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研究ノート

歴史家から神秘家へのパサージュアンリ・ブレモンと『フランスにおける宗教感情の文学史』をめぐって

福井有人

アンリ・ブレモン(1865-1933)は、キリスト教霊性史を専門とする歴史家である。エクス゠アン゠プロヴァンスのブルジョワ・カトリックの家庭に生まれたブレモンは、17歳でイエズス会に入会し、英国で養成を積んでいる。帰国後は教育活動に従事し、1900年前後から雑誌『エチュード』の編集に携わる。当時『エチュード』は、レオンス・ド・グランメゾン(1868-1927)やアルフレッド・ロワジー(1857-1940)など、のちに「モデルニスト」と呼ばれることになる論者たちの介入の場であり、この頃に始まる彼らとの交流はブレモンのイエズス会脱会(1904年2月)の遠因になったといわれる。以後ブレモンは、故郷の教区に所属しながら司祭として活動する。全十一巻に上る主著『フランスにおける宗教感情の文学史(Histoire littéraire du sentiment religieux en France depuis la fin des guerres de Religion jusqu’à nos jours)』は、文字通り、彼のライフワークであったといって過言ではない[1]。『宗教感情の文学史』をはじめとした霊性史研究によって歴史家・神学者として確固たる地位を築き上げたことは、1923年4月、ブレモンがアカデミー・フランセーズ会員に選出されたという事実に象徴される。この頃ブレモンが発表した小論『祈りと詩』(1926年)より「純粋詩」論争の口火が切られたことは周知のとおりである。その後、1933年に発作を起こして以降話すことが困難になり、同年8月に死去している[2]。2000年代には『宗教感情の文学史』の校訂版が出版されているが、ブレモンの著書の殆どは再版されておらず、依然として入手しにくい状況が続いていることは知られてよい。以下では、主に『宗教感情の文学史』を取り上げ、ブレモンの仕事を簡潔に紹介することを試みたい。

『宗教感情の文学史』は、主に16世紀後半から17世紀までのフランス神秘主義をめぐる歴史書である。フランソワ・ド・サルやベリュール、パスカルなどのビッグネームが名を連ねるものの、全体としては、当時専門家の間でさえほとんど忘れ去られていた作家たちを発掘し、光を照らすような構成を特徴としている。もっとも、『宗教感情の文学史』において特異なのは、コーパスそのものよりも方法論のほうであるように思われる。「17世紀の宗教生活を理解すること」[3]を主たる目的に据えるブレモンは、第1巻『敬虔な人文主義』(1916年)の緒言において、「宗教文学の歴史を理解するふたつの方法がある」と述べる[4]。ひとつは、「特定の時代や国における主要な宗教文献の作家を列挙し、彼ら彼女らの作品を叙述し、それぞれの独創性や文学的ないし哲学的美質を議論すること」[5]。こうしたオーソドックスな方法を大多数が採るというのはこんにちの眼から見ても明白な事実であるが、これとは異なる第二の方法を選んだ者たちもいるという。ニューマンやサント゠ブーヴの名を挙げて、ブレモンは以下のように告げる。

彼らの目的は、魂たち、たとえば、アウグスティヌスやサン・シランといった人々の宗教=信心の秘密へと、かくなる秘密の特殊な機微のうちへと入り込む〔pénétrer〕ことにある。これらのキリスト教徒の詩人たち、説教家たち、敬虔な作家たち──彼らの内密の生とは、彼らのまことの祈りとはいかなるものであったのか。彼らが語っている現実の個人的な経験とはどのようなものであったのか。これこそ、何よりもまず理解したいと思うことがらである。[6]

「宗教=信心〔religion〕」や「秘密〔secret〕」、「内密の生〔vie intime〕」や「経験〔expérience〕」といった語句からは、ブレモンが分析的な手法を取るのではなく、ミシュレのごとく、いわばテクストをみずからの血肉とするような内面的・経験主義的な方法を採用していることが理解される。ブレモンの関心は出来合いの宗教体系にではなく、それぞれの内省のもとで深められた個々人の神秘主義を解明することにある。さらにいえば、パーソナルな部分に注目するという態度はその叙述スタイルにも現れている。実際、ブレモンはこの書で、自身が信仰者であることを隠してはいない。一人称の多用もこの書の大きな特徴の一つである。緒言の続く箇所から引用しよう。

わたしが書くのは思弁の書物ではなく、文学と歴史の書である。わたしが提供する見事なテクスト、わたしがものがたる美しい行為の数々は、内的生についてのカトリックの教説を、事実のレベルに翻訳することによって、明確に定式化したり、あるいは前提したりしている。わたしはこのカトリックの教説を躊躇いなく受けいれているが、しかしながら、わたしはそれをはっきりと教説の形で提示しなくてもよいだろう。いまわたしたちの関心を惹いているもの、それは神秘的経験そのものではなく、神秘的生である。神秘的経験を分析するのは神学者や心理学者の領分であって、わたしたちは歴史のうちに、神秘家たちが書いたもののうちに、この経験が放つ輝きを追いかけていくことにしよう。[7]

『宗教感情の文学史』全体の基本方針を告げる澱みないパッセージである。「神秘的経験」とは、すなわち神の現前の「経験」のことであり、未発表の論考「神秘主義の階梯(L’échelle mystique)」においては、脱我・幻視・啓示といった観点から詳細に叙述されている[8]。だがこれらはあくまで「階梯」の一部であって、ブレモンが提示しようと試みているのは、「経験」をその一契機として含むような広い意味での霊性=「神秘的生」である。「経験」によって問いに付され深化を遂げる信仰の様態、「敬虔〔dévotion〕」や「愛徳〔charité〕」の特質を、テクストに触発されながら叙述することがブレモンの探究の主眼である。ところで、ブレモンにかぎらず、神秘主義において現前の「経験」はしばしばその不可言説性が強調される。超常的な体験が理路整然とした言説によって表示されえないという点は、神秘主義のトポスのひとつをなしているといってよい。ブレモンはこのことを認めているが、これが(ある事象が解明不可能であることの)アリバイとなることはない。というのも「彼らの経験が、語りえないもの、翻訳不可能なものであるとしても、経験が生じさせる観念〔idées〕や想像力〔imaginations〕、感情〔sentiments〕は語りえないものではないし、翻訳不可能なものでもない」[9]。ブレモンにおいて「感情」とは「経験」の個人的な表現にほかならず、それをテクストのうちに読み込んでゆくという手続きが取られる。このように、いわゆる「神秘体験」に考察を限定せず、個々の神秘家の生を包括的に眺めることにこそ、『宗教感情の文学史』は基本方針を置いている[10]

 

 

ところで、先に引用した一節においてブレモンは、「わたしが書くのは思弁の書物ではなく、文学と歴史の書である」と明言していた。しかしながら、第7巻(と第8巻)『諸聖人の形而上学』(1928年)においてこの言明は事実上、宙吊りにされている。というのも、『宗教感情の文学史』において初めて「哲学」が言及されるなか、「祈りの哲学」に着手され、ここでブレモンは明らかに歴史研究の領分を超える事柄に手を伸ばしているからだ。「本巻でわたしたちが探究することになるのは、祈りの本質、キリスト教の祈りの本質そのもの──祈りを祈りたらしめ、キリスト教の祈りたらしめる、いわく言いがたいなにか〔je ne sais quoi qui fait qu’une prière est prière, et qu’elle est prière chrétienne〕──である」[11]。このように、語りのトーンは他の巻と比べてやや異質に感じられる。とはいえこのことは、ブレモン自身が一人の神秘家として思考し、「哲学」をものがたる局面が前景化しているという点にこそ見てとれる。『諸聖人の形而上学』の冒頭でブレモンは、読者に対して次のように打ち明けている。

本巻を準備していた直近の時期にわたしが収集した数多の資料から、そして今なおわたしが手にするかもしれぬ数々の資料、つまりは幾多の証言の森から、キリスト教の祈りの、本来的な意味での教理の綜合、そのひとつの理論、ひとつの形而上学を引き出すことなど、わたしには夢にも思わなかった──あるとき突然、この綜合が、かつての霊性家たちによってすでに全体が構築され、堅固で光に満ち、この上なく慈悲深い姿で現れ、こういってよければ、ただ内省することだけを求めてきた、そのときまでは。[12]

この一節を読んでみると、テクストが祈りの「本質」を呈示するかのように現れてきたという、その発見の出来事をブレモンがある種の神秘的経験に擬して語っていることがはっきりする。数多の著述家を召喚しつつ祈りの「哲学」を論じるブレモンは、その叙述を踏まえるなら、かなりの程度神秘家たちに同一化しているように思われる。神秘家のポジションにみずからを重ねるブレモンの態度は、「いうなれば〔si j’ose dire〕」、「いわば〔pour ainsi dire〕」、「こういってよければ〔si l’on peut parler ainsi〕」といったエクスキューズがきわめて頻繁に用いられているという事実にも示されている。これらの挿入句は、慎重さを仄めかすよりもむしろ、歴史家としての領分を踏み越える際のサインとなっているように思われる。第7巻の第2章「フランソワ・ド・サルと祈りの哲学」から、関連する一節を引用しよう。

[……]最高の領域では、神への合一、真にして本質的な祈りが続くといわれる。ところで、まさにこの神秘的な領域こそ、神秘家たちが繰り返し述べてきたもの、いうなれば〔si j’ose dire〕彼らが長きにわたって名を与えてきた〔baptisée〕ものにほかならない。[13]

ここでブレモンが問題にしているのは、フランソワ・ド・サルによる魂のトポロジーでは「純粋なる尖頭〔fine pointe〕」と呼ばれる地点である(「わたしたちの魂の先端にして頂〔extrémité et cime de notre âme〕」とも呼ばれる)。フランソワ・ド・サルにおいて、これは「神殿」に見立てられる魂の最奥部に相当し、そこで魂に必要なのは「同意〔acquiescement〕」──ほとんど行為ともいえないような行為──のみであるとされる[14]。こうした心理学的洞察を、ブレモンは神秘主義の「本質」論にまでいわば拡大解釈しようとするわけだが[15]、そのような文脈においてブレモンの一人称が介入しているという事実に立ち止まってみよう。「いうなれば〔si j’ose dire〕」は、テクストにおいては「名を与えてきた〔[avaient] baptisée〕」を修飾しており、神秘家たちが時代や地域を超えて同じ出来事、同じ思想に参与してきたということの比喩を予告する役割を果たしている。ただしここでは、この表現がたんなるレトリック以上のものである可能性を示唆しておきたい。ここに含まれる一人称は、ブレモンもまた神秘家として「祈りの哲学」に参与しようとする瞬間を徴づけているように思われるのだ。傍証となる一節を以下に挙げよう。ブレモンはここで、「神中心主義者〔théocentristes〕」フランソワ・ド・サルとベリュールの思想的な近接性について述べている。

同一の理論的原理にして、同一の実践的な方向性。両名はそれぞれが固有の精髄を有しているから、他方の精髄、その精神、その流儀や言葉遣いからはまったくかけ離れているとしか思われないかもしれない。だが、こうしたさまざまな特殊性は歴史家ないしモラリストが取り上げるべき類のものであって、哲学者──わたしたちがいま、そうならねばならない存在──にとってそれは、根本的な同一性を前にして消え去ってしまう。[16]

「わたしたちがならねばならない〔nous devons être〕」のは「哲学者」であると述べられているが、照明を受けて「根本的な同一性〔unité foncière〕」を直観するのである以上、これを「神秘家」と同義と考えても差し支えないだろう。ここでもブレモンは、一人称を用いて、論じるべき対象である神秘家とみずからの姿とを重ねあわせるようにして叙述をおこなっている。ただしここでは「わたしたち」という複数形が使用されているため、読者を傍観者とさせず、同じ「哲学」を思考し、経験することへと誘っているかのような印象を与えている。

ブレモンが引き出してくる「形而上学」とは、いわば「純粋愛〔pur amour〕」の哲学とでも呼べるようなものだ[17]。それは「荒み〔désolation〕」、「乾燥〔sécheresse〕」、「絶望〔désespoir〕」、「夜〔nuit〕」、「悲嘆〔détresse〕」、「空虚〔vide〕」といった神秘家の精神的危機を基礎とするような哲学である。ルイ・シャルドンの『イエスの十字架』からブレモンが引いてきている次の一節は、「純粋愛」の思想を一個の逆説として見事に定義している。

ここで明かされるのは、以下のような逆説にほかならない。神は、姿を消せば消すほどにみずからをお与えになるということ。神の喪失による愛は、神〔の恩寵〕が注がれるときの愛よりも多くの現前を得るということ。感じられる恩寵の流入は、過剰なる苦悶に比べるなら、神の偉大さを引き寄せる力が少ないということ。愛は、慰めに満たされたときよりも、乾燥のうちにいる場合のほうが、より完全でより聖なる状態であり続けるということ。[18]

「純粋愛」は近世神秘主義のトポスのひとつだが、ここには見られるのはその極端な帰結である。愛するひとに抱擁され平安と温もりを与えられる、あるいは現前する神と親密に交流するといったヴィジョンは、ここには皆無である。いや、むしろここでは、極限まで高められた不安が平安へと反転しているというべきだろうか。ブレモンがあるところで用いている言葉を借りるなら、これは「逆さまになったエクスターズ〔extase au rebours〕」、「乾燥し、荒み、はぎ取られ、殉教を強いられた」エクスターズそのものといえるだろう[19]。影の濃さが陽の光の強さを示すように、「純粋愛」もまた「沈黙」にこそ現前の強度を見出す。それゆえ、ブレモンの神秘主義の公理は次のように要約されうる。「口をつぐまれたとき以上につよく神が現前することはなく、黙されたとき以上に内密にあなたを包み込み、あなたを所有することはない」[20]

 

 

本論は以上において、『宗教感情の文学史』を中心にブレモンの仕事を略述してきた。以後探究されるべき問題を最後に二つ提示し、論を閉じることにしたい。

(1)歴史家の一人称について。歴史家自身の「わたし」を史料や方法論、叙述の問題にまで介入させるスタイルは、こんにち、イヴァン・ジャブロンカが嚆矢となって一定の意義を認められつつある[21]。ひるがえって、一人称を用いることを躊躇わないブレモンの歴史実践にはどのような意義が認められうるだろうか。繰り返すように、『諸聖人の形而上学』においては、神秘家と同じように「夜」を経験しようとする態度が色濃い。もちろん、以上にみたブレモンの告白にはある種の自己演出が含まれていることが否めない以上、それを文字通りに受け取ってはならないだろう。神秘家への同一化がいくぶん理想化されていることに鑑みるなら、むしろブレモンの叙述には、対象との同一化だけでなく距離化をも読み込む必要がある。それゆえわたしたちは、時代的な隔たりをもつにも関わらず、近世の神秘家たちにブレモンがある種のシンパシーを抱いたのはなぜなのかを問わなければならない(ブレモンがイエズス会の脱会者であり、すなわち制度にとって異端的な存在であったことを想起されたい)。『宗教感情の文学史』において「感情〔sentiment〕」が方法論的観点として選択されたことはブレモンの同一化/距離化とどのように関わっているかということも、併せて検討されるべきであろう[22]

(2)キリスト教の「本質」について。『諸聖人の形而上学』は、「本質」論の陥穽にはまり込んでいるとの誹りを免れないかもしれないが、よりによって、異端的な傾向をもつ(すなわち、制度によってインターセプトされずに神と直接交流することをめざす)「純粋愛」の思想に「本質」を見ているという点はあらためて考察される余地がある。「モデルニスト」としてのブレモンを考えるにあたってこの問題は肝要であり、ひいては、教会なしのキリスト教というものはありうるか[23]、ならびにキリスト教にとって(歴史的に/こんにち)制度はいかなる役割をもつかという問いへ導くものであると思われる。

参考文献

Bergamo, Mino. La Science des saints. Le discours mystique au XVIIe siècle en France, Grenoble, Millon, 1992.

Bremond, Henri. Histoire littéraire du sentiment religieux en France depuis la fin des guerres de Religion jusqu’à nos jours, dir. par François Trémolières, 10 vol., Grenoble, Jérôme Millon, 2006.

Certeau, Michel de. « Henri Bremond, historien d’une absence » [1966] in : Le Lieu de l’autre. Histoire religieuse et mystique, éd. par Luce Giard, Paris, Seuil/Gallimard, 2005

Goichot, Émile. Henri Bremond, historien du sentiment religieux. Genèse et stratégie d’une entreprise littéraire, Paris, Ophrys, 1982.

Houdard, Sophie. Les Invasions mystiques. Spiritualités, hétérodoxies et censures au début de l’époque moderne, Paris, Les Belles Lettres, 2008.

Kolakowski, Leszek. Chrétiens sans Église. La conscience religieuse et le lien confessionnel au XVIIe siècle, traduit du polonais par Anna Posner, Paris, Gallimard, 1969.

Le Brun, Jacques. Le Pur amour de Platon à Lacan, Paris, Seuil, 2002.

Le Brun, Jacques. La Jouissance et le trouble. Recherches sur la littérature chrétienne de l’âge classique, Genève, Droz, 2004.

Terestchenko, Michel. Amour et désespoir. De François de Sales à Fénelon, Paris, Seuil, « Points », 2000.

Traverso, Enzo. Passés singuliers. Le « je » dans l’écriture de l’histoire, Montréal, Lux, 2020.[エンツォ・トラヴェルソ『一人称の過去──歴史叙述における〈私〉』宇京頼三訳、未來社、2022年。]

Weil, Simone. Attente de Dieu, Paris, Fayard, 1966.

Notes

  1. [1]

    Henri Bremond, Histoire littéraire du sentiment religieux en France depuis la fin des guerres de Religion jusqu’à nos jours, dir. par François Trémolières, 10 vol., Grenoble, Jérôme Millon, 2006. 以下、引用に際してはHLSRと略記し、旧版と校訂版の頁数を併記する。『宗教感情の文学史』の生成研究としては、書簡も含めて総合的な検討をおこなっている以下の著作が決定的に重要である。Émile Goichot, Henri Bremond, historien du sentiment religieux. Genèse et stratégie d’une entreprise littéraire, Paris, Ophrys, 1982.

  2. [2]

    ブレモンの伝記的事実に関しては、以下を参照した。Émile Goichot, « Henri Bremond : un historien de la faim de Dieu » [1984], in : HLSR, t. I : L’Humanisme dévot,op. cit., pp. 13-17.

  3. [3]

    HLSR, t. I : L’Humanisme dévot, op. cit., p. XI [vol. 1, p. 59].

  4. [4]

    Ibid., p. V [vol. 1, p. 55].

  5. [5]

    Ibid.

  6. [6]

    Ibid.

  7. [7]

    Ibid., p. XXI [vol.1, p. 66]. 強調は原文による。

  8. [8]

    « Annexe. L’échelle mystique » in : HLSR, vol. 1, op. cit., p. 845-850. 

  9. [9]

    HLSR, t. I : L’Humanisme dévot, p. XXI [vol.1, p. 66].

  10. [10]

    ブレモンの探究を引き継ぐ現代の論者としては、ジャック・ルブラン、ミシェル・テレスチェンコ、ミノ・ベルガモ、ソフィー・ウダールらが挙げられる。彼らの研究は、より大きな時代的・地域的な枠組みのもと、キリスト教神秘主義の歴史的系譜、制度との逆説的関係、レトリックの意義、哲学との相互的な影響を解明するものといえる。Jacques Le Brun, Le Pur amour de Platon à Lacan, Paris, Seuil, 2002. Michel Terestchenko, Amour et désespoir. De François de Sales à Fénelon, Paris, Seuil, « Points », 2000 ; Mino Bergamo, La Science des saints. Le discours mystique au XVIIe siècle en France, Grenoble, Millon, 1992 ; Sophie Houdard, Les Invasions mystiques. Spiritualités, hétérodoxies et censures au début de l’époque moderne, Paris, Les Belles Lettres, 2008.

  11. [11]

    HLSR, t. VII : La Métaphysique des saints, p. 6 [vol. 3, p. 36].

  12. [12]

    Ibid., p. I [vol. 3, p. 33].

  13. [13]

    Ibid., p. 55 [vol. 3, p. 68].

  14. [14]

    このことを顧みるなら、以下の一節は、シモーヌ・ヴェイユもまた「純粋愛」の伝統に連なることを証言するものとして読むことができないだろうか。「魂が愛するのは、被造物として、創造された愛によってではない。魂におけるこの愛は神的であり、創造されざるもの〔incréé〕である。というのも、この魂を通り過ぎてゆくのは、神に対する神の愛なのであるから。神だけが神を愛することができる。わたしたちにできるのは、この愛の通り道を魂のなかに空けるために、自分自身の感情を喪失することに同意することだけである。それこそがすなわち、自己自身を否定することにほかならない。わたしたちはこの同意〔consentement〕のためだけに創造されたのだ」(Simone Weil, Attente de Dieu, Paris, Fayard, 1966, pp. 88-89)。

  15. [15]

    ジャック・ルブランは、ブレモンの哲学的探究を「神秘主義的人間学(une anthropologie mystique)」と形容するとともに、それをクローデルやベルクソン、アンリ・ドラクロワらによる同時代の言説との関係で理解すべきであると指摘している。Jacques Le Brun, « Henri Bremond et la “métaphysique des saints” » in : HLSR, vol. 3, op. cit., p. 13.

  16. [16]

    HLSR, t. VII : La Métaphysique des saints, p. 112 [vol. 3, p. 105].

  17. [17]

    Cf. Michel de Certeau, « Henri Bremond, historien d’une absence » [1966] in : Le lieu de l’autre. Histoire religieuse et mystique, éd. par Luce Giard, Paris, Seuil/Gallimard, 2005, pp. 59-88.

  18. [18]

    Cité, in HLSR, t. VIII : La Métaphysique des saints**, p. 71 [vol. 3, p. 354].

  19. [19]

    Ibid., t. VII, p. 108 [vol. 3, p. 102].

  20. [20]

    Ibid., t. VIII, p. 26 [vol. 3, p. 325].

  21. [21]

    この点については、以下の著作が批判的な観点から取り上げている。エンツォ・トラヴェルソ『一人称の過去──歴史叙述における〈私〉』宇京頼三訳、未來社、2022年。

  22. [22]

    以下に挙げる研究においてジャック・ルブランは、ブレモンによる「経験」概念の使用について批判的に論じている。Jacques Le Brun, La jouissance et le trouble. Recherches sur la littérature chrétienne de l’âge classique, Genève, Droz, 2004, p. 57-61.

  23. [23]

    Cf. Leszek Kolakowski, Chrétiens sans Église. La conscience religieuse et le lien confessionnel au XVIIe siècle, traduit du polonais par Anna Posner, Paris, Gallimard, 1969.

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福井有人「歴史家から神秘家へのパサージュ──アンリ・ブレモンと『フランスにおける宗教感情の文学史』をめぐって」『Phantastopia』第3号、2024年、83-92ページ、URL : https://phantastopia.com/3/bremond-histoire-litteraire/。(2024年11月21日閲覧)

執筆者

福井有人
FUKUI Arito

博士課程。神秘主義研究、近現代フランス思想史。「幻視する解釈者──ミシェル・ド・セルトーにおける「記憶」の概念について」『超域文化科学紀要』第27号、2023年。ティフェーヌ・サモワイヨ『評伝ロラン・バルト』水声社、2023年(共訳)。ロラン・バルト『バルザックの『サラジーヌ』について セミナーのための未刊のノート』水声社、2022年(共訳)。

Phantastopia 3
掲載号
『Phantastopia』第3号
2024.03.22発行