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研究ノート

クリス・マルケル『ラ・ジュテ』のナレーションを読む

小城大知

初めに

本研究ノートの目的は、フランスの映画作家クリス・マルケル(1921-2012)が1962年に制作した短編映画『ラ・ジュテ』を、ナレーションから再考することである。

スチール写真のみで構成された本作品は、第三次世界大戦で破壊された後のパリを舞台に、生き残った青年が科学者たちの実験に協力させられる中で、過去の幸せな記憶と対峙する様を描いている。マルケル自身が「フォト・ロマン(photo-roman)[1]」と呼称したこともあり、本作品は、マルケルの映画作品の中で唯一のフィクション映画として受容され、その内容設定や、写真を配列するだけという演出技法からも、「前衛映画[2]」あるいは「SF映画」としてマルケルの映画作品の中で独自の立ち位置を持つ作品として捉えられてきた。

しかしながら、この作品が同時代に作られた、アルジェリア戦争期のパリを考察する長編ドキュメンタリー『美しき五月(Le joli mai[3])』(1962、ピエール・ロムとの共同監督作品)の制作中に撮影された副産物としての写真によって構成された映画である[4]という事実が存在していることを忘れてはいけない。マルケルは、2003年の『リベラシオン』紙のインタビューの中で、本作品を構成する写真の大半が『美しき五月』の制作の間に撮った写真であることを明かしている[5]。このことからも、本作品はマルケルの映画作品の中で唯一のフィクション映画であるという独自の位置を占めるのではなく、ドキュメンタリー制作と大きな関係性を持つ作品であると考えることが出来るだろう。

本ノートではフィクションとして受容される本作品にも、ドキュメンタリー映画を主な製作作品としてきたマルケルに一貫した反権力的な政治的抵抗が存在するかを検討する。その中で、マルケルのドキュメンタリー作品の中で重要な位置を占めるナレーション・テクストの分析を通して、彼の「アーカイブ」への態度を考えてみたい。

『ラ・ジュテ』本編分析

ここから『ラ・ジュテ』の本編の分析に入ってきたい。映画は以下のナレーションから始まり、テクストがそのまま映像として映し出される。

これは幼少期の記憶に取りつかれた男の物語である。暴力によって彼を動揺させる光景が、第三次世界大戦が勃発する数年前、オルリー空港で起こったことの意味を彼が理解するのは、かなり後のことであったに違いない[6]

レイモン・ベルールが指摘するように、冒頭の「これ(ceci)」は、男そのものの幼年期の記憶によって生じたイメージ全体であり、そしてイメージとしての映画そのものに痕跡を残すイメージのことである。ベルールによれば、それは声によって観客に刻み込まれるものである。

コマンテール(ナレーション)は、ヴィジョンの起源となるためにイメージに向けられる。そして同時にイメージは我々を凝視する。まるで映像がある日記録され、イメージを正当化する語りの奥底から事物や人間の存在に譲渡不可能な難題に至るまで、一つずつ送りつけていくように[7]

マルケルの作品では、映像の中で登場人物が、カメラを「凝視する」というショットを見かけることができる。例えば『サン・ソレイユ』におけるカーヴォ・ヴェルデの港で働く黒人女性、『レベル5』においてカトリーヌ・ベルコジャが演じるローラといった人物を挙げることができる[8]。そして『ラ・ジュテ』においては、エレーヌ・シャトランの演じる女がカメラに向かってほほ笑んでいる画像が該当する。

アントワーヌ・ド・ヴェックは、カメラを凝視する登場人物たちのショットが、歴史あるいは語りから生じていると、つまり映画と歴史の出会いによってもたらされていると指摘している[9]。『ラ・ジュテ』においては、前作ともいえる『美しき五月』の冒頭で引用される1920年代パリを巡るジャン・ジロドゥのテクスト[10]、1960年代の労働者の生活、アルジェリア戦争、シャロンヌ事件というパリという都市の歴史との邂逅が、『ラ・ジュテ』のイメージをもたらしていると言える。そしてベルールを援用するならば、イメージの凝視をもたらすのは、『ラ・ジュテ』ではナレーションによる語りなのである。

1960年代のパリとの出会いによって映し出した写真群に対し、マルケルはどのように歴史と出会い語ろうとしたのか。1960年のパリを近未来と措定するフィクションとしてのナレーションは、以下のようにパリを位置付ける。

やがてまもなく、パリは壊滅した[11]

1960年代のパリ、1940年代のナチスドイツからの空爆を受け破壊されたパリの建物などを撮影した写真が、交互に映し出される。ではどのように、パリは「壊滅」したのか。この後のナレーションから理解できる。

パリの地表、そして間違いなく世界の大部分が、放射線で汚染され人が住めなくなってしまった[12]

このナレーションから、生じたとされる第三次世界大戦が核戦争であったこと、あるいはパリに核爆弾が投下されたということが理解できる。こうして、核戦争によって壊滅した世界を再建し権力を取り戻すべく、支配者階級である科学者たちは、生き残った者にタイムワープをさせるという実験を行う。

ナレーションは「過去の鮮明なイメージ」を引き出すために、被験者には「現実と引きはがす」必要があると語る。なぜ「現実と引きはがす」必要があるのか。アライダ・アスマンが指摘するように、それは男が実験によって向かうであろう過去、そして過去の出来事を収蔵するアーカイブが、「基底」や「権力所在地」と関わるからである[13]。マルケルの試みの核心はここにある。つまり、「過去」と再接続し抗うための素地を作るために、連関する関係にある「現在」を引きはがし、「過去」をもう一度解釈、読解しようと試みるのである。

敢えて、「現在を引きはがした過去」という男が受ける実験の描写を、実験者の視点から読み返してみたい。アライダ・アスマンの整理によると、アーカイブには支配による記憶が先行する。そしてアーカイブをコントロールするということは、記憶をコントロールするということにつながる[14]。だからこそ、本作品において権力者は過去へのワープを先に優先することになる。被験者たちに過去へのワープを行わせることで、権力支配に基づく秩序の再確立につながるからである。そして、現在が引きはがされた過去という形で運動を断絶させることにより、アスマンの指摘するような蓄積的記憶[15]を意図的に消し去ったイメージを必要とする。

実験自体がシャイヨー宮の地下空間[16]の中で秘匿に行われているという事態も、アーカイブを秘密裏に支配するという、権力者たちの思考を助長するだろう。実験を受ける男に対して、権力者の手先である科学者たちは視界を隠すようなマスクを装着する。即ち実験に関わる事項をすべて秘匿な形でコントロールすることで、断絶された「過去」を支配することに、権力者たちの意図の核心が存在する。アスマンも引用するデリダの次の文章が端的に示すように「アーカイヴのコントロールなくしては、政治権力は存在しない[17]」。コントロールが可能なアーカイブが存在しない限り、核戦争でほとんどの人間が住めない土地に、国家を再建することは困難である。権力者たちは、実験によって獲得した男の過去のイメージというアーカイブを、「支配の道具」として利用しようと試みていた。

それゆえに、ナレーションは「男」を主体にすることによって、この事態に抗おうとしているのではないだろうか。引きはがされた過去のイメージは、実験開始から10日経った後に、具体的な事象として現れる。朝、寝室という平和に関連したもの、子供、鳥、猫といった愛玩物へと引き付けられるもの、墓、人のいない空港という穏やかな消滅に関連付けらえる事物を「幸福な日々」の産物として捉えながら、ナレーションはその「幸福」は違うものであると応答する[18]。そして、次に映し出されるイメージは、「戦争」の産物=「廃墟」である。戦争や悲惨な事態がもたらす「蓄積的記憶」を保持しようと、彼の脳は抗いを求める。だからこそ、自らが取りつかれた女性の姿を、幸福のイメージとして捉えようとすることを拒否する。

実験から30日が経過し、女性の姿を理解できるようになった時に、男は女を唯一確信できる存在として認知できるようになる。女は、最初のナレーション及び写真で示されるように、暴力的な光景の中で、自らの生の意義を持たせる存在である。だが重要なのは男も女も「記憶を保持しておらず、何も計画がない[19]」ということである。つまり、過去が引きはがされることで、科学者が支配の対象とする過去に抗う新しいアーカイブを建設する可能性が存在する。それはジル・ドゥルーズが指摘したように、過去の経験が残存しながら、身体としての問いが俎上に載せられる状態に、生を見出そうとすることに近い[20]。身体が、抵抗のために何をなしうるのかという問いを検討するために、男と女は、まず記憶の再分析を行う。記憶の再分析として、彼らは庭園を歩くことで過去にいかなる邂逅を果たしたかを想起しようとする。想起する行為そのものが、ナレーションでは「彼らの時間が構築されている」瞬間であると説明される[21]

だが、現在において所有していたある物品が、過去の引きはがしに抗おうとする。

女がネックレスについて聞いた。間もなく始まる戦争で男が着けていた兵士のネックレス。彼は咄嗟にごまかした[22]

ネックレスという事物は、過去―現実の時間の流れから逃れることはできないことの物的な証拠となる。「過去の経験」の物的な痕跡を所有していたが故に、記憶の再分析は失敗に終わる。こうして「時間から逃れられない」ことを理解するかたちで、1回目の実験は終了する。

しかし、2回目以降の実験から、時間の構築を目指そうと男が抗っていることが理解できる。それは「純粋な信頼」、「無言の信頼」といった表現[23]であらわされるように、過去の再分析を行う中で、新たな時間や空間を再構築しようとする試みである。だが「その瞬間において、二人の前に障壁が立ちはだかっている[24]」という表現に見られるように、実験を終了させるのは、あくまでも権力側である。障壁とは、過去のイメージを掌握する主体が男自身にはないということを意味している。この言葉に見られるように、権力が男を実験において利用することを前提としている状況では、男が目指す過去の再建築も、権力支配という領域から逸脱することは困難であると言える。

では男はどのように抵抗するのか。女が呼称するように、彼は「幽霊さん(Spectre[25])」という形で、様々な記録を作り上げていく。男は様々な場所から出現し、女はある日は恐怖を感じ、ある日は歓待し身を寄せる振舞を示す。邂逅する時間の微々たる変化を伴いながら、両者は新たに記録を作り上げる。その一方で、彼の主体性が確立されているとは言えない。それは以下のナレーションから理解できる。

女に近づいてるのか近づかされてるのか、想像空想なのか、夢なのか、男には分からない[26]

実際に、観客は男ではなく女の方に主体性を感じることになる。なぜならこのナレーションの後、本作品において唯一動きが存在するシーンが展開されるからである。眠る女性が目を開ける瞬間が、本作品において唯一の運動が伴うシーンである。フィリップ・デュボワの指摘する通り、映画が「動くイメージ」である[27]というならば、本作品を映画として定義する大きな要素として女性の目が覚めるシーンを挙げることができるだろう。だが忘れてはならないのは、実験の受苦を甘受しているのが、女ではなく男であることである。写真家(マルケル)は、男が夢か現ともわからない状態の中で苦悩する姿を、クローズアップで撮影している。その後、男が女を連れていく場所は、剥製が展示される博物館である。剥製=bête éternellesという存在は、時間の流れに抗い永遠を表象する象徴として、彼に自由を与える。だからこそ、剥製という既存の美術史の中で博物館に分類される存在が飾られた博物館において、「彼は制限なくそこに留まり、あるいは移動することができる[28]」のである。それは『彫像でもまた死す(Les statues meurent aussi)』(1953)でも言及されるような、西洋中心主義的なの美術史への抵抗の側面を、フィクションという形に昇華させる行為である[29]とも言える。この男の苦闘によって、女は「気を許し[30]」、引きはがされた男の過去に新たな記憶が構築されていく。

ところが、過去へのワープは突如終了し、実験は未来へのワープへと変化する。権力者たちは、男の過去のワープによってもたらされたイメージを産物として掌握した。その結果、彼らは実験の成功を確信したからである。男は、過去へのワープによってもたらされた女性との邂逅のイメージを再び味わうことのできない苦しみと、権力者に抗うことのできない苦しみという二重の苦しみを味わうことになる。だが、権力者に抗うことが不可能な男は、更なる過酷な実験に参加し、未来へ到達する。未来の人類との対話を行い、彼は現在へ帰還するものの、彼は未来人との同盟も未来の都市光景も拒否する。彼が必要だったのは、主体的に自らが構築する世界のイメージであり、他者によって準備されたイメージではないからである。彼にとって、自らが介入していないイメージは空虚そのものである。だからこそ、未来の世界はかなり機械的であり無機質な空間として現れる。未来人は、黒味を帯びた曖昧な状態で登場し、またそこで展開されている未来図は、星々が散り散りになったきわめて抽象的な姿として登場する。

ラストシーンのナレーションは以下の通りである。男は未来人に頼み込んで冒頭シーンで登場する空港、即ち恋焦がれた女性に少年時代に初めて出会った場所に回帰することを決意する。

収容所からの追っ手に気づいた時男は悟った

人は「時間」からは逃れることはできない

子供の頃に目にしたあの時から、ずっと頭に残っていた取り憑いていたイメージは

自分の死の瞬間だったのだと[31]

ここから、逆説的に男の抵抗の身振りを確認することができる。ナレーションでも示されているように、男は権力者たちから差し向けられた暗殺者の手によって処刑される運命を背負うことになる。しかし、彼は未来人との同盟という、「時間」から逸脱しうる、ある意味最も救済される可能性を選ぶのではない。彼が選ぶのは過去のアーカイブに戻り、走り始めることであった。抵抗としての走るという身振りは、女性との再度の邂逅を求める意味もあれば、追ってくる権力者側の追跡者からの逃亡も意味する。だが最も重要なのは、アーカイブという政治的権力の介在なしには存在し得ない空間に対抗して、男が走り出したことである。四方田犬彦が指摘したように、本作品で過去の記憶の回復行為をマルケルは拒絶する[32]

しかしこれまでの分析で明らかにしたように、男はそもそも記憶を回復させようと試みているわけではない。マルケルは、沖縄戦に関するドキュメンタリー映画作品『レベル5』で主人公ローラが試みるような、記憶を別の媒体で改竄することも拒否する。しかしながら、過去の多層的なイメージの中で男は管理支配を拒み、自らの記憶の再構築を行おうとした。それは女性に対するノスタルジアを感じているからでもなく、あるいは過去がパラダイスであるからでもない。彼は、過去という権力の支配が前提となるアーカイブに抵抗することが必要だと考えていた。これこそが、男の実験の意義であったと考えることができる。だからこそ男には、死の運命が待ち構えているという結末になるのである。

アーカイブが基底となるのならば、基底はいかなる意義を持つのか。ジャック・デリダは以下のように指摘している。

基底材は抵抗する。抵抗せねばならぬ。抵抗が度を超すこともあれば、また十分ではないこともある。それが抵抗するのは、それがついにそれ自身として遇されるようになるためだ ―別のものの支えないし手先としてではなく、表象の表面ないし基体としてでもなく。表象は、基底材の方向へと横断しなければならぬ[33]

基底のもつ抵抗の必要性を、文学表象のレベルの次元ではあるものの、デリダは『アーカイヴの病』の執筆前に記したアルトー論において看破していた。また、過去を旅し再構築しようとする男がたどる死の運命は、逃亡ないし逃避不可能であるという一種の残酷さも孕んでいる。デリダは基底に襲い掛かる残酷さについて以下のように述べている。

残酷さは、常に基底材の上に激しく襲いかかる。そして歴史の上に。厚みを欠いた厚みとなって堆積し、みずからを内に取り込み、一枚の膜 ―これはそれ自身、ただ間に介在することにしか適さぬ膜であるが― のもつ二つの皮膚表面の間で間投詞を投げかけあう、そうした歴史の上に[34]

アーカイブは、権力による暴力と常に対峙する。男は、まさに権力によって物理的な痛みを伴う暴力的な実験に参加させられ、そして死に至るまで暴力に晒され続けた。そして本作品は、男だけではなく、ドキュメンタリー作品の副産物として撮られた写真そのものも暴力にさらされるという構造を持つ。写真は、フィクションによって核戦争という文脈を持つ。と同時に、現実においては、マルケルがレジスタンス活動期から『美しき五月』の製作段階にかけて撮影し収集してきた、第2次世界大戦からアルジェリア戦争に至る力の記録でもある。マルケルは、フィクションとしてのナレーションによって、戦争の暴力の惨禍のもつ残酷さをさらに強固なものにした。その中で、男と女の存在を抵抗の象徴として描いたと考えることができるだろう。

男は、暴力に耐えながら過去を旅する中で、権力主体の過去のアーカイブではなく、自らが主体の過去の記憶を構築しようとする。現在を切り離す過去のイメージを持つ男は、過去で女性と何度も出会い再構築を何度もかさねることで、一つの歴史を作り上げる。このことこそが、本作品が持つ抵抗の形であり、つまり権力者から被支配者たる男へと、主体の変遷が生じることでもある。女の存在は、新たな歴史の媒介者として、そして運動としての映画の存在へと観客を引き戻す役割を演じている。最終的に、男が行き着く先が死の運命であることが理解されていても、男は走り出すことで抵抗する。死がパラダイス(楽園)であることはなく、過去の自分の目の前で死ぬという残酷さは、男の抵抗の身振りの無力さを示していると考えることができるだろう。だが、未来にすがる形で自らが救済されるのではなく、過去のイメージで死を遂げることが、男の抵抗の身振りにおいて重要なのである。マルケルは、フィクションにおいてもドキュメンタリーにおいても、「権力に抵抗する」という一貫した思想を有していたことが理解できる。

終わりに:今後の課題

本ノートでは、『ラ・ジュテ』をアーカイブと抵抗という側面からナレーション・テクストを分析することで、写真を配列することによって構成された本作品から政治権力への抵抗のしるしを読み取った。しかし、分析対象がナレーション・テクストの内容のみに終始したことで、映画の手法が持つ抵抗の側面に目を向けることが出来なかった。

三輪(2014)も指摘しているように、マルケルが本作品の制作において意図的に「運動」を排除することで、既存の映画制作に抗おうとしたこと[35]はすぐに理解できる。既存の映画の製作から逸脱することそのものから、政治的な抵抗を読み解くことが今後の課題として残されている。

参考文献

・マルケルの文献

Chris Marker, La Jetée, New York, Zone Books, 1992.

Raymond Bellour, Jean-Michel Frodon, Christine Van Assche (dir.) Chris Marker, cat. exp., Paris, La Cinémathèque française, Actes Sud, 2018.

・マルケルに関する研究(2次文献)

『クリス・マルケル:遊動と闘争のシネアスト』港千尋監修、金子遊、東志保編、森話社、2016年。

Guy Gauthier, Chris Marker écrivain au cinéma, ou voyage à travers les médias, L’Harmattan, 2001.

・その他文献

アライダ・アスマン『想起の空間 文化的記憶の形態と変遷』安川晴基訳、水声社、2007年。

トム・ガニング『映像が動き出すとき 写真・映画・アニメーションのアルケオロジー』長谷正人編訳、みすず書房、2021年。

ジャック・デリダ『基底材を猛り狂わせる』松浦寿輝訳、みすず書房、1999年。

ジャック・デリダ『アーカイヴの病』福本修訳、法政大学出版局、2010年。

ジル・ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一、石原陽一郎、江澤健一郎、大原理志、岡村民夫訳、法政大学出版局、2006年。

三輪健太朗『マンガと映画 コマと時間の理論』NTT出版、2014年。

Antoine de Baecque, L’Histoire-caméra, Paris, Gallimard, coll. « Bibliothèque illustrée des histoires », 2008.

Raymond Bellour, L’Entre-Images 2 : Mots, Images, Paris, Éditions P.O.L, 1999.

Philippe Dubois, Photographie & Cinéma. De la différence à l’indistinction, Editions Mimesis, 2021.

Notes

  1. [1]

    但し、マルケル自身の編集により1992年に発刊した『ラ・ジュテ』写真集の副題は「シネ・ロマン(ciné -roman)」となっている。ここにおける「シネ・ロマン」はルイ・フイヤードらによって手掛けられた連続活劇(film à épisodes)の呼称「シネ・ロマン」とは異なる。

  2. [2]

    「前衛映画」としての『ラ・ジュテ』を巡っては、写真をつなぎ合わせる手法を分析の対象とする先行研究が生み出されてきた。研究の一例として、トム・ガニングによる「インデックス」(ピーター・ウォーレン)への批判(トム・ガニング「インデックスから離れて――映画と現実性の印象」『映像が動き出すとき 写真・映画・アニメーションのアルケオロジー』長谷正人編訳、みすず書房、2021年、145-179頁)を通じて、「動かない映像」=写真によって構成される映画としての本作品に運動の側面を見出そうとするものが挙げられる。そのような文脈の中で例えばフィリップ・ドゥボワ(2021)のように、この作品における「写真」と「停止画像」明確化の困難さを指摘したうえで、写真の比較によって身体の動きに着目したもの(Philippe Dubois, Photographie & Cinéma De la différence à lindistinction, Éditions Mimesis, 2021, pp. 246-266)、三輪健太朗(2014)のように、本作品が「映画」作品でありながら意図的に「運動」を排除し、既存の映画製作の手法から逸脱しようとしていたことを確認するもの(三輪健太朗『マンガと映画 コマと時間の理論』NTT出版、2014年、300-301頁)などがある。

  3. [3]

    Chris Marker, Pierre Lhomme. (Réalisateur). Le joli mai, 1962. 本作品は、1963年に165分の作品として公開されたが、マルケルの死後、マルケルの意向を踏まえ共同監督者のピエール・ロムによって編集された135分版も存在し、現在は後者がDVD等で流通しているものとなっている。

  4. [4]

    ただし、公開は『ラ・ジュテ』の方が『美しき五月』より早い。以下を参照。Raymond Bellour, Jean-Michel Frodon, Christine Van Assche (dir.) Chris Marker, cat. exp., Paris, La cinémathèque française, Actes Sud, 2018, p. 5.

  5. [5]

    https://www.liberation.fr/cinema/2003/03/05/rare-marker_457649/(最終閲覧2023年11月8日)

  6. [6]

    Chris Marker, La Jetée, New York, Zone Books,1996, p. 7.

  7. [7]

    Raymond Bellour, L’Entre-Images 2 : Mots, Images, Paris, Éditions P.O.L, 1999, p. 337.

  8. [8]

    レイモン・ベルールは同著で『レベル5』のカトリーヌ・ベルコジャについて以下のように指摘する。「ローラ、死んだ恋人、つまり本物または過去の恋人、そしてクリス(・マルケル)との間において「三者を用意したところで私たちはうまくはいかない」のである。このきわめてドキュメンタリー的な映画の登場人物が影の虚構の潜勢力となるのである。」(ibid., p. 229.)

  9. [9]

    Antoine de Baecque, L’Histoire-caméra, Paris, Gallimard, coll. « Bibliothèque illustrée des histoires », 2008, pp. 19-22.

  10. [10]

    以下の文章である。「1923年5月1日、ジャン・ジロドゥはエッフェル塔に上りそして以下のように記している。「わたしの目の前には5000ヘクタールの世界がある。ここでは最も考えられ、最も話され、最も書かれる。この地球の十字路は最も自由で、最もエレガントで、偽善というものがない。この軽やかな空気、わたしのすぐ下にひろがる空間は、エスプリと理性と美的感覚で幾重にも折り重なって層を成している。ここでは功業によってたまたま生じたものは、思考によってたまたま生じたこと。ここではどこよりも、曲がった背中も、ブルジョワと職人のシワも、デカルトとパスカルの読書、印刷本、背表紙によって勝ち取られた。ほら、あそこでは船をよく見るとガチョウの足を一番思い起こさせる。ほら、こっちではコルネイユ、ラシーヌ、ユーゴーを郵便局に運ぶのは一番に静脈瘤を思わせる。ほら、そこにはダントンのプレートを修理しようとして足を怪我した仕事人の家がある。ほら、ヴォルテール河岸の一角には、専制主義と戦うために一番結砂病が勝ち取られた小さな場所と、モリエールが死んだ時に彼の血が流れたほんの僅かな場所がある。」引用に際しては以下のテクストを底本にした。Guy Gauthier, Chris Marker écrivain au cinéma, ou voyage à travers les médias, L’Harmattan, 2001, p. 116. 尚訳出に際しては平手友彦氏からご教示いただいた。

  11. [11]

    Chris Marker, op. cit, p. 22.

  12. [12]

    ibid., p: 30.

  13. [13]

    アライダ・アスマン『想起の空間 文化的記憶の形態と変遷』安川晴基訳、水声社、2007年、407頁。

  14. [14]

    同上、408頁。

  15. [15]

    同上、408-410頁。アスマンは、蓄積的記憶について文化的記憶を様々にパースペクティヴ化することに対抗するとともに機能的記憶の背景として過去の意識的な隠ぺいに抵抗する役割を果たすと指摘する(同上、170-171頁)。

  16. [16]

    本作品の制作においてマルケルは、「記憶」にかかわる場所をロケーションに選んだという。その中でシャイヨー宮は当時シネマテーク・フランセーズが存在した場所であり、映画保存という記憶とかかわる場所であった。

  17. [17]

    ジャック・デリダ『アーカイブの病』福本修訳、法政大学出版局、2010年、7頁。

  18. [18]

    Chris Marker, op. cit, pp. 67-82.

  19. [19]

    ibid., p. 101.

  20. [20]

    ジル・ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一、石原陽一郎、江澤健一郎、大原理志、岡村民夫訳、法政大学出版局、2006年、263頁。

  21. [21]

    Chris Marker, op. cit, p. 112.

  22. [22]

    ibid.

  23. [23]

    ibid., p. 131.

  24. [24]

    ibid., p. 132.

  25. [25]

    ibid., p. 140.

  26. [26]

    ibid., p. 146.

  27. [27]

    Philippe Dubois, op. cit, p. 189. ドゥボワはここで写真をl’image fixe(静止したイメージ)と呼称し、映画をl’image mobile(動くイメージ)と定義している。

  28. [28]

    Chris Marker, op. cit, p. 156.

  29. [29]

    『彫像もまた死す』は1953年にアラン・レネと共同監督した作品であり、その中でマルケルたちは黒人芸術を分析する中で、西洋による美術作品の収奪、西洋中心主義的な分類や格付けによる美術館の陳列を批判する。「剥製」もまた「黒人芸術」と同様、西洋による収奪によって展示されている作品であり、今作品では「剥製」は、西洋から連れ去られ自らの土地や歴史とも引きはがされた存在であるとともに、実験の被験者である男のメタファーとして、時間の流れに抗う自由な存在として逆説的にとらえることもできる。

  30. [30]

    Chris Marker, op. cit, p. 166.

  31. [31]

    ibid., pp. 228-231.

  32. [32]

    四方田犬彦「原初の光景とその失墜」『クリス・マルケル:遊動と闘争のシネアスト』港千尋監修、金子遊・東志保編、森話社、2016年、24頁。

  33. [33]

    ジャック・デリダ『基底材を猛り狂わせる』松浦寿輝訳、みすず書房、1999年、31頁。

  34. [34]

    同上、75頁。

  35. [35]

    三輪健太朗『マンガと映画 コマと時間の理論』NTT出版、2014年、303頁。

この記事を引用する

小城大知「クリス・マルケル『ラ・ジュテ』のナレーションを読む」『Phantastopia』第3号、2024年、72-82ページ、URL : https://phantastopia.com/3/commentaire-de-la-jetee/。(2024年11月21日閲覧)

執筆者

小城大知
OGI Daichi

専門は映画研究、表象文化論。おもにフランスの映画監督クリス・マルケルの映画を中心にフランス映画、ドキュメンタリー映画、映像、アーカイブなどについて研究している。また関連して不定期に映画上映・字幕翻訳を手掛けている。

https://researchmap.jp/ogi-daichi

Phantastopia 3
掲載号
『Phantastopia』第3号
2024.03.22発行