦はいちばん演者の経験が長かったため、2人の意見を聞いた上での見え方や、《流れ》の「流れ」の整理、演者としてのコツなどを提示した。こうしてそれぞれにばらばらな思考を働かせていた3人は、林光の《流れ》に向き合うということを通して、週に2回「居合わせて」いるうちに、お互いが孕む空気を敏感に察知し、そこにお互いの身体しんたいを委ねられるまでになった。そこにはただ単に同じ授業に同じコースの学生として週に2回出ることや、ともに五線譜に書かれた音楽を合奏することとは違った質の、ある種の複雑なネットワークによる信頼関係が構築されようとしていた。

 


 

ここからは楽譜を解読するという、具体的なリアライゼーションのプロセスをひけらかしていく。《流れ》はⅠ~Ⅵまでの6つの部分に分かれており、そのいくつかに内容的な連関が見られるものの、一貫した物語を持つものではない。6つの部分はそれぞれ一枚の楽譜となっており、Ⅰ以外は図形楽譜を含んでいる。6枚の楽譜とは別に、演奏指示書が付されている。それぞれの部分について振り返っていくこととするが、上の演奏動画を参考にされたい。

Ⅰは万葉集巻十三3299番(異伝歌)[5]を歌詞とする「うた」[6]を3人でうたうという単純なパートなのだが、大きく3つの検討を要した。指示書にある(1)「細部においては、各自そのときどきの自分だけの感じかたにしたがいつつ、全体としては3人の同時進行を心がけること。その結果生まれるずれがこの部分のねらいである」(2)「うたの中途から舞台に登場する」そして(3)「狂い笹のようなものを手に持ってもよい」。西垣は(1)と(2)の指示は連動的に捉えるべきだと考え、3人が舞台にばらばらに登場することを提案し、受け入れられた。最終的な演出は「3人が観客からは見えない入口の外側で同時に歌い始め、やがてそれぞれが別の小部屋に入り、そのあと音楽実習室で合流する」というものである。まるでこの作品のためであるかのように音楽実習室には三つの小部屋が付属しており、それを使うことでサイトスペシフィックな演出を可能にした。小部屋がこの作品の本質的な要素である「ずれ」の起動装置の役割を果たしていることがこの演出の肝である。

(3)については、大胆な演出を行った。そもそもこのコンサートは本学が所有する高級グランドピアノのお披露目の場としての側面があり、そのピアノはコンサートの場以外ではほとんど見ることさえ許されていないという御本尊のようなピアノなのである。笹をグランドピアノの内部に挿し込むという提案が顧問である中井先生からなされたとき、3人は相反する2つの感情を抱いていた。「そんなことをしてよいのか?」そして、「この演出しかない」。「ピアノ委員会」による「高級グランドピアノ」のコンサートであえてこの作品を演奏するという営み自体、きわめてピアノの特権性への抵抗を含むものである。御本尊であるピアノに笹を挿すことは単なる奇抜な行為ではなく、上演の不可欠な要素として捉えることが可能であるように思われた。同時に、「狂い笹」は能楽において狂乱した人物のメトニミーとして使用されるものであることを考慮すれば、「奇抜な行為」と観客に思われることすらも意味性を帯びるのであった。結局、関係者にストップをかけられることを恐れてリハーサルは偽の演出でやり過ごし、ぶっつけ本番でこの演出を決行した。なお、笹は駒場キャンパス内にある駒場池(通称一二郎池)のほとりで採集したものである。

Ⅱがおそらくいちばん試行錯誤したパートであろう。西垣がカズーを吹きながら加藤と三浦の2人に指示を出す、という権力関係がだんだんとほどけていくという大まかな方向性は、西垣が提示した過去の上演例をもとに決めたものだった。ここでの課題として、権力関係がほどけていく様を、何をきっかけに、どのように示せばいいのか、ということが挙げられた。このとき、3人は過ごしやすい季節を体験していた。外でも練習できると言い始めたのは三浦だっただろう。3人はたまに意図的に、駒場キャンパスの屋外のエリアで練習をした。そしてⅡの演出に決定的な変化が加わったのも屋外での練習のときであった。加藤が寝転がることにしたのだ。そのとき、3人は8号館裏の花壇の前で練習をしていて、3人を包み込むように吹く風はベンチに置いた楽譜を飛ばしてしまうほどの強さを持っていた。青空の下で寝転がる動きはホールに移ったとき、ホールの天井にプロジェクターで投影した楽譜に記された星々を眺めるような姿になり、結果としてその動きは、加藤と三浦への影響力が、西垣から星々へと移るさまを表すこととなった。

けれども、Ⅱにおいて加藤と三浦に対する影響の源が西垣から星に移ったのは、それはただ移り変わったという現象が起こったのではなく、加藤と三浦のⅡでの存在に自立性が芽生えたことに起因している。Ⅰにて3人が登場し、観客は何が起こっているのか、何が始まるのかを気付き始める(つまり、観客は例年実施されてきた”ピアノ委員会の演奏会”で行われたような、いわゆる”演奏会でよくある、楽器による演奏”がメインとなっている演目ではない、別の何かが始まることを感付く)。例年楽器による演奏をメインに据えてきた本演奏会で本演目を上演するという事実を鑑みると、Ⅰはその空間にとってはいわば”セッティング”や”導入”の役割が観客にとっては大きいと言え、観客がⅠにおいて注視しているのは各個人の動きというよりかは、「一体何なのか」という全体像である。その次の場にあたるⅡでは、観客は、”演奏するにあたってオーディションに通過したという売り文句を背景に持つ東大生3人”によって作り上げられたその場において、「これから何を見せてくれるのか」に目を向け始める。Ⅱの導入部分では、先述したように加藤と三浦が、楽譜が置いてあるであろう譜面台の前に立つ西垣の指示に従っている。すなわち、Ⅱの導入部分においては観客も、加藤と三浦も、「そこにある、一見壮大そうな存在に合わせた行動をするように仕向けられている」のである。

しかし、加藤と三浦は自立性を獲得し、西垣の命令を無視しはじめる。三浦はやがて、西垣が命令の基にしていたであろう譜面台を取り上げる。西垣は、その”壮大さ”と意味の源である譜面台を、「従う者」に奪われてしまったのだ。加藤と三浦はなぜ自立性を獲得したのだろうか。それは、西垣の持つ”壮大さ”は譜面台というモノにあって、西垣そのものに付随するものでは無いと気付いたからである。譜面台は、持ち上げて別の場所に置けば共に”壮大さ”が動く。つまり、その”壮大さ”は取り上げて他の誰にでも容易に付けることが可能であるのだ。西垣自身ではなく、誰にでも取ってつけられる”壮大さ”を理由に行動を制限されることは加藤と三浦にとっては不条理であり、その”壮大さ”に関する秘密が公になったとき、2人の自立性が芽生え、西垣へのある種の下剋上が発生し、その結果2人は行動の自由を手に入れるという筋書きだ。「この”壮大さ”は着脱可能ではないか」という疑いは、普段の生活にも多々発生し得る。観客は、加藤と三浦の姿を見て、「この東大生たちがやっているこの演目は、ただ意味を与えられるのを待つだけでは観客にとって完成せず、何が何の意味を持つのか疑いを持たなければいけないのではないか」という気付きを得る。

こうしたフェミニズム的といえる解釈は1976年の改訂版[7]を踏まえたものであるが、同時に「三人の女性の演者」と指定したこの作品を非・女性を含めて上演することに対して説得的なプレテクストを与えた。自らが非・女性であるにも拘らず見切り発車的に《流れ》を選曲してしまった西垣は、加藤と三浦の主導によって大胆に再解釈されたこのパートのおかげで、即席で作られたこの三人のユニットが「この三人」でなくてはならない意味に気づきはじめていた。

Ⅱとは対照的に、Ⅲでは全てがすんなりと決まっていった。3人が別々の「鳥追い唄」を歌いながら、それぞれが異なる打楽器(加藤がカスタネット、三浦が鈴、西垣がトライアングル)を演奏する。工夫はピアノの周りをまわるということで、これは作曲者の指示には無いものの、この作品が副題にあるように「架空の儀式」であることを踏まえてのリアライゼーションである。

Ⅳでは、ピアノの両脇で西垣と加藤が、指示書にある文様(代掻図)を辿りながら、「かぞえうた」を歌いそして摺り足で歩いている。そして、三浦の朗誦が始まる。西垣と加藤のうたや動きも、三浦の朗誦もどちらも農村の風景や田植えの手順を表現している。

歌唱と朗誦は、両者のトレーニングを受けた経験のある三浦によれば、たとえ同じ言語で同じ言葉を扱っていても(もちろん各個人のやり方があることは間違いないが、セオリーとして)アウトプットへのアプローチが異なると言う。読み上げ、つまりこの場で行われている朗誦では、まず”聞き手が文章を理解できる”ということが大きな目標として設定され、プロセスもあくまでそれをベースに組み立てられていく。つまり、全ての発音をクリアに発音することを目的に口を大きく動かすことが求められ、また、一文ごとの意味が誤ったものにならないよう、イントネーションやアクセントに気を使い、ときには原文の句読点等を無視して一番良い形で読み上げていく。歌唱はといえば、音程の指示がある場合はそれを考慮に入れ、読み上げで行うような一音ごとのはっきりとした発音のための唇や口腔内の動きは一度無視され、本人にとって一番良い音程と発音、そして身体の動きの間をとったアウトプットの仕方にアレンジすることが求められる。歌唱のプロセスにおいて大切なのは、音程、自身の音域や発話の癖、身体の作り、歌詞の意味等様々な要素を組み合わせてバランスをとることなのである。

指示書では、西垣と加藤が行った歌唱のための歌詞は全てひらがなで書かれており、また単語や文節間の空欄は無く、読み手への読みやすさの配慮が多いとはいえない。それに対し、三浦の行った朗誦の文面は漢字を交えて書かれており、文節等ごとに改行も加えられ、文章をどう読んでいけばよいのかが一目でよりわかりやすくなっている。しかし、西垣と加藤の指示には楽譜と動きの指示もあり、”何をすればよいか”という点に関して指示がより丁寧なのは歌唱担当のための指示である。Ⅳの指示書は、聞き手の理解をまず第一の目的に据えなければならない朗誦と、様々な要因を考慮してバランスをとって作り上げる歌唱とでそれぞれの特徴を指示方法で表現しているのかもしれない。

Ⅴは楽譜上に記されたフレーズを繰り返し唱えながら舞台上をかけめぐる。そのフレーズははじめ「チョ チョ ジ カラカラ ジ 竹原の雀 おらも チョチョジに 負けねでしゃべろ」といった数種類の囃子言葉調のことばなのだが、やがて「これは かわりますか?」ということばに変化していくという仕掛けになっている。しかし「これは かわりますか?」とは何なのか。その問いは練習のたびごとに幾度となく提起された。「これは かわりますか?」の意図を解明するためにはおそらく、その後Ⅵで再び歌われる「こもりくのうた」との関係、そして度々登場してきた鳥というモチーフと星というモチーフとの関係を解明することが不可欠であろう。しかし、これらの問いについてたびたび3人で話し合うことはあったものの、3人の解釈が一致したことは一度もなかった。

《流れ》において、鳥は大切なモチーフであり、林光も鳥に着想を得ていたことは明らかである。Ⅰの「こもりくのうた」の音型は鳥の鳴き声を彷彿とさせる。Ⅲの「鳥追い唄」は短く、簡易楽器によってリズムを刻みながら歌われた。一方で、Ⅳのかぞえうたにおいては西垣と加藤はゆっくりと摺り足をしながら低音で歌い、その歌も9番まで続いた。同じようにメロディーがあり、同じように鳥に関する歌でも、観客にとってⅢは早く、Ⅳは遅い時間感覚を覚える。これは双方の歌における鳥の捉え方を端的に表していると言えるだろう。Ⅲは農村にとっての鳥の害鳥としての側面が人との関わりで歌われるが、Ⅳでは自然の中で悠然と過ごす鳥たちが歌われる。さらにⅤでは、害鳥でも自然のうちでもなく、他者として人間と付き合う鳥との関係が、ある種寓話的に語られる。このような鳥に対するさまざまな見方、そして見方の変化から、わたしたちは何を読み取れるだろうか。

最後のパートであるⅥは、西垣による楽器の演奏とともに、加藤は「こもりくのうた」をうたい、三浦は「こもりくのうた」の口語訳を朗誦する。加藤と三浦が退場した後は、西垣が『銀河鉄道の夜』の一節を朗読する。ここで演奏される楽器は「ひびきがのこる楽器(たとえばアイリッシュ・ハープ、アンティック・シンバル)」と指示されている。西垣はこれをペダルを踏んだ状態のピアノで演奏したことが、オーディションの中で問題となった。中井先生からの指摘は、「この作品は舞台上を駆け巡るなどの動きによって舞台の正面性から脱却しようという方向性を持っているのにもかかわらず、最後にピアノのもつ中心性に回帰してしまうのは趣旨に反するのではないか」ということであった。西垣はその意見を認めつつも、加藤と三浦との相談を経て、ピアノでの演奏を貫くことにした。そこには、本演奏会がピアノ委員会によるコンサートであり、中心にピアノが鎮座するという事実は変えられないという事情を含んでいる。すでにベートーヴェンやショパンが演奏されたそのピアノで、たった4音だけを「簡易楽器」的に演奏することは、それを演奏しないよりももっとピアノに対する反抗的な態度であるように西垣には思われた。この空間におけるピアノの強い特権性から逃れるためには、それを無視するのではなく、そこに笹を挿し入れ、その周囲をまわり、「高級ピアノ」としてではなく「簡易楽器」としてそれを演奏するのがよりふさわしいと考えたからである。

 


 

約1か月をかけて本演目をどう演じるのか組み上げていったが、舞台上のセッティングと各人の上演中の動きについて心がけたのは、組み上げのベースに「楽譜が何を伝えようとしているのか」を置くということであった。言い換えれば、楽譜に書いてある動きを再現して、そこから解釈を広げるという進行ではなく、まず楽譜への解釈を基盤として動きを組み立てていくプロセスを執ったことである。したがって、動き一つひとつに出演者なりの解釈が付随していると言える。

意味から動きを形づくっていくことで起きたのは、アクションの流動的な変更が常におこるということである。一度始めから最後までの動きを決めたとしても、何かしらのきっかけで誰かの解釈が変わる可能性がある。一人の解釈が変わると他のポジションの解釈も芋づる式に変わっていく。オーディションのために演目一部を作り上げたが、演奏会当日の動きは完全に別のものに代わっていたといってよいほど、解釈とそれに伴った動きの変更が重ねられた。

「演目を上演するとき、その意味について考え、それに沿って組み上げをする」というプロセス自体は目新しいものではないが、本演目について特筆したいのは、その変更は本番の直前まで続いていたということだ。「楽譜は何を伝えているのか」についての解釈は、些細なきっかけで変形していった。練習を重ねたり、練習外で見聞きしたものが契機となることもあれば、「いつも練習している部屋より大きい部屋で練習した」ということがきっかけとなることもある。本番当日[8]に見た部屋の窓や観客用の椅子など小さなきっかけで、当日にも動きの一つひとつが変わっていった。この変更の連続は、「所属大学で行われる演奏会に学生として出演する」という立場だったからこそ行いやすかったはずだ。例えば、本番当日の陽射しに合わせてカーテンの開け閉め、観客のイス、カメラやプロジェクターの設置なども本演目に合わせて調整や追加をお願いした。当日においても変更を依頼したこの上演は、「演者の今」を何よりも反映できたものであったのだ。

 


 

我々が考えを形にし、何にも捕らわれることなく、演者の今をリアルタイムに反映した上演ができたのは、本演奏会に関わっていただいた先生方、スタッフの皆様、そして本来ならば自身の演奏にのみ集中してよいはずの他出演者の皆様の助けがあってこそであることは忘れずに記述しておきたい。本演目の上演にあたり、寛大な心でお力添えをいただいた先生とスタッフの皆様、そして他出演者の皆様、《流れ》出演者一同より心より感謝申し上げます。

  1. [1]

    本稿はパフォーマンスに至るプロセスを記述することを目的とするため、《流れ》という作品についての情報や論点については十分に触れることができない。そのような点については、西垣が個人的に連載した文章を参照されたい。https://note.com/n_s_journey/m/m70f904c2494e

  2. [2]

    2023年の時点で、《流れ》はちょうど50年前の作品であった。デーヴィッド・チュードアが1974年に構想し実現されなかった《Island Eye Island Ear(島の目、島の耳)》という作品が、2024年、中井先生らによって、しかも西垣の故郷である北海道で実演されたことに、西垣はふしぎな縁をひそかに感じていた。

  3. [3]

    「3人の女性のための作品」を非女性である西垣が選んだことに不自然さがあるように思われるが、実際にはこの作品の持つ歴史の不自然さと一致している。《流れ》の初演(1973年)は竹前というソプラノ歌手1名によって演奏され、1976年の再演では3名の女性と1名の男性で演奏されたことが記録されている(1976年版については後述)。

  4. [4]

    従来の五線譜とは異なる、図形等によって記譜された楽譜のこと。モートン・フェルドマン、ジョン・ケージ、アール・ブラウンらアメリカ実験音楽の作曲家によって、1950年代より本格的に導入された。
    日本においては一柳慧《電気メトロノームのための音楽》(1960)のような初期作品があるものの、むしろ1970年代において多くの作曲家の関心を惹きつけていたといえる。実際に、『季刊トランソニック』第2号(1974年)は「記号・かたち・楽譜」という特集を組み、林光を含むトランソニック同人の座談会において図形楽譜の可能性を議論している。また、その一環として『トランソニック』第2~5号では「新しい記譜法の実験」と題して楽譜が掲載されており、その中には近藤譲《ブルームフィールド氏の間化》(第2号)、一柳慧《プラティヤハラ・イヴェント》(同)、湯浅譲二《呼びかわし》(第5号)のほか、《流れ》(第3号)も含まれている。

  5. [5]

    こもりくの はつせのかわの おちかたに いもらはたたし このかたに われはたちて おもうそら やすからなくに なげくそら やすからなくに さにぬりの おぶねもがも たままきの おかじもがも こぎわたりつつ かたらわましそ
    なおⅠの歌詞となっているのは「やすからなくに」まで。

  6. [6]

    3人はこれを「こもりくのうた」と呼び慣らした。

  7. [7]

    註2で触れたように、1973年にひとりのソプラノ歌手によって演奏された《流れ》は、「三人の女性」のための作品として1974年に楽譜が出版されたが、1976年の再演においては3人の女性と1人の男性によって演奏された。林光自身によって改訂されたこのヴァージョンでは、女性は巫女、男性は祭司であるとされる。祭司ははじめ巫女を従わせているが、やがて巫女が反撃に転じ、しまいに祭司は舞台上に倒れるという、より演劇性の強い構成となっている。
    (進んだ註:あきらかにフェミニズムの文脈を踏まえたこの改訂の背景には、おそらく1970年代日本における第二波フェミニズム(ウーマン・リブ)の認知度向上がある。より大きな視点をもてば、従来の権威主義的な「オペラ」に対する抵抗としての側面をもつニュー・ミュージックシアターの性格が、そのような政治的な問題提起としばしば馴染んでいたということも指摘できる。)
    今回の演奏はあくまで1974年に出版された楽譜に基づく演奏である。しかし、1976年版の要素を一部に備えた複合的なヴァージョンと捉えることもできる。

  8. [8]

    なお、当日の集合時間である午前10時に姿を現したのは、加藤のみであった。逆に練習に遅れることが最も多かったメンバーが、当日時間通り現れたただ一人の人物という加藤のポジションでなかったことは、非常に惜しいことであるという結論に至った。

執筆者

加藤理沙+西垣龍一+三浦純香
Phantastopia 3
掲載号
『Phantastopia』第3号
2024.03.22発行