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映画上映イベント「ちょっとだけ遠い人々 現代映画と距離の感覚」トークセッション和久井亮+たかはしそうた+竹峰義和+韓燕麗+田口仁

Phantastopia編集委員会

2023年12月10日、駒場キャンパス18号館ホールにて映画上映イベント「ちょっとだけ遠い人々 現代映画と距離の感覚」を開催した。ゲストとして、東京大学教養学部表象文化論コース卒業生で在学中に制作した『Flip-Up Tonic』がPFFアワード2023の入選作となった和久井亮さん、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『移動する記憶装置展』が同じくPFFアワード2023に入選し観客賞を受けたたかはしそうたさんにお越しいただいた。

当日は、和久井亮監督『Flip-Up Tonic』『金曜物語』、たかはしそうた監督『移動する記憶装置展』の3本を上映した後、トークセッションを行った。コメンテーターとして表象文化論コースの映画研究者である竹峰義和先生、韓燕麗先生にご参加いただき、田口仁さん(表象文化論博士課程)司会のもと、上映された作品の演出上の特徴や制作上の意図について質疑が交わされた。以下に、本トークセッションの記録を掲載する(記事化にあたり、一部加筆修正を行った)。

「ちょっとだけ遠い」のは誰か

田口
本日は和久井監督、たかはし監督と、表象文化論の竹峰先生、韓先生にお越しいただきました。私は司会を務めます表象文化論博士課程の田口と申します。よろしくお願いします。今日はせっかく監督に来ていただいているので色々とお話をうかがいたいのですが、会の方に思わせぶりな題がついているので、まずはこのタイトルについて簡単にご説明したいと思います。

この会には「ちょっとだけ遠い人々」という題がつけられています。これはお二人の作品に対する感想に由来するものです。お二人の映画の登場人物は、波風が立つような状況であっても振る舞いが非常に抑制的で、互いのパーソナルスペースに対して繊細な印象があります。

しかし一方で、この決定的な対立を回避するような距離感や居心地の良さは、どこかもどかしいようでもあり、キャラクターたちは孤独そうにも寂しそうにも感じられます。例えば『移動する記憶装置展』では、エモーショナルな瞬間がいくつも描かれながら、主人公たちが唯一物理的に接触する場面は氷越しです。『Flip-Up Tonic』ではこの踏み込めない距離感が規則によって定められてさえいます。このある種の「正しい」距離や関係性の意識は現実にも身に覚えがあるもので、この10年程度の間に急速に成長し、コロナ禍を通じて物理的な距離としても倫理化されたものではないかと思います。

両作ともコロナ以後・5類指定以前[1]に撮られていますから、そこにはこの数年の間に変容した俳優の身体性も反映しているかもしれません。イベントのタイトル設定にあたり、お二人が共通して捉えた現代性の1つがこの点にあるのではないかと考え、「ちょっとだけ遠い」というキーワードを提案しました。以上が、企画タイトルの背景になります。

ではさっそく、監督お二人から作品についてご紹介いただければと思います。上映順に、和久井監督からお願いします。

和久井
みなさま、本日はお越しいただきありがとうございます。和久井と申します。最初に上映された2本の映画を監督しました。まず簡単に作品のできた経緯をご説明しようと思います。

『Flip-Up Tonic』は、映画制作サークルに入って作った3本目ぐらいの作品です。最初の2本は自分でカメラを回してみたり2-3人くらいの体制でやったりという感じだったので、それなりにまともな人数のメンバーに協力をお願いして作った最初の作品になります。意識していたのは、SFらしい要素を一切入れずにSFをやってみようということでした。お名前をあげるのは恐れ多いのですが、蓮實重彦先生の「SF映画は存在しない」[2]という文章があります。SFとは物語の区分であって、形式としての映画ジャンルにはなりえない、というような内容で、これを読んだことが1つのきっかけになりました。

『金曜物語』は映画美学校の修了制作として作りました。15分以内という規定が最初に与えられていて、その中で何をするかというところから考えました。最終的には、当時集中的に見ていたスクリューボール・コメディ[3]を15分で現代的にやってみようと思い、このような作品になりました。

今日は盛大な会を開いていただいて恐縮しています。まだ勉強の途中というつもりなので、色々とお叱りをいただけたら嬉しく思います。よろしくお願いします。

田口
ありがとうございます。2つの作品は全く別の枠組みで撮られているとのことですが、和久井監督の場合、制作の段階でそういった条件から逆算して構想を立てたのではないかと思うところがあります。

和久井
そうですね。やりたいことに合わせるというよりは、できることのなかで遊んでやろうというマインドがあるかもしれません。

田口
その辺りもまた後でうかがえたらと思います。よろしくお願いします。では、たかはし監督お願いいたします。

たかはし
『移動する記憶装置展』を監督しました、たかはしそうたです。本日は来ていただきまして本当にありがとうございます。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)[4]で上映した際に和久井さんから声を掛けていただき、このような上映の機会をいただいて大変嬉しく思っています。

『移動する記憶装置展』の制作の経緯について簡単にお話ししようと思います。これは大学院の修了制作として作る機会を得たものです。僕は今年の4月に『上飯田の話』[5]という映画を劇場公開しました。修了制作の企画を考えている段階で、その舞台となった横浜市泉区上飯田町にもう一度行ってみたところ、街の様子が若干変わってきていました。特にメインのロケ地となる上飯田ショッピングセンターの店舗数が減っていたりもして、「今ここで撮っておかないと、こういった景色はもう二度と見られなくなってしまうかもしれない」と感じました。そういう風に場所から発想して考えていった作品です。今回「ちょっとだけ遠い人々」という面白いタイトルをいただけたので、色々なお話ができたらと思います。よろしくお願いします。

田口
上飯田は監督に由来のある場所ということでしょうか。

たかはし
そうですね。私の祖父が住んでいたのが上飯田町でした。映画の舞台となった団地ではないのですが、僕もしょっちゅう祖父の家に行っていました。母親も上飯田小学校を卒業していますし、家族にとって縁のあるところですね。

田口
映画の冒頭でも、おじいさんが亡くなって、という話がありましたが。

たかはし
あれは私の祖父のこととは別に、本当にあそこはお米屋さんで、そこの話を入れたという形です。

田口
「アーティスト・イン・レジデンス」という言葉も出てきていましたが、作中のインタビューも実際に現地の方から取られたものですか。

たかはし
そうですね。ぶっつけで撮ったわけではありませんが、何名かお声がけをしてインタビューをしていきました。

田口
現地の実態と映画との関係といった部分も、後でお話をうかがえればと考えています。ではここで先生の方にマイクを渡したいと思います。竹峰先生、よろしくお願いします。

「近さ」のゆくえ、「人間らしさ」のありか

竹峰
竹峰と申します。持ち時間も多くないので、ちょっと急ぎで話します。と言いながら、まず自分の話から始めてしまいますが、実は私も学生時代、早稲田大学で自主映画を作るサークルにいました。稲門シナリオ研究会というところです。当時8ミリからビデオへと移り変わる切り替えの時期でフィルムの現像をしなくなったといったこともあって、あまり映画は撮らずに酒ばかり飲んでいましたが(笑)。とはいえ、早稲田のサークルの先輩やその後進学した大学院の表象文化論コースの同期生に映画美学校1期生の方がいたという縁もあって、自主映画や学生映画に触れる機会は多かったです。美学校の上映会や、あるいは撮影現場にゲストで参加したこともありました。ただ、今日3本の作品を拝見して、私が学生時代にやっていたようなものとはレベルが格段に違うなと感じました。完成度が高くて、しかも単に技術的に完成度が高いというだけではなく、その完成度がお二人それぞれの表現として昇華されている。ここにまず、すごく驚きました。

まず和久井さんの作品について。『金曜物語』の方からいきますと、これは本当に驚きました。コメディってすごく難しいジャンルだと思うんです。編集だとか間だとか演技だとか、ちょっとでもずれると全然面白くなくなってしまう。そういった難しいところを、おそらく非常に限られた条件の中で見事にクリアされていた。15分だったわけですが、60分とか70分、あるいは90分の長編として、もっと発展できそうだと感じる面白い作品でした。ストーリー自体は大きなどんでん返しがあるといったわけではなく、ある意味でありがちな話ですが、演出の力や俳優の演技力で持っていっている。とても感心しました。

続いて『Flip-Up Tonic』、これもすごく面白いですね。「SF映画は存在しない」という蓮實先生のテーゼに対するチャレンジということで、なるほどと思いました。ある意味で1発オチのような作品ですが、繰り返し見ても飽きない。これは3つの作品に共通して言えることだと思いますが、恥ずかしいショットや恥ずかしいセリフが1つもなかった。学生映画には往々にしてそういう場面があって、私が昔やっていたものもそうした要素のオンパレードだったわけです。今日の3作品はいずれもそれがない。普通にプロが撮っていても恥ずかしいショットなど沢山あるわけですから、これは本当に見事な達成で、非常に感銘を受けました。

『Flip-Up Tonic』は『金曜物語』より多少時間的な余裕がある分、随所に遊び心のようなものも感じました。ドラマツルギー的には無駄にも思えるセリフや設定が多いわけですが、それも狙いだろうなと思わされる。例えば最後の方に小津っぽい切り返しがあったりとか、「わざとやってるのかな」と思って、にやにやしながら見てしまいました。ただ、その辺りの遊び心というのが、例えば「黒沢清[6]だったらこれ10分ぐらい撮るよな」とか、「何かもう一段ドンデン返しがあっても面白いんじゃないか」とか、いろいろ空想しながら拝見しました。

『移動する記憶装置展』の方は、もう「学生映画」というような枠を超えた、作品としての完成度を非常に強く感じました。画面からも監督の個性がしっかり出ている印象で、見ていて圧倒されました。ドキュメンタリーとフィクションを混ぜていくような手際の見事さも大きいですが、なにより凄かったのは、作中人物の変化がさりげない演出を通して表現されている点だと思います。谷繁という「他者」がやってきて、彼と接する中で人物たちが変化していく。その流れが、セリフや思わせぶりの表情といったものではなく、ある種の「演出」の中で感じられる。また、その谷繁が最後にパッと帰ってしまう用心棒的なところも、すごくいいなと思いながら拝見しました。

最後に、私からお二人に1つだけ質問です。今回のタイトル「ちょっとだけ遠い人々」について、先ほど田口さんの方でも、作品自体に「遠さ」のようなものが感じられるという形でまとめてもらいました。私も、とりわけ『移動する記憶装置展』と『Flip-Up Tonic』について、同様のことを強く感じました。こうした「遠さ」に対応するのは当然「近さ」です。そう考えると、「遠さ」の演出の中に「近さ」のようなものを意図的に入れていくことで、こうした「遠さ」が破れる瞬間のエロティシズムや出来事の感覚をもたらす、そうした演出もありえたのではないかと思います。

これは完全に妄想になりますが、例えば『移動する記憶装置展』の最後に谷繁が去っていくシーンで、谷繁とスミレとのアップが1つあったとしたら、そうしたエモーショナルな瞬間が生まれてきたかもしれない。ただ実際には、この映画にはほとんどアップがありませんし、主観ショットもないですよね。そうした形で、人物の心理といったものを踏み込んで表象することを意図的に避けているような気がします。これはある意味で非常に成功した表現になっていると思いますが、一方で何かもっと面白くなりえたのではないか、あるいは別な表現もありえたんじゃないか、そうしたもどかしさも多少感じました。

『Flip-Up Tonic』についても同様です。ロボットと初対面で握手するシーンがあって、その後もう一回握手のシーンが繰り返されます。こうした接触の表現は、ある種の距離を断ち切る可能性のようにも感じられますが、こういったものはあえてさらっと流される傾向がある。物語や会話を動かして展開させる方が中心にあって、そうした触覚的な感覚や「近さ」の演出、エロティシズムを意図的に禁欲しているようにも感じられます。もちろん必ずしもエロティシズムが良いというわけではありませんが、お二人がこの「近さ」という主題についてどのように感じるか、お聞きしたいと思いました。

田口
ありがとうございます。続いて韓先生からもコメントをいただいたうえで、監督にお答えいただこうと思います。


わかりました。まずはお二人の監督、PFFご入選おめでとうございます。大きな励みになったのではないかと思います。今日改めて拝見して、いずれの作品もやはりすごく面白いなと思いました。褒める言葉は竹峰先生からたくさんいただいたと思うので、私からはそれぞれの作品について2つずつ質問したいと思います。

まず『Flip-Up Tonic』について。これはジャンルとしてはSF映画になるわけですが、SF映画というのはただ単に面白い話ができればそれで良いというものではないはずです。この映画は脚本が非常に巧みで、見終わった後にもう一回最初から見たいという気にさせられます。この意味において、非常に成功している。ただ、ストーリーが面白いというだけでは和久井さんも十分に満足しないはずです(笑)。和久井さんは1年生の時、私の映画論の授業をとっていましたよね。当時の授業では映画を全編流すこともあり、ちょうど『ブレードランナー』[7]をお見せしました。『ブレードランナー』は原作の小説も含めて、一種の哲学的なテーマを扱っていると言えます。主人公は実は人造人間だったのかもしれませんし、そう簡単には言い切れないところもあります。つまり人間と人造人間の区別が曖昧になっているわけです。『Flip-Up Tonic』でも、あえてロボットのように振る舞う人物がいたり、一番人間らしい女性が転んだりします。ここで考えさせられるのは「人間らしさとは何か」という問題です。我々が普段馴れている「普通の」喋り方とか動き方は、実は人間らしくないのかもしれない、本当は不自然な喋り方や動き方を我々はいつの間にか「普通」だと感じるようになってしまっているのかもしれない、等々。この辺りのこと、つまりなぜこのテーマを選んで、何を表現したいのかということをお聞きしたい。これが1つ目の質問です。

もう1つは細かいところです。先ほど竹峰先生からもお話があったように、お二人の作品ともクロースアップを禁欲的に使っているのが印象的です。クロースアップには観客を驚かせるような力強さがありますから、効果的に使うために抑制するというところもあると思います。その意味で、箱の中の女性の顔を映した最後のショットは、とても力強いアップになっていると感じました。ただ、この力強さを十分に発揮するためには、第4章の内容が余計だったのではないかとも思いました。というのは、第4章が映画全体の仕掛けのネタバレになってしまっているからです。もちろん、三人の人物が歩いている最初のトンネルのシーンからすでに演技の硬さというか、動きのぎこちなさに違和感があって、これが全体の仕掛けにもつながっています。とはいえ、はっきりとした種明かしは最後までしない方がよかったのではないか。そこは細かい点としてお聞きしたいところです。

『Flip-Up Tonic』より

次に『金曜物語』について。『Flip-Up Tonic』と大きく違うと感じたのは、ラストがそれほど印象的ではなかったことです。『Flip-Up Tonic』の最後のカットの力強さと比べると、あまり記憶に残らないような印象がありました。もう1つは演技です。とても禁欲的な演技の『Flip-Up Tonic』と違って、『金曜物語』はややオーバーな演技になっています。何に気をつけてどのように演技指導をしたのか、監督にうかがいたいです。

2つの作品の違いは今言った通りですが、2作の共通点としては例えばモノクロという選択が挙げられます。『Flip-Up Tonic』のような作品を、非現実的で無機質なSFの雰囲気を出すためにモノクロで撮るのはよく分かります。一方、『金曜物語』の方がなぜモノクロなのかは少し気になりました。最後に細かい共通点ですが、実は両方とも「金曜」の「物語」なんですよね。金曜日がお好きなのかなと思いました(笑)。『Flip-Up Tonic』も「金曜物語」というタイトルでも良いような設定です。このタイトルの意味についても、簡単に教えてもらえればと思います。

次にたかはしさんの『移動する記憶装置展』について。これも2点に絞ってお聞きしたいと思います。1つは、すでに打ち合わせのときにもお伝えしたように、最初に映画を拝見したときすぐに思い出した、沖縄出身の映像作家・山城知佳子さんの作品についてです。具体的には、『あなたの声は私の喉を通った』[8]という2009年の映像作品のことです。この作品は、ある老人にインタビューを行い、彼が戦争体験について語った言葉を、その口の動きに合わせて山城さん自身が真似て語るという行為を記録した映像と、老人のインタビュー映像を二重写しにして見せる7分程度の映像作品です。東京都写真美術館で開催され、この作品も上映された山城さんの特集企画[9]には「他者の残響と生きる/場所がはらむ物語」というタイトルがつけられていましたが、これらのフレーズに、たかはしさんの作品のテーマと共通するところがあるように感じました。

もちろん、共通している部分がある一方で違うところもあります。一番明らかな違いは、山城さんが自分の声を通してインタビューの再現を行ったということです。『移動する記憶装置展』では、主人公の谷繁が最初は自分で声の再現をしようとしながらも最終的には諦めて、女性のスミレにその声の再演をさせます。これが一番大きな違いです。山城さんの作品からの影響については他の場でも聞かれたそうですが、たかはしさんはご覧になったことがなかったとのことでしたね。ですからやはりたかはしさんに、どのようなことを考えてこのような物語設定にたどり着いたのかということを、あらためてお伺いしたいと思いました。

次に2つ目の小さな質問です。映画のクレジットでプロデューサー・撮影・編集・照明といった重要メンバーの名前を見ると、ほとんどみんな中国系の人ではないかと思います。実際、いまの東京藝術大学の大学院には留学生がたくさんいるはずです。そういった他の国や地域出身のスタッフと一緒に映画を作るにあたって、何か苦労や感じたことがあればお聞きしたいです。私からはひとまず以上です。

田口
ありがとうございました。では、和久井さんから応答をお願いします。

SFらしくないSF映画、時代錯誤のコメディ映画

和久井
様々なコメントをいただき、ありがとうございます。すごくうれしいです。まず『Flip-Up Tonic』の話からお答えしようと思います。お二人からご指摘があった、人物同士の接触を制限していたり硬い演技をそのまま使っていたりといったところには、知り合いを集めて撮っていたという背景があります。普段の知人がそのまま台詞を読んでくれれば成立するものを作ろうと考えていました。それから、接触を主題に交流を描くというテーマにすると、いかにもSF映画らしくなってきます。先ほども触れたように、そういったSFらしい展開をせずにSFの設定で遊ぼうというルールにしていました。意地悪なようですが、壮大なSFファンタジーを自主制作でやろうとしている作品や企画に触れたことも、その逆を狙う動機になりました。そもそも自分があまり人と接触したいと思わないタイプだということもあるかもしれません。

また、韓先生がおっしゃるような「人間とは何か」といった哲学的なテーマについて何か考えたかと言われると、そこに一切踏み込んでおらず、映画の中では人間もロボットも一緒であるという方向でダラダラとやってみたということになると思います。


演技指導にあたって、人間らしい振る舞いとはどのようなものか、といった問題は特に考えなかったわけですか。

和久井
そうですね。普段から無駄な動きをいっぱいする人がいたり、そうでない人がいたり、といった違いは面白いと思ってキャスティングをしました。なので、演技の際も、特に振る舞いを変えてもらおうといったことは考えませんでした。これもSFらしさから離れる一貫で、生身の人間の動きをカメラで記録しているのはどの役も変わらないから、変に違いを演出しようとしても仕方がないと割り切っていた感じです。


たしかに、これはほぼ最初の作品でプロの俳優さんも使えなかったわけですから、このテーマを選んだのはその意味では好都合だったと言えます。つまり演技にあまり慣れていない役者さんがいてもそのぎこちなさに理由ができたわけです。同時に、我々は人が無表情に硬く話しているというような振る舞いにじつは慣れてしまっている、それを「普通」だと感じるようになってしまったのかもしれない、といったことも考えさせられました。その辺りはあまり考えなかったですか。

和久井
はい、撮影中はそれどころではなかったのもあるかもしれません。


なるほど、分かりました(笑)。

和久井
次に指摘いただいた、第4章ですでにネタバレが済んでいるのに第5章がそのまま続くという問題は、自分でも撮り始めた頃から気になっていました。ただ、最後は柩で終えたいという考えがあり、このような構成になりました。そもそも最初のシーンは青山真治さんの初期作品に良く出てくるトンネルで始めようと思っていたのですが、これを産道に見立てて、最後を柩で締めることで、生まれて死ぬまでの映画という形にできるのではないかという思い付きがありました。結果として、この作品はPFFでサスペンスとして紹介されたのですが、サスペンスとしては20分くらいで済んでしまう構成になっている。そこは反省しているところです。


むしろ最後が柩で終わるのは良かったと思います。クロースアップも良かったです。気になったのは最終章ではなくて、その前の第4章です。第4章でロボットを停止させるという描写があって、これが決定的な種明かしになっている。その結果、最後の柩のショットのショッキング的な感覚や効果が少し減ってしまったのではないかと私は感じました。

和久井
じゃあ、作り直します(笑)。


いやいや。もうこれでPFFに入選されているわけですから(笑)。

和久井
『Flip-Up Tonic』のタイトルは、『パルプ・フィクション』(Pulp Fiction)[10]という字面のアルファベットを並べ替えてそれらしい単語を作ったものです。『パルプ・フィクション』は時系列の並べ替えで名を馳せた映画で、その名前をさらに並べ替えるという悪ふざけのつもりでした。いわゆるアナグラムなので、特に内容にかかわる意味はありませんが、フリップ・アップ、ピンと上に弾いて開けるタイプの容器にトニックウォーターが入っている設定にすれば、ぎりぎりこじつけられると思いついた瞬間がありました。あのボトルを無理に出そうとしたのが第4章の敗因だったと思います。

次に『金曜物語』についてですが、芝居がオーバー気味だというのは、映画美学校の講師の方にも指摘されました。実際、もうちょっとオーバーにやってくださいといった指導は撮影現場でもしていました。初めて専門的に役者をされている方とご一緒した作品だったので、どうすれば良いか分からなかったというのもあるかもしれません。ただ、もちろんそれだけではなくて、おそらくある種の寓話的、戯画的なイメージがあったのだと思います。「離婚するぞ」という話として始まって、実際に離婚して終わるまで一切寄り道せずに進む映画にしようと思っていました。なので、登場人物にも生身の人間というよりも寓話のコマのように動いて欲しかったのかもしれません。


なるほど、非現実的な雰囲気にしたかったわけですね。

和久井
はい。そういう意識もあったかと思います。モノクロを選択した理由について一番大きかったのは、色にまで頭を回せないというところです。普通にカメラを回すと色が映ってしまうわけですが、そこまで考える余裕はない。それだったら色は無くていいかなと思いました。映画美学校の撮影技師の方にはモノクロは光と影なんだと言われて、それがきちんと意識できた自信はありませんが、色の要素は落としておくことを選びました。

あとは、映画美学校の特別授業に三宅唱さんがいらしたとき、「最初の長編2本がモノクロなのは何でですか」と質問したんです。最初にモノクロを選んだ理由は、限られた条件をそう見えないようにできることだったというお話でした。その質問をしたから自分には修了制作をモノクロで撮る権利があるのだということにして、モノクロを選んだという経緯もあります。

最後に、両方とも金曜日の話だというのはさっき言っていただいて初めて気づきました。『金曜物語』の題は、先ほど雑談中にたかはしさんが当ててくださったので言ってしまうと、どちらも1940年に公開されたスクリューボール・コメディの『ヒズ・ガール・フライデー』[11]の「フライデー」と『フィラデルフィア物語』[12]の「物語」を足したものです。さらに無責任に名前を出しますが、『東京物語』[13]のことも意識はしました。何年か前に初めてこのタイトルを聞いたとき、『東京物語』って何だろうと思いました。何か人間や事件ではなく場所の物語を2時間でやるのか、それってどういうことなんだろうと思って見始めた記憶があります。『金曜物語』も感覚としては多少それに近いと思って、気に入っています。

田口
今のお話も聞いていて、和久井監督は条件を全て演出にしていくところがすごくうまいなと思いました。『Flip-Up Tonic』で、ちょっとコマがジャンプしているところがありますよね。あれはどういう意図ですか。

和久井
あれは音がスムーズに繋がるように、セリフを噛んでいるところをスキップした結果です。

田口
そういう部分も全部演出に見せてしまうわけですね。それが可能になるような初期設定も、ものすごくうまいなと思いました。

和久井
小賢しいんですかね(笑)。ありがとうございます。


先ほどのお話で、モノクロにした理由について、色が入ると要素が増えて画面のコントロールが難しいということでした。たしかに映画史においても、モノクロからカラーにシフトしていく時代に同様の理由でそれを拒否する監督がいましたし、あるいはワイドスクリーンはやりにくいと言う監督もいました。それはわかるのですが、それ以外の考え方として、例えば近未来的な無機質な感覚、非現実的な感覚という意味で1本目の『Flip-Up Tonic』がモノクロによく合っていると言えるなら、『金曜物語』はいかがですか。

和久井
そうですね。『金曜物語』については、意識的な時代錯誤の映画だからというお答えができるかもしれません。ロマンティックコメディと呼ばれるジャンルの映画は現在までずっと作られてきたわけですが、『金曜物語』はその中でも1930-40年代を中心としたハリウッドのスクリューボール・コメディだけを踏まえています。古典期の直後に生きているふりをする作りの時代錯誤を示すためにモノクロにしたところはあります。

『金曜物語』より


なるほど。それで言うと、この作品は平成最後の金曜日という設定になっていて、現在ではなく過去の話だというところもありますね。この平成最後の金曜日という設定について、何かお考えがあればうかがいたいです。

和久井
時代設定は作中で間接的にしか明かしていないのですが、紹介文に載せてしまいました。まず細かい設定上の都合として、2020年から離婚届に証人のハンコが要らない仕組みになったようで、それより前でなくてはいけないという事情がありました。それともう一つ、自分は表象文化論コースの卒業論文で青山真治さんについて書いたのですが、青山さんは最初の劇場映画『Helpless』[14]で昭和が平成に変わった年を舞台にしている。これはこっそり意識していました。


青山さんの映画で、冒頭に昭和最後の日に昭和天皇が亡くなったニュースが聞こえてくるというものもありましたよね。

和久井
『共喰い』[15]ですね。


そうそう、『共喰い』。昭和という時代の終わりと物語が重なっていて、そこには明らかにポリティクス、政治の問題が入っていると思います。和久井さんは、この辺りで何か考えませんでしたか。

和久井
何かここではっきりと説明できるような内容ではないですが、ぼんやりと意識していました。例えば、見えない最高権力者として社長がいるというイメージがあり、だから主人公たちの結婚も全部社長の手引きで進んだという裏設定を考えていました。そちらの関係が離婚と解雇で壊れていくのに対して、最後の方で母親が登場し、映画のなかで1つだけある手持ちのショットでは女性3人だけが映ります。全く未熟な状態ですが、ジェンダーと権力の関係といったテーマを映像の上でできないか、という考えはありました。


なるほど、よくわかりました。これは聞いてよかったですね。

田口
和久井さん、ありがとうございます。では続いてたかはし監督お願いします。

町が主人公の映画

たかはし
はい。自分の話の前に、僕も和久井さんにいろいろ聞きたいことがあって、例えば『金曜物語』の二人はあの後どうなるんでしょう。和久井さんが参照されていた『ヒズ・ガール・フライデー』や『フィラデルフィア物語』などいわゆるハリウッド黄金期の映画の流れの1つとして、再婚喜劇という型がありますよね。そう考えると、先ほど竹峰さんがおっしゃったようにこの映画を90分ぐらいの長編にした場合、あの二人は再婚するのではないかといったことを思いながら見ていました。どうでしょうか。

和久井
おっしゃる通り、再婚喜劇という型は念頭にありました。ただ、むしろ現代的にやると再婚はできません、というつもりでした。短編であれば逆張りの「離婚喜劇」も勢いで成り立つのではないかと目論んでいました。

たかはし
ああ、なるほど。ありがとうございます。それで、自分の『移動する記憶装置展』の方にいきますと、竹峰さんから「近さ」あるいは近づく時のエロティシズムの話がありました。これは全くおっしゃる通りで、痛いところを突かれてしまったなと思います。ただ、やっていること自体にはエロティックになり得た要素があったのではないかと信じているところもあります。例えば氷嚢を膝に当てるといったシーンですね。あるいは誰かの思い出を聴きながらそれを口に出すスミレ、廣田朋菜さんという俳優さんにやっていただきましたが、このシーンにも可能性があったのではないか。もしこれが別の監督だったら、恐れ多くも名前を出してしまうと、これがロメール[16]だったら、ブレッソン[17]だったら、もっとエロティックに撮ったのではないかということは自分でも思います。ただ、POV(主観ショット)が無いといった指摘もあったように、今回はそういう撮り方ではない。ではどうしてそういったある意味ドライな捉え方をしていたのかというと、上飯田町という町も主人公の一人として扱いたかったからです。町を主人公の一人として、人物もそれと同じように撮っていくということを、撮影に関してもやっていきたいと考えていました。

韓さんからは、山城知佳子さんの作品の話をあげていただきました。実は僕も作品を見ようと色々と問い合わせたりしたのですが、結局見ることができませんでした。ただ、いくつかの記事を読んだところ、多くの共通点があると同時に、全く逆の目的によって似たような行為が生まれたのではないかと感じました。先ほどご説明いただいた『あなたの声は私の喉を通った』という作品では、山城さんがある特定の方のインタビューに衝撃を受けたことが原動力になっていると思います。一方、今回の『移動する記憶装置展』のインタビューというのは、普通の人たちの平凡な体験をもとにした行為です。

もう1つの違いは、山城さんの場合はインタビューの言葉を自分の声で話すことで、頭の中でその証言に近い体験をすることが問題になっている点だと思います。山城さん自身も「私の戦争体験となった」という言葉を使われているように、彼女自身は実際に戦争を体験していないけれども、その言葉を話している時には何かそういった感覚が現れる、そのことが主題になっている。

僕の場合は、町の人々になる、あるいはその体験を自分のものにするというよりも、そうした町の人の声を聴きながら話すという行為そのものが問題になっています。そもそも人の声を聴いてそれを話すというのは、かなり集中力をもっていかれる行為です。これは演じているときに廣田朋菜さんがおっしゃっていたことですが、これをやると、ある種の瞑想に近いような状態になっていく。あの人物にはスミレという役名がついていますし、廣田朋菜さんという俳優の名前も付いているわけですが、そうした名前で語られる以前の、その人そのもののような状態に近づいていく行為であると。こうしたことを考えて、ああいったシーンを撮っていたと思います。


なるほど、つまりこの設定を考えた際には、山城さんの作品はご存じなかったわけですね。

たかはし
そうですね。脚本を書いて、こういうことをしようと思っているという話を、僕の先生の諏訪敦彦[18]さんに相談したところ、山城さんの作品と近いところがあるんじゃないかと言われました。それで、そんなことをしている方、そういった作品があるんですかと、そこで知りました。

田口
監督はむしろ川部良太さんの『ここにいることの記憶』[19]の方にインスピレーションを受けたとおっしゃっていましたね。

たかはし
ああ、そうなんです。川部良太さんという方が監督した『ここにいることの記憶』という映画があります。山形国際ドキュメンタリー映画祭[20]の「アジア千波万波」部門で2009年に上映された映画です。その映画を見たときの衝撃が非常に大きくて、その感覚を何か自分なりのやり方でできないだろうか、ということが1つの大きなモチベーションになってきました。

田口
その作品も、何かドキュフィクション的なものなのでしょうか。

たかはし
うーん、まあ、そうですね。川部良太監督の『ここにいることの記憶』というのは、小学生のカワベリョウタくんが失踪したというフィクションを元にした作品です。内容としては、その失踪した少年カワベリョウタくんにまつわる思い出を紙に書いて、それを団地に住んでいる方々が読んでいるところを撮っていく、そういう映像になっています。それに非常に衝撃を受けた。そういうところから今回の映画の設定も来ています。

田口
誰かの声を別の人が口にするという構造が同じなわけですね。


なるほど、よく分かりました。ただ、映画の中でも最初はアーティスト本人の谷繁がインタビューの再現をやってみていましたよね。でも何か違うということで、最終的に女性の方、スミレにやらせることにした。そこの設定や展開についてはいかがですか。特に、終わった後に谷繁が「他の人の声を再現してみてどうだったか」「何か感じることはないか」といったことをスミレに質問しましたよね。そのような設定や脚本を書くときに何をお考えになっていたのか、お聞きしたいです。

『移動する記憶装置展』より

たかはし
なるほど、難しい質問ですね。スミレという役は、これは映画内でも出てくることなのですが、故郷と呼べる場所がないと思っています。彼女は住む場所を転々としながら生きている。そして上飯田もまたそこに暮らしてはいるものの彼女にとってはどこか外部であると思っている。そういう設定です。そういう意味では各地を転々としながら作品制作をしている谷繁と似ています。ここから先の話は単純に自分の演出力不足によって映画にはっきりと出せていないことなので、説明するのが恥ずかしいのですが、谷繁はそんな彼女を見て、インタビューを再現する行為からこの町の一員であるという気持ちが生まれるのではないかと思い、スミレに依頼をします。しかし結果、全く逆に「ここは私の場所ではない」ということを悟る。あの展開にはそうした意味を持たせたいと考えて入れました。

最後にもう1つの質問にもお答えしておくと、たしかに藝大映像研究科の映画専攻は半分くらいが留学生の方になっていて、メインスタッフだと録音をしてくれた人以外は全員中国系の方です。それで、制作上の苦労としては、これはもう国籍という問題ではないですが、上飯田という町に対する距離感の違いという問題はありました。上飯田という場所は僕にとっては非常になじみあるところですが、他のスタッフにとっては言ってみればロケ地の1つに過ぎない。その溝をどう埋めるのか。もちろん埋め切れないわけですが、そこの場所で撮るという感覚をいかにみんなで共有するか、すごく苦労しましたし、工夫が必要だった部分です。これは国籍とはあまり関係なくある問題ですね。


なるほど。スミレの声でインタビューを再現させる行為には谷繁のそのような思いがあったわけですね。これまたすごく良い話を伺いました。たかはしさんにとってはお祖父さんやお母さんが住んでいた街ということでしたが、このような作品の制作現場に外国人のスタッフがこんなにたくさんいるというのは、ご苦労なさったのではないかと思いました。やはりそういったところはありましたね。いやまさに監督の力量を見せるところです。

たかはし
そうですね。なので、スタッフの人たちとは撮影前になるべく一回は上飯田に行こうと考えていました。ロケハンやシナハンとしてではなく、まず一度行って、どういう場所か見る。できれば居酒屋で一杯飲もうと。2週間という短い撮影期間でしたが、スタッフにもその土地のことをただのロケ地以上の場所として感じてもらいながら撮っていけるように、色々と試しました。

田口
ありがとうございます。ここまで踏まえて、何か竹峰先生から追加で質問などありますか。

竹峰
作品についてもまだ色々と聞きたいことはありますが、時間が迫っているので、今後お二人の監督がどういう作品を撮っていきたいか、あるいは今進んでいるプロジェクトがあるのか、お聞きしたいです。あとこれは個人的な興味ですが、たかはし監督の作品に出てきた谷繁さんというのは、野球の谷繁から来ているのかということ(笑)。気になったので、この機会に聞いておきたいなと思いました。

田口
ではまず次のプロジェクトの予定など、和久井さんからお願いしてもいいですか。

和久井
映画をきちんと見始めたのが3年前くらいで、まだ大きいプロジェクトをやるには勉強が足りないと感じています。つぎ込むことになるお金や協力していただく方の労力がもったいないのではないかと。なので、しばらくは集まった人のやりたいことがなるべく叶うような企画を立てて短篇を作る、というのを何回か繰り返そうと思っています。まずは次の2月に何か撮れたらいいなというところです。

田口
たかはし監督はいかがですか。

たかはし
僕はぴあのスカラシップに応募できる機会を得たので、当面はそこに向けて企画を練っているところです。ただ、やはり『上飯田の話』と『移動する記憶装置展』で2回上飯田にお世話になっているので、新しい企画もどうしてもショッピングセンターの話になってしまう。引っ張られてしまっているな、というところはあります。

谷繁に関しては、実はおっしゃる通りです。もう少し解説しますと、1998年に横浜ベイスターズが日本一になったとき、大魔神佐々木と呼ばれた佐々木主浩投手[21]とバッテリーを組んでいたのが谷繁元信さん[22]です。今回佐々木想さんにこの役をお願いするときに、もちろん「佐々木想」として出演してもらうことも考えたんですが、やはり別の名前が良いだろうと。それなら、佐々木といえば谷繁だなと思って「谷繁」にしました。ちなみに、想さんに話したところ一発で「大魔神佐々木ですか」とばれてしまいました。

映画史の記憶と場所の記憶

田口
ありがとうございました。時間も迫っていますが、会場からもお一人お二人、何か質問があればお受けしたいと思います。どなたかいらっしゃるでしょうか。

質問者1
和久井さんとたかはしさんの映画に共通するギャグ的な要素として、バナナを食べているシーンが気になりました。これは偶然なのか、何か共通性があるのか。『金曜物語』のラスト、主人公が悲しみや悔しさを抱えているはずの場面で、なぜバナナをむいて食べているのか。個人的には、映画館のような公共の場で人がバナナをむいて食べているところを見るだけでも、どこか面白く感じました。そういったギャグ的な感覚について、何かお二人に共通するところがあるのか、気になりました。

和久井
もちろん示し合わせてバナナを食べている訳ではないのですが、今日の上映で気づきました。『金曜物語』でバナナを食べているのは、小津安二郎の『晩春』[23]という映画の真似のつもりです。『晩春』では、最後に娘が嫁に行ってしまって一人になった笠智衆が、家でリンゴをむいているシーンがあります。映画の最後で自宅に孤独な男がいるという共通点とともに、笠智衆は娘と暮らしていた家で急に独りぼっちになったのに対して、こちらの主人公は実際のところ1つハンコをついただけで何も変わっていない、という違いも出せたらと思っていました。もう1つなぜバナナにしたかというと、見た目の面白さもありますが、形状が男性器に似ているという理由があります。タワーというか煙突の映像を使ったり、そういうモチーフは少し意識していました。

たかはし
僕の場合、上飯田ショッピングセンターには本当にバナナの木が植えてあるという事情もあります。映画の中でも語られたように、スポーツ用品店のおじいさんがソフトボールの大会で沖縄に行った時に現地の方からお土産としてバナナの苗をもらい、勝手に植えたらしい(ちなみにこの話は『移動する記憶装置展』では出てきませんが、前作の『上飯田の話』で詳しく話されます)。それがどんどん育って、あんなに大きくなったと。ショッピングセンターに行くと、あのバナナの木はかなりインパクトがあります。シンボルのような存在としてバナナがあって、これは無視できないという感じです。実はバナナを食べながらぐるぐる歩くというシーンでは当初、ビールを飲みながら歩く予定でした。撮影期間中、想さんがふと「これバナナはどうですかね」と提案してくださって、「たしかにこれはバナナだ」と思い、美術部の人にショッピングセンターで買ってきてもらって、バナナを食べながら歩くシーンにしました。

田口
バナナは人に分けられるのも良いですよね。

たかはし
そうですね。「1本どうですか」と。

田口
「近さ」が出るいいシーンだったんじゃないかと思います。他に何かご質問のある方いらっしゃいますでしょうか。

たかはし
僕から『金曜物語』の鉄塔についてもう少し聞いてもいいですか。すごく意味深に2回挿入されますよね。

和久井
そうですね。とにかく何か実景を入れてみたかったんです。映画でなぜ実景を入れたくなるのかがよくわからなくて、モチーフ的なものだったら入れられるかもしれないと思いました。前後半の分かれ目と終わりの合図のように使ってみたのですが、特に何かがつかめた感じはしていません。勉強します。

田口
ありがとうございます。他に会場の皆様からはいかがでしょうか。

質問者2
お二人にそれぞれ質問です。たかはし監督の作品は、上飯田の人々の言葉を聴いて語り直すという演出が特徴的で、それは監督自身の経験とも密接に結びついているということでした。その際、上飯田の人々が町の記憶について語るドキュメンタリー的な言葉をどうやって俳優の身体と関係付けていったのでしょうか。例えば終盤の夜のショッピングセンターのシーンなど、具体的にどのような演出で撮られたのか。事前に本読みがあったのかどうかなど、お聞きしたいと思いました。

和久井監督は先程モノクロを選択した理由を説明されていましたが、『Flip-Up Tonic』はフレーズサイズも特殊なものを採用していると思います。これはなぜでしょうか。あるいは、2つの作品で異なるフレームサイズを選択したことで撮影や編集の際に何か違いがあったかどうか、お聞きできればと思います。

たかはし
ありがとうございます。語り直す、言葉を聴いてそのまま言うという行為については、こちらから演出として何か細かい指示をしていたわけではありません。もちろん、例えばぐるぐる歩くシーンに関してはこういう風に動いてくれと言って動いてもらっているわけですが、基本的には実際に廣田さんが録音を聴いて、それをなぞって話しているというだけです。演出としてはもうそれで十分だろうと思いました。言葉を聴きながら話すという設定だけでも、俳優さんにどういう状態でカメラの前にいて欲しいのかということは十分に伝えられていると思ったので、それ以上の具体的な演出はしていなかったと記憶しています。本読みについては、夜のショッピングセンターを歩きながら話すシーンについては、撮影前に脚本に書いていた内容なので本読みをしました。ただあのシーンは実際に聞きながら話してもらわないと意味がないので、できることは何もありませんでした。

和久井
夜のショッピングセンターのシーンも、場所と台詞は対応しているんですか。

たかはし
はい、そうですね。あれは映画の最初に影山さんが「ここは米屋でここは店で」と話した内容なわけですが、そもそもあのセリフ自体、元は上飯田で育ちショッピングセンターにも昔はよく行っていた私の母親にしゃべってもらったものです。脚本を書いている時に母親をショッピングセンターに連れて行って、谷繁さんと同じように僕が言葉を収録して、文字起こししたものを使いました。なので、あそこの思い出は全て場所と対応しています。

田口
和久井さんは、先ほどのご質問はいかがですか。

和久井
2作品は、それぞれスタンダードとアメリカンビスタ[24]と呼ばれる縦横比で撮りました。スタンダードの『Flip-Up Tonic』はモノクロスタンダード時代の真似という意識もあったのですが、そもそも僕自身がこの1年でようやく撮影やカメラの基本を学んだ人間なので、どちらかというと撮影担当者の希望というところがありました。撮影をお願いした人が真四角に近いほどやりたいということだったので、スタンダードを選んでいます。『金曜物語』をアメリカンビスタにしたのは、それまでにやったことのないサイズだったからです。古典期ハリウッド映画のことを考えて作っていたので、呼び名にアメリカとついているのもちょうどいいということにしました。

違いとしては、スタンダードでは切り返しで人を撮る時に一人だけ映しておけば落ち着くのに対して、アメリカンビスタだとそうはいかない。両端が生かせていないところが多く、このショットは右下に何も言わないおじさんをさらに入れられたとか、演出について色々反省するところがあります。映る範囲が全然違うという当たり前のことを実感しました。

田口
ありがとうございました。まだまだお聞きしたいことはありますが、時間の都合もあり、この辺りで締めたいと思います。監督お二人、先生方、本日はありがとうございました。

一同
ありがとうございました。

(終)

  1. [1]

    コロナ以後・5類指定以前:日本国内で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発生が確認され始めたのは、2020年の初頭である。感染対策として「社会的距離(ソーシャルディスタンス)」の確保が求められるようになり、4月7日には東京・大阪など7都府県で緊急事態宣言が発令された。政府による行動制限は2022年頃まで断続的に行われたが、その後、2023年5月8日に「新型インフルエンザ等感染症(いわゆる2類相当)」から「5類感染症」へと感染症法上の位置づけが変更されたことで、それまでのような感染対策は求められなくなった。「5類指定」を大きなきっかけとして、社会的現象としての「コロナ禍」は収束しつつあるように見える。

  2. [2]

    「SF映画は存在しない」:蓮實重彦の著書『映画狂人シネマ事典』(河出書房新社、2001年)に収録。SF映画は社会心理学の問題にすぎず、映画的な形式としては存在しえないと論じた。

  3. [3]

    スクリューボール・コメディ:1930年代から1940年代にかけてハリウッドで制作されたコメディ映画のサブジャンル。人並み外れた人物の行動と早口の会話によって次々に起こる波乱に富んだ物語が主な特徴である。

  4. [4]

    PFF(ぴあフィルムフェスティバル):1977年からほぼ毎年開催されている映画祭。現在は一般社団法人PFFが主催し、公募による自主制作映画のコンペティション「PFFアワード」を中心に若手作家の発掘・育成に主眼を置いたプログラムが組まれている。『Flip-Up Tonic』『移動する記憶装置展』は共にPFFアワード2023に入選し、同年のPFFで上映された。

  5. [5]

    『上飯田の話』(2021年/日本/63分):たかはしそうた監督による2021年制作の映画。神奈川県横浜市泉区上飯田町を舞台とする3つのショートストーリーからなる。2023年4月に劇場公開された。第37回高崎映画祭(2024年3月23日~31日)でも「監督たちの現在(いま)」部門にて上映予定。

  6. [6]

    1956年生まれ、兵庫県出身。日本の映画監督。大学時代の映画講義で蓮實重彦の薫陶を受けた後、ピンク映画で監督としてデビューし、Jホラー映画の名匠として国際的に評価される。2005年度から2022年度まで東京藝術大学大学院映像研究科教授を務めた。代表作に『CURE』(1997)、『トウキョウソナタ』(2008)。

  7. [7]

    『ブレードランナー』(1983年/アメリカ合衆国/116分):リドリー・スコット監督が手掛けたSF映画。ダークな近未来で人造人間である「レプリカント」を殺す主人公デッカードの冷酷さと悲しみを描いた。

  8. [8]

    《あなたの声は私の喉を通った》:山城知佳子による2009年の映像作品。戦争体験を語る老人の言葉を山城自身がなぞり、他者の体験を自らの声で体感しようとする姿を映す。東京都写真美術館に所蔵されている。

  9. [9]

    「山城知佳子 特集上映:他者の残響と生きる/場所がはらむ物語」:東京都写真美術館で2021年に開催された「山城知佳子 リフレーミング」展にあわせて組まれた特集上映企画。《あなたの声は私の喉を通った》を含め、2009年から2019年にかけて制作された6本の映像作品が上映された。

  10. [10]

    『パルプ・フィクション』(1994年/アメリカ合衆国/154分):クエンティン・タランティーノ監督による映画。さまざまな登場人物によって導かれる非直線的な語り方が特徴である。

  11. [11]

    『ヒズ・ガール・フライデー』(1940年/アメリカ合衆国/92分):ハワード・ホークスが監督したコメディ映画。スクリューボール・コメディの代表作として知られている。 

  12. [12]

    『フィラデルフィア物語』(1940年/アメリカ合衆国/112分):ジョージ・キューカー監督が手掛けたコメディ映画。上流社会の令嬢と、その前夫と雑誌記者の複雑な三角関係を描いた。

  13. [13]

    『東京物語』(1953年/日本/136分):小津安二郎が監督した人間ドラマ。ローポジションやカメラの固定といった「小津調」と呼ばれる技法で、東京に住む子どもたちを訪ねた老夫婦の姿を通し、戦後日本の家族関係の変化を描いた。

  14. [14]

    『Helpless』(1996年/日本/80分):青山真治監督による青春ドラマ。若者の孤独感と虚無感の描写を通して、1989年という昭和の終焉と、家父長制が崩壊し無効化する様子を描いた。

  15. [15]

    『共喰い』(2013年/日本/102分):芥川賞を受賞した田中慎弥の同名小説を青山真治監督が映画化した人間ドラマ。17歳の少年がバイオレンスな父親の習性を受け継いだことを自覚して苦悩する姿を描いた。

  16. [16]

    エリック・ロメール:1920年生まれ、2010年没。戦後の仏ヌーヴェルヴァーグを代表する映画作家の一人。シンプルでエレガントな映像美と文学的な演出で、感受性が強く敏感な気質をもった主人公に焦点を当て、人生の哲学を示した。代表作に『クレールの膝』(1970)、『海辺のポーリーヌ』(1983)、『緑の光線』(1986)。

  17. [17]

    ロベール・ブレッソン:1901年生まれ、1999年没。フランスの映画監督、脚本家。映画に素人俳優のみを起用し、一切の感情移入を拒絶した独特な演技指導を行ったことで知られている。代表作に『少女ムシェット』(1967)、『ラルジャン』(1983)。

  18. [18]

    1960年生まれ、広島県出身。日本の映画監督。2014年から東京藝術大学大学院映像研究科教授。即興的な演出技法で、俳優たちの間に偶然現れるものを重視することで知られている。代表作に『M/OTHER』(1999)、『不完全なふたり』(2005)。

  19. [19]

    『ここにいることの記憶』(2007年/日本/28分):川部良太監督による映画。「希望ヶ丘団地」で1997年5月に起きた「カワベ・リョウタ失踪事件」という架空の出来事について、団地の住民が証言していく形式をとっている。2009年の山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波」部門で上映された。

  20. [20]

    山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF):1989年から2年に一度、10月に山形市で開催されている映画祭。アジアで最初の国際ドキュメンタリー映画祭とされる。世界から作品を募る「インターナショナル・コンペティション」部門、アジアの新進作家を取り上げる「アジア千波万波」部門を中心に、ドキュメンタリー/ノン・フィクション映画に特化したプログラムが組まれている。

  21. [21]

    佐々木主浩:元プロ野球選手。1968年生まれ。1990年から横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)の抑え投手として活躍。92年から98年にかけて5度リーグ最多救援投手になるなど、伝説的な記録を残した。

  22. [22]

    谷繁元信:元プロ野球選手。1970年生まれ。1989年から横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)の捕手として活躍。横浜がチーム38年ぶりのリーグ優勝・日本一を果たした1998年シーズンでは攻守ともに大きく貢献し、ベストナイン・ゴールデングラブ賞に加え、佐々木主浩と共に最優秀バッテリー賞を受賞した。

  23. [23]

    『晩春』(1949年/日本/108分):小津安二郎監督が手掛けた人間ドラマ。やもめの父親と結婚をためらう娘の絆を淡々と描いた。

  24. [24]

    スタンダード/アメリカンビスタ:「スタンダード」はかつての映画の画面の標準サイズを指す。縦横比は1:1.375もしくは1:1.33。「アメリカンビスタ」は現在世界的に最も採用されているサイズ。縦横比は1:1.85。

Information


映画上映イベント「ちょっとだけ遠い人々 現代映画と距離の感覚」

【日時】2023年12月10日(日)13:30-17:00
【会場】東京大学駒場キャンパス18号館ホール
【上映作品】和久井亮監督『Flip-Up Tonic』『金曜物語』たかはしそうた監督『移動する記憶装置展』
【登壇者(トークセッション)】
ゲスト:和久井亮(監督)/たかはしそうた(監督)
コメンテーター:竹峰義和/韓燕麗(東京大学大学院総合文化研究科教授)
司会:田口仁(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)

執筆者

Phantastopia編集委員会

企画:陰山涼/王宏斌/龐鴻/原田遠
記事構成:陰山涼/王宏斌
写真:陰山涼

Phantastopia 3
掲載号
『Phantastopia』第3号
2024.03.22発行