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論文

バザンとバルト

髙草木倫太郎

はじめに

アンドレ・バザン(1918-1958)の「写真イメージの存在論」は、彼自身によって1958年刊行の『映画とは何か』第一巻の冒頭に据えられ、現在では、バザンの映画理論における礎をなすものとして広く認識されている(初出は1945年刊行の『絵画の諸問題』において)(堀 2018: 30)。カメラという機械の持つ特性が、写真と被写体の間に特殊な関係を築き、人間に対して新たな世界との遭遇を可能にすることを宣言したこの論考は、バザン流「写真的リアリズム」というべき考えを、高濃度で凝縮した記念碑的論考である。

一方、1980年に(バザンが中心人物として活動した『カイエ・デュ・シネマ』から)出版された、ロラン・バルト(1915-1980)による写真論、『明るい部屋』では、母を亡くしたばかりのバルトが、母の幼少期の写真(「温室の写真」)を通して写真とは何かを問う。個人的反応から出発する「個別学」の試みを通して、写真の普遍性へと至ろうとする態度は、バルトによる非常に個人的な語りであると同時に、『明るい部屋』を写真について考える際の必読文献にしている(Barthes 2002c: 795; バルト 1997: 15)[1]。バルトはその後すぐに自動車事故でこの世を去ってしまうため、この著作が彼の遺作となった。

バザンによる最初期の論考と、バルトによる遺作は、奇妙な形でシンクロする。両者の近接性はこれまで度々指摘されてきたが、論考によって指摘される両者の共通点は様々で、体系的な理解が存在しているとは言えない。そのため、本稿の目的の一つは、写真イメージを軸にした両者の関係についての全体像を提示することにある。バザンとバルトは、共にサルトルのイメージ論を引き継いだ上で、写真という場でそれを発展させ、写真の「非合理性」、「豊かさ」、写真が世界を提示する仕方、というテーマに沿って「写真とは何か?」という問いに答えようとしたのであった。

一方、これまでの議論では、二人がどのような点で異なっていたのかという問題には、十分な注意が向けられてこなかった。例えば、マッケイブは、バザンが写真を人類学的な視点から、他の芸術や、ひいては人間の進化といったものとの関係において、考察することを目指したのに対し、バルトの『明るい部屋』は亡き母に対する個人的な思いから執筆されたものであるとし、両者の差異を浮き立たせている(MacCabe 1997: 75)。しかし、『明るい部屋』におけるバザンとの近似性は、バルトのそれより前の著作からも読み取れるものであり、バルトの個人的動機を引き合いに出すのは不適切であるように思われる。実際、ワッツは、バザンによる「写真イメージの存在論」と、「イメージの修辞学」(1964)といったバルトの論考との間の類似性を指摘している(このことについては後で詳しく述べる)(Watts 2016)。

本論考では、今まで十分に考察されてこなかった、二人の写真に対する態度の違いについて明らかにすることで、さらなる議論の土台を形成することを目指す。両者の類似点と相違点を十分に明確にすることで、それぞれの写真論をよりよく理解するための道筋を開くことができるだろう。

本論に入る前に、マッケイブも指摘するような、『明るい部屋』におけるある種の奇妙さについて簡単に指摘しておかなくてはならない(MacCabe 1997: 74)。その奇妙さとはすなわち、『明るい部屋』(あるいはその他の写真に関するバルトの論考)における議論がバザンの「写真イメージの存在論」に大きく影響を受けているように見えるにも関わらず、バルトはバザンという名にほとんど言及しないということである[2]。サルトルの『イマジネール』を意識して「写真イメージの存在論」を書いたバザン(Andrew 2008)。『明るい部屋』を『イマジネール』に捧げたバルト。「存在論」という言葉を題名に用いたバザン(Bazin 2018b; バザン 2015)。写真の「存在論」を語る欲求を表明するバルト(Barthes 2002c: 791; バルト 1997: 7)。トリノの聖骸布に言及するバザン(Bazin 2018b: 2556; バザン 2015: 23)。同じような文脈(写真における人為性の排除)で、トリノの聖骸布について語るバルト(Barthes 2002c: 855; バルト 1997: 102)。

両者の類似性について、具体的な内容に踏み込むのは本論に回すとして、表面的な比較だけでも、両者の議論が非常に似通っていることがわかる。『明るい部屋』(あるいはバルトが写真や映画について語った他の著作)におけるバザンの奇妙な不在はどのように説明することができるのか。マッケイブは、バザンの議論が無意識のうちにバルトへと流れ込んだ可能性を指摘しているが、バルトが他の場所でバザンを引用していることから、それを理由とするのは妥当性が低い(MacCabe 1997: 75)。マッケイブが指摘する、バザンとバルトの根本的な違い(バザンが人類学的な幅広い視点から写真を見ていたのに対し、バルトは個人的な感情から写真を見ていた)も、数々の類似性を前にすれば、不在を説明するものではない。本論では、さらに踏み込んで両者の相違を考察するが、そのような相違を踏まえた上でも、バザンの不在が納得されるわけではない。

ワッツはこの問題に対し、歴史的な視点から一つの結論を与えている(Watts 2016: 40)。60年代から80年代にかけて、フランスではバザンの影が極端に薄くなっていく。それは、記号学的、構造主義的アプローチの台頭によるところが大きい。そして、バルトはこのような風潮を先頭で推進した人間だった。バルトはバザンの追放に寄与した者のうちの一人であったのだ。

バザンの存命中から、のちに「映画記号論」として結実することになる、映画を科学の対象として扱おうとする傾向が徐々に拡大していく。そのような傾向は60年代以降、さらに加速することになるのだが、50年代からすでに、バルトの文章は「映画記号論」の方へと歩を進めていた。それ故、50年代において、文化批評のフィールドでは、ある種のライバル関係が存在していたことになる。科学的なアプローチを取ろうとするバルトにとって、バザンによる従来の映画批評は乗り越えるべきものであったのだ。しかし、この追放には、ある種の貸しがつきまとった。映画(あるいは写真)について考える際、バザンの影響は拭い切れるものではなかったのだ。バルトはバザンの追放に寄与しながらも、バザン的なものが自分の考察の中に残ってしまうことに気づいていたのだろうか。そのような複雑な状況から、バザンを引用することへの拒否という結果が生じたと考えられるかもしれない(Watts 2016: 40)。

最後に、対象とするテクストについて確認しておかなくてはならない。アンドルーは、バザンの関心は1940年代後半において、リアリズムから脚色や映画の社会的機能へと移行していったと主張している(Andrew 2010: 110-112)。リアリズムに関する議論が完全に消えてしまったわけではないが、大まかにそのような重心の変化があったのは事実だろう。本稿で扱うのは、「写真イメージの存在論」を中心とした、今まで「写真的リアリズム」と称されてきたテーマであり、バザンの脚色や映画の社会的機能に関する考察は射程に入ってはいない[3]

一方、バルトについては、主な考察対象は『明るい部屋』となるが、彼の記号学的実践の中にも、『明るい部屋』における考察の萌芽となる部分があることは明らかである。それ故、ワッツの比較研究からもわかるとおり、バルトのキャリア全体を通して、バザン的なものを垣間見ることができる(Watts 2016)。ただ同時に、『明るい部屋』が、バルトの写真論の総決算であることも事実であろう。以下では主に、バザンが「写真イメージの存在論」で表明した考えと、バルトが前期の論考を引き継ぎつつ『明るい部屋』で結実させた考察を比較していくが、「写真のメッセージ」や「イメージの修辞学」など、バルトによる前期の論考も適宜参照する。

1. 両者の類似点

1-1. 非合理性から知覚対象としての写真へ

最初に取り上げたいのは、写真に非合理性と知覚対象としての性格を見出す両者の視点である。そのことを確認するためには、写真について語る際に両者が意識していた一つの著作について指摘しておかなくてはならない。それこそ、ジャン=ポール・サルトルによる『イマジネール』である。バザンは「写真イメージの存在論」を執筆する前の時期にサルトルの著作を読み、考え方や用語法において、大きな影響を受けたと考えられる(Andrew 2008)[4]。また、バルトは、『明るい部屋』を、『イマジネール』に捧げており、より明白な形で自らの写真論と『イマジネール』の関係を示している。ただ、両者ともに、サルトルの議論をなぞることに終始している訳ではない。それどころか、重要な点で、『イマジネール』における議論からの離脱が示されている。

まずは、サルトルの写真に関する議論を概括することから始めたい。サルトルの考察対象は、一般的にいう「心的イメージ」である。それは、大まかに、想像によって我々にもたらされるイメージとして捉えられるものだ。そのようなイメージは、志向的対象に向かうためのものとして考えられている。サルトルはイメージを、「ある関係にほかならない」と表現する。例えば、人がピエールという人物について抱く想像的意識は、「ピエールのイメージの意識ではない」。なぜなら、その人の注意はイメージに向けられるのではなく、ピエールという対象そのものに向けられるからである(Sartre 1940: 17; サルトル 2020: 42)。サルトルにとって、イメージは、対象へ向かうための媒介として機能していると言うことができる。

ここで注意しなくてはならないのは、写真が、以上のように対象へ至るためのイメージの、素材(アナロゴン)として捉えられているということである。すなわち、ピエールの顔が直接現前していないときに用いる、「知覚の等価物」として働く素材が写真であり、それはイメージの前段階として位置付けられている(Sartre 1940: 31; サルトル 2020: 68)。しかし、以下の引用文からも分かるとおり、イメージとその素材の区別は必ずしも明確ではない。

心的表象、写真、カリカチュア。このように大きく異なる三つの事象は、我々の例において、同一過程の三つの段階、固有の作用の三つの契機として現れる。初めから終わりまで目的は同一であり続けるのだ。その目的というのは、そこにはいないピエールの顔を私に現前させることである。しかし、心理学においては、主観的表象にのみイメージという名を割り当てる。それでいいのだろうか?(Sartre 1940: 31; サルトル 2020: 67)

ここで何かしらの結論を出すことはできないが、サルトルの議論の曖昧さを保存する形で、大まかに写真とイメージを等号で結び、論を進める[5]。後述部分からも明らかな通り、バザンとバルトはそのような態度をとって自分達の議論を展開したと考えられる。

その上で、サルトルがイメージに見出した特徴を大まかに確認しておく。最初に挙げられるイメージの特徴は、「イメージは一つの意識である」ということだ(Sartre 1940: 14; サルトル 2020: 38)。これは、サルトルが「内在的錯覚」と呼ぶものへの批判と関わっている。例えば、ピエールという人物のことを想像するとき、ピエールのイメージが意識の中に存在するという考え方が、「内在的錯覚」と呼ばれる。しかし、ピエールは意識の対象として意識の外にあるのであり、意識の中にあるのではない。サルトルにとって、イメージは意識内に存在する対象のコピーではなく、対象へと向かう意識そのものである(大石 2007: 204)。サルトルがイメージを媒介として捉えていたことが、ここでも明確に理解できるだろう。

第二の特徴は、「準-観察」という現象に関わるものである。この部分は、次の節で詳しく説明するので、ここでは説明を省きたい。第三の特徴は、「想像的意識は対象を一つの無として措定する」というものである。現前するピエールを知覚する場合と異なり、ピエールのことを想像するとき、不在の(absent)ピエールは、「無」として措定される。対象のモードは不在だけとは限らず、サルトルは、対象が「非実在である」(inexistant)場合、「他の場所で実在する」(existant ailleurs)場合、「対象を実在のものとして措定しない」場合(中立化の状態)を他の例として挙げている(Sartre 1940: 24; サルトル 2020: 55)。大石が指摘するように、サルトルにとって、イメージは現実に対する何らかの「否定」を内包しているのだ(大石 2007: 205)。第四の特徴は自発性である。知覚が知覚対象を受動的に取り込むものであるのに対し、想像はある種の創造性を持ち、知覚にはない自発性を伴っている(Sartre 1940: 26; サルトル 2020: 60)。

その上で、バザンとバルトの共通性を考えるにあたり、もう一つ付け加えておかなければならない特徴は、サルトルがイメージに見出した非合理性である。サルトルは以下のように述べる。

イメージとモデルの間に立てられる最初の絆は、流出(émanation)の絆である。オリジナルは存在論的優位にある。しかし、オリジナルは具現化され、イメージへと降りていく。これこそ、未開人が自分の肖像を見たときの反応や、黒魔術のいくつかの実践(針が刺された蝋人形、狩りの成功を祈願して壁に描かれた傷ついたバイソン)を説明するものだ。また、これは今日では消えてしまった考え方というわけではない。イメージの構造は我々においても依然非合理的であり、ここでもどこでも、我々は前論理的土台の上に合理的構築物を築いているに過ぎないのだ(Sartre 1940: 39; サルトル 2020: 81)。

イメージとそれが向かう対象は「流出」というつかみどころのない絆で結びついている。この絆によって、人はイメージからその対象に至ることができる。このように、サルトルは、イメージの構造、あるいは想像という行為に「非合理的」な側面を認めている。その上で、サルトルの議論においては、「知覚−合理性」と「想像−非合理性」という区分が存在していると言うことができる。これらの考察を踏まえ、バザンとバルトのテクストに目を転じると、サルトルからの影響の痕跡が明確に見て取れるだろう。

この部分については、アンドルーのように、サルトルの影響をバザンの言葉遣いの中に見出すことができるかもしれない。バザンは、古代において人類が死に抵抗するために考案した戦略を紹介することから「写真イメージの存在論」を始めており、そこで彼は、芸術の起源に「ミイラ・コンプレックス」と呼ばれるメンタリティーを見出す有名な議論を展開している。死体の外見を固定しようとする試みには、時間から身を守ろうとする人類の欲求が表れているのだ。バザンは議論を発展させ、「外見によって存在を救う」ことを彫刻の最初の役割として捉えるのだが、その文脈で彼は、狩りの成功を祈願するために作られた、「先史時代の洞窟にある、矢の刺さった粘土のクマ」について述べている(Bazin 2018b: 2555; バザン 2015: 10)。アンドルーはこの例と、サルトルの文中に登場する「針が刺された蝋人形」との類似性を指摘している(Andrew 2008: 62)。

このような戦略に、芸術の誕生の重要な契機を見るバザンは、サルトルのいう人間の前論理的営みに関する考察から、自らの写真論を始めている。このような類似は、バザンが写真というイメージに宿る、「非合理的な力」について語る部分にも見出すことができる(Bazin 2018b: 2557; バザン 2015: 17)[6]

その上で、バルトの『明るい部屋』に目を転じると、再びサルトルの議論と似たような記述を見つけることができる。

写真とはコードのないイメージである——たとえコードが読み取りの仕方を変えるとしても、そのことは明らかだ——とかつて主張したとき、私はすでにリアリストの一人であり、今もそうであるのだが、リアリストは決して写真を現実の《コピー》と見做しているわけではない——リアリストは写真を過去の現実の流出(émanation)と見做しているのだ(Barthes 2002c: 859; バルト 1997: 108)。

「流出」(émanation)という言葉の使用には、明らかにサルトルへの目配せが含まれている。サルトルがイメージに付与した非合理性に関する議論が継承されていると考えることができるだろう。そして、バルトはこの後の部分で、「『写真』は一つの魔術であり、技術(art)ではない」と主張する(Barthes 2002c: 861; バルト 1997: 109)。写真というイメージにある種の魔術性、非合理性を見出す点で、バザンとバルトはサルトルの議論を同様の形で継承しているのだ。

しかし、ここにおいて両者は、サルトルから決定的な仕方で異なる議論を展開することになる。まずはバザンの議論について見ていく。ローウェンスタインが指摘するように、サルトルが峻別した知覚と想像(合理性と非合理性)は、バザンにとって、写真という場で融合することになる(Lowenstein 2014: 14)。すなわち、バザンにとっての写真は、イメージに付与される非合理性を温存しつつも、サルトルが考えたような対象へ至るための単なる媒介ではなく、それ自体知覚の対象であるのだ。実際、バザンの議論からはそのことが明らかに見て取れる。バザンは以下のように述べている。

その創造的な力において、自然は芸術家を越えることすらできる。画家の美的世界は、画家を取り巻く世界と比べて不均質である。額縁は、実体も本質も周囲と異なる小宇宙を切り取るのだ。反対に、写真に撮影された対象の存在は、指紋のように、モデルの存在自体にあずかるものである。それゆえ、写真は自然の創造物を別の創造物で置き換えるのではなく、自然の創造物に実際に加わることになるのである(Bazin 2018b: 2557; バザン 2015: 19)

写真は何かを「置き換える」、すなわち代理するものではない。写真は、それ自体、

オリジナルの創造物として、自然に加わることになる。この箇所は、サルトルの議論を参照して初めて、その意味を十全に理解することができる。サルトルにとって写真は、「自然の創造物を別の創造物で置き換え」たもの、すなわち、元の対象に至るための代理物でしかなく、知覚の対象としての価値は概して低かった。一方、バザンにとって、写真はオリジナルの創造物と同じ価値を持つ。それは、対象へ至るための経由地ではなく、そのものが知覚の目的として、眼前に現れるのだ。最終的に果たされるのは、知覚と想像、合理性と非合理性の融合である。

想像的なものと現実の間の論理的区別は、消え去っていくだろう。あらゆるイメージは対象として、あらゆる対象はイメージとして感じ取られなくてはならない。それゆえ写真は、シュルレアリストの創造における特権的な技術を表していた。なぜなら写真は、自然の性質をもつイメージを実現するからだ。それは、現実の幻覚である(Bazin 2018b: 2557; バザン 2015: 20)[7]

このように、バザンの議論では、サルトルが設定した「想像的なものと現実の間の論理的区別」は写真において撤廃されることになる[8]

その上で、バルトもバザンと同様の方向へ、サルトルから離脱していったと考えることができる。すなわち、写真を対象へ至るための媒介ではなく、知覚対象そのものとして捉える態度をバルトはバザンと共有していた。しかし、この離脱は、バザンよりも微妙な形で行われた。なぜなら、バルトにおいては、これがサルトルの議論を元に行われるからである。というのも、サルトルは、写真の知覚対象としての性格を完全に無視していたわけではないからだ。サルトルは以下のように述べる。

その上、写真を見ても私が無関心の状態にとどまり、「イメージ化」を実行すらしないということもある。写真は漠然と対象として構成され、そこにいる人物は人物として構成されながら、人間との類似性によってそうなっているに過ぎず、特定の志向が存在するわけではない。それらは知覚の岸辺、記号の岸辺、イメージの岸辺の間を漂い、決してどの岸にも到着しない(Sartre 1940: 40; ; サルトル 2020: 83)。

ここでは、写真が「対象」として捉えられている。サルトルは、写真を完全な「知覚対象」とは言い切っていないが、写真が媒介以外の何者かになる可能性は排除できないことを示唆している。そして、この部分こそバルトが『明るい部屋』で引用する部分なのだ(『イマジネール』からの文の直接引用はこの部分のみである)(Barthes 2002c: 803; バルト 1997: 30)。そして、バルトは、サルトルが特殊な状況のみに認めた、写真を知覚対象として捉える態度を、より一般的な写真の性質へ結び付けようとする。それが最もよく現れているのが以下の一文である。

私は写真の指向対象を知覚する(ここで写真は真に自らを超えている。これこそ、写真の技術を証明する唯一の証拠ではなかろうか? 媒介medium)としての自己を消し去り、もはや記号ではなく、ものそのものになること?)(強調原著者)(Barthes 2002c: 823; バルト 1997: 60)

イメージを対象へ至るための媒介として捉えたサルトルとは異なり、バルトにとっては、写真自体が知覚の対象として現れる。写真が「ものそのもの」となることを主張するバルトの議論は、写真を「モデルそのもの」として捉えたバザンの議論と重なり合う。

ガニングも指摘するように、バザンとバルトの写真論は、写真に非合理的な力を与える点で共通する(Gunning 2008: 36)。そしてこの態度は、両者がサルトルから継承したものだ。その上で、バザンとバルトは、サルトルの議論から同じ方向へと離脱していったと考えることができる。写真に知覚対象としての性格を見出し、サルトルの考えにおいてはただの媒介として捉えられていたものを昇格させる点で、両者の写真観は明確な類似を示している。

1-2. 写真の「豊かさ」

以上の議論を踏まえた上で次に取り上げたいのは、写真に「豊かさ」を見出す両者の視点である。ここでは、先の議論で飛ばした「準-観察」という概念が重要になってくる。サルトルは、知覚と想像の本質的差異を考察するために、この概念を持ち出している(Sartre 1940: 18; サルトル 2020: 44)。これはイメージの対象に対する態度として定義されており、知覚における観察とは一線を画するものである。サルトルは知覚の世界について以下のように述べる。

知覚の世界においては、いかなる「もの」も、他のものと無数の関係を結ぶことなしに現れることができない。それだけではなく、この関係の無数性——ものの諸要素が互いの間に維持する関係の無数性と同時に——こそが、ものの本質そのものを構成している。従って、「もの」の世界には何かあふれ出るものがある。瞬間ごとに、我々が見ることができることより、無限に多い何かが常にあるのだ。私の現在の知覚の豊かさを汲み尽くすためには、無限の時間が必要となる(Sartre 1940: 20; サルトル 2020: 48)。

「『もの』の世界には何かあふれ出るものがある」。つまり、知覚の対象となる「『もの』の世界」には、常に汲み尽くせない何かがある(それをできる限り汲み尽くそうとするのが、観察という行為に他ならない)[9]。一方、想像に目を転じると、そのような観察のあり方は現れてこない。なぜなら、想像においては、全てが最初から与えられているからである。

イメージは学習されない。イメージは、学習される対象と全く同じように組織されているが、実際は、イメージは現れるや否や、自らがそうであるところの全体として与えられる。立方体のイメージを頭の中で回転させて楽しんだり、それが多様な面を自分に与えるように思おうとしたりしても、その操作が終わった後に進歩することはない。何も学習したことにはならないのだ(Sartre 1940: 19; サルトル 2020: 47)。

イメージとしての何かは、そこに汲み尽くせない「あふれ出るもの」を持っていない。すなわち、我々は、それをさまざまな視点から見ることで、新しい情報を常に得るということができないのだ。なぜなら、イメージにおいては、全ての情報が既に最初から与えられているからだ。このように指摘されるイメージの本質的貧しさは、すでに確認したことから分かる通り、サルトルの議論においては写真にも適用されるものであると考えられる。

しかし、アンドルーや堀が指摘する通り、バザンはこの点において、サルトルと反対の方向へ進むこととなる(Andrew 2008: 64; 堀 2018: 43)。なぜなら、「写真イメージの存在論」において、バザンはサルトルが知覚にのみ認めた「豊かさ」を、写真にも適用しているように見えるからだ。

写真の美学的な潜在能力は、現実の啓示にある。濡れた歩道の反射や、子供の仕草、外部世界の組織の中から、それらを見出したのは私ではない。レンズの冷徹さだけが、対象から慣習や先入観を追い払い、私の知覚を包む精神的な垢を取り除いて、対象を手つかずの姿で私の注意、ひいては私の愛情に差し出すことができるのだ(Bazin 2018b: 2557; バザン 2015: 19)[10]

バザンにとって、「『もの』の世界」の「あふれ出るもの」は、写真においても見出すことができる。写真は「精神的な垢」を取り払うことで、普段なら気づかないようなことにも観察者の注意を向けることができる。そこでは「観察」することができるのだ[11]。このような考え方は、前節の議論を踏まえれば当然のものとして捉えることができるだろう。バザンにとって写真は、対象へ至るための単なる媒介ではなく、それ自体が知覚の対象、すなわち、観察の対象として現れるのであった。

このような態度は、明らかにバルトにも引き継がれている。『明るい部屋』の前半部分で、バルトは、プンクトゥムという有名概念を持ち出す。プンクトゥムに対置されるストゥディウム(一般的関心)が、教養文化に根ざし、写真を社会的文脈の中で理解させるものであるのに対し、プンクトゥムはそのような文脈から自由なものとして現れる。プンクトゥムは細部として現れることが多い。例えば、ウィリアム・クラインによる、ニューヨークのイタリア人街の子供たちを写した写真(1954)において、プンクトゥムは、子供の歯並びの悪い歯である(Barthes 2002c: 823; バルト 1997: 59)。バルト自身は述べていないが、この写真のストゥディウムは、50年代のアメリカや移民の暮らしに関する興味に関わるものであるだろう。一方、プンクトゥムとしての細部は、そのようないかなる文脈にも位置付けることができない。このような細部の提示は、「事物を手つかずの姿で差し出す」写真(バザン)によって初めて可能になる。バルトは、プンクトゥムを説明するにあたり、以下のような奇妙に矛盾した説明を与えている。

プンクトゥムについて、最後の問題。プンクトゥムは、その輪郭が明確にされていてもいなくても、一つの追加である。それは私が写真につけ加えるものであり、しかもすでにそこにあるものである(強調原著者)(Barthes 2002c: 833; バルト 1997: 68)。

サルトルとバザンの議論を踏まえれば、この文章の意味も明確になる。写真というイメージはそれが生まれた瞬間、自らを「既に全て」与える、すなわち、写真は「すでにそこにある[12]。しかし、写真を「見る経験」においては、既に全てが与えられているわけではない。写真を見る人間は、通常の知覚では見出すことができなかったものをそこに見出し、写真に何かを「つけ加える」ことができる。バルトはサルトル的なイメージ理解を一部で引き継ぎながら、写真を知覚対象として捉えることでそれを転倒させている。すなわち、この文章において「つけ加える」という語で表現されているのは、写真を「観察する」という行為である。ここでは、バルトが、サルトルの議論をバザンと同じ方向に発展させていく様が見て取れるだろう。

ここまでくると、両者の議論はほとんど同じだったのではないかという疑問が生じてくる。しかし、そう考えるのは早計である。なぜなら、ある重要な点において二人の議論は全く違った方向へ分岐していくからだ。そのことについて考えるには、両者の写真論における写真と時間の関係にスポットライトを当てなくてはならない。

2. 両者の相違点

2-1. 被写体との関係

ローラ・マルヴィは「インデックス」という語のもと、両者の写真論をつなげる考察を展開している(Mulvey 2006: 55)。写真のインデックス性という議論は、ピーター・ウォーレンが、パースの記号論によるバザンの読解を試みたときから、広く受け入れられるようになった(Wollen 1969)。パースの記号論においては、記号と対象との関係に則し、アイコン、インデックス、シンボルという三つのカテゴリーが設定される(石田 2020: 122)。アイコンは類似に基づく記号であり、対象の性質を記号自体も備えている場合を指す(似顔絵など)。インデックスは、記号が対象から実際に影響を受けて存在する場合を指す。何かを示すための指差しや、犬が残した足跡など、記号と対象の間には、身体的、物理的な関係が存在している。シンボルは慣習に基づく記号であり、その代表的な例である言語に見られるように、ある種の恣意性によって成り立っている。このようなパースの記号論に基づき、写真は犬の足跡が犬を指し示すのと同様に、被写体のことを指し示す物理的痕跡として捉えられてきたのだ。

しかし、近年、このような「インデックス」という言葉の使用が、問題含みであることが指摘されている。バザン(あるいはバルト)の写真に対する考え方を矮小化すると同時に、パースの記号論をも、過度に単純化するのではないかという危惧が表明されているのだ[13]。本論稿では、従来のインデックス性に関する議論を再びなぞることはしないが、数々の論者たちが写真とインデックスを結びつける際に前提としていた写真の性質について考察することで、バザンとバルトの関係について再考することを目指したいと思う。

モーガンは写真をインデックス性から捉えることの帰結として、三つの考え方を提示している。第一に、被写体とイメージの存在論的区別。すなわち、写真に映っている何かは、その何かそのものではないということ(Morgan 2006: 447)。インデックスが記号論から引かれた用語であることを考えれば当たり前であるが、写真は記号であり、すなわち、それが指示するものを代理するのみである。すでに述べた通り、バザンとバルトの考える写真においては、イメージと事物の境界は曖昧になる。そのような視点からしても、二人の写真論がインデックス性という言葉に還元できないことは明らかだろう。

第二に、過去性。写真が指示する対象は、過去に存在したものである。これは、後のマルヴィの指摘に関する議論において重要となる側面なので、その際に詳しく触れる[14]。第三に生成過程に関する知識の要求。人は、写真と指示対象の類似性からインデックスとしての写真を捉えるのではなく、その写真が、物理的なプロセスに則って、物体から発せられた光が表面に定着することで生成されるという知識からそのような捉え方をする。そのことにより、カメラの前に被写体が確固として存在したことを人は理解するのである(Morgan 2006: 447)。

その上で二人の写真論を検討すると、何がわかるだろうか。まず、バルトから考えると、バルトの写真論において、写真をインデックスとして捉える議論が前提とした写真の性質が、重要な役割を果たしていることは否定できない。例えば彼は、以下のように述べる。

写真は過去を思い出させるものではない(写真にはプルースト的なところが全くない)。写真が私にもたらす効果は、時間や距離によって消滅してしまったものを復元することではなく、私が見ているものが過去に実際存在したということを証明してくれる点にある(Barthes 2002c: 855; バルト 1997: 102)。

生成過程の知識によってもたらされる存在の確証と、それが「存在した」という過去性が(彼にとっての写真のノエマは《それはかつてあった》である)、ここでは指摘されている。ここからプンクトゥムを時間に結びつける議論が展開される(Barthes 2002c: 865; バルト 1997: 118)。『明るい部屋』前半部分で述べられるプンクトゥムは、写真の細部に関わるものであった。「写真の『豊かさ』」で既に引用した箇所(「プンクトゥムに関する最後の問題…」)は、そのような文脈に位置付けられるものである。一方、「時間」という観点から捉えられるプンクトゥムは様相を大きく異にしている。写真の過去性は、その過去を起点とした未来の破局を含んでいる。既に死んでしまった人たちの写真を前にしてバルトが感じるのは、「それはすでに死んでいる、と、それはこれから死ぬ」の同居である(Barthes 2002c: 867; バルト 1997: 119)。このような時間の「粉砕」と、そこから見るものが感じるめまいを自らの写真論の中心に据えたバルトにとって、写真をインデックスとして捉える議論が前提とした写真の過去性は、中心概念として存在していたと考えることができる。

バルトのこのような態度は、『明るい部屋』よりも前から表明されてきたものである。例えば、1964年の「イメージの修辞学」において、同様の記述を見ることができる。ここでバルトは、パンザーニ社の食料品広告を具体的な考察対象とし、記号学的観点から、写真の三つのメッセージを分類する。一つ目は言語的メッセージ(message linguistique)。それは広告中の「パンザーニ」というラベルに代表されるもので、イメージにおける意味の拡散を防ぐ役割を担っている(バルトはこれを「投錨」(ancrage)という言葉で表現している)。二つ目は、象徴的メッセージ(message symbolique)。広告の色彩や配置が、「イタリア性」をコノテーションとして示すとき、それは象徴的メッセージと呼ばれる。そして、三つ目は逐字的メッセージ(message littéral)。それは被写体そのもの(トマト、玉ねぎ、缶詰など)を示すものである(Barthes 2002a; バルト 1998)。

バルトは、三つ目の逐字的メッセージを分析する際、「写真は全くもって現前(présence)ではない」(強調原著者)と断った上で、インデックス性を喚起する議論を展開する。

そして、写真の現実性はそこにあったavoir-été-là)という現実性である。というのも、全ての写真には、それはこのように起こったという、唖然とさせる明証が存在するからである。その時我々は、貴重な奇跡、すなわち、我々がそこから保護される現実性を手にしているのだ(強調原著者)(Barthes 2002a: 583; バルト 1998: 38)。

ここでは存在の確証とそれにつきまとう過去性が、言語的メッセージや象徴的メッセージを超えた次元における写真の性質として捉えられていることがわかる。ワッツはバザンとバルトを比較する論考の中で、バザンによる「写真イメージの存在論」とバルトの「イメージの修辞学」が、題名において類似していることを指摘し(”Ontologie de l’image photographique”と”Rhétorique de l’image”)、論考中の用語の共通性も踏まえ、バルトがバザンから受けた影響を示唆している(Watts 2016: 42)。それでは、従来のインデックス性に関する議論から見た時、バザンの写真に対する考え方は、どのように位置づけられるだろうか。

マルヴィは、インデックスというキーワードを結節点として、バザンとバルトを結びつける議論を展開している。彼女は、パースとウォーレンの議論を参照した後、写真のインデックス性がバルトの写真論の中心にあることを確認する(Mulvey 2006: 55)。その上で、バザンの「写真イメージの存在論」における議論にも、同様の側面を見出すことができることを主張する。マルヴィがバザンから引用するのは、本論考でもすでに触れた「反対に、写真に撮影された対象の存在は、指紋のように、モデルの存在自体にあずかるものである」という一文から始まる箇所である(Mulvey 2006: 56)。「指紋」という言葉には、確かにインデックス的な含意を見出すことができるだろう。

一方、写真をインデックスとして捉える議論につきものの、写真と時間の関係について、マルヴィは、バザンがそこに大きな注意を払っていないことを指摘しつつも、バザンの文章の中にそのようなものへの暗示が存在することを主張している。マルヴィは「写真イメージの存在論」から以下の部分を引用する。

そこからアルバム写真の魅力が生まれる。灰色あるいはセピア色の、幽霊のようでほとんど見分けがつかないそれらの影は、もはや伝統的な家族の肖像ではない。それらは持続の中で止められ、死の運命から自由になった生命の、心をかき乱す現前なのである。それを可能にするのは芸術の威光ではなく、冷徹な機械の力である。というのも、写真は芸術のように永遠を創造することはせず、時間を防腐保存し、時間自体の崩壊から時間を守るからである(Bazin 2018b: 2557; バザン 2015: 18)。

時間に施される「防腐保存」により、「影」は「持続の中で止められ」る。確かに、ここで写真と時間の関係が述べられていることは明らかだ。しかし、立ち止まって考えてみると、バルトが考えていた写真の時間性と、バザンが考えていたそれとでは、何かが異なっている印象を受ける。実際、上の引用では、写真の過去性がそこまで重視されていない。また、バルトの、「それはすでに死んでいる、と、それはこれから死ぬ」という言葉からは、被写体の未来における運命、すなわち、バザンの言葉を用いるならば「腐敗」が強調されていることがわかる一方、バザンは写真を「腐敗作用から時間を守る」ものとして捉えている。

このような自動生成は、イメージの心理学を根底から覆した。写真の客観性は、どの絵画作品にも欠けていた信憑性の力を写真に与える。批判精神がどう反論しようとも、表象されたルプレザンテ対象の存在(existence)を信じないわけにはいかない。それは確かに、再び−現前させられるルプレザンテ、すなわち、時間と空間の中に現前する(présent)ものとなる(Bazin 2018b: 2556; バザン 2015: 16)。

ここでは文章の時制に注目する必要がある。バザンによると、我々が信じないわけにはいかないのは、対象が「存在した」ことではなく、その「存在」であり、対象は写真によって再び現前させられるのだ。バルトの写真論が、サルトルの路線を引き継ぎ、被写体の不在を前提として議論を展開しているように思われる一方、バザンにとっての写真は、そのような不在さえをも乗り越えてしまうものとして考えられていると言うことができる。写真は被写体の「心をかき乱す現前」なのだ。ガニングが指摘するように、バザンにとって写真は、「何かしらの現前に我々を置く手段」であった(Gunning 2008: 36)。「イメージの修辞学」の中で、「写真は全くもって現前ではない」と主張したバルトと、対照的な考えが表明されていると言うことができるだろう[15]

モーガンはここからさらに議論を進め、バザンにとって写真は、特定の時間に位置付けられるものではなかったと主張する。写真は被写体が「かつて」存在したことを確証する、過去性に結び付けられたものではなく、だからといって、被写体は現在に存在するわけでもない(Morgan 2006: 452)。実際、バザンは、写真において被写体は「時間的な偶発性から自由である」ことを主張している(Bazin 2018b: 2557; バザン 2015: 18)。本稿では、このような考え方の妥当性について触れる余裕はない。しかし、一つ明らかなのは、今まで類似した議論として度々取り上げられてきたバザンとバルトの議論が、写真と時間の関係という点で大きく異なっているという点である。

マルヴィの論考の中でも、二人の違いが垣間見える部分がある。彼女が指摘するのは、バザンにとって写真が死を乗り越えるものだったのに対し、バルトにとっては「死に飛び込む」ものだったということだ(Mulvey 2006: 60)。この指摘は確かに正しい。バザンが死に対抗しようとする人間の心性である「ミイラ・コンプレックス」への言及から「写真イメージの存在論」を始めている一方、バルトにとって写真は彼に死という現実を叩きつけるものであった。しかし、マルヴィが見逃しているのは、その根底にある、二人の写真と時間の関係に関する考え方の違いである。

バザンが写真の被写体を「時間的な偶発性から自由である」と表現する一方、バルトにとっての写真は、時間に否応なく位置付けられている。それは今まですでに述べてきたことであるし、また、以下のような文章にも見受けられるものである。

私が点検してきた母の写真は、どれも少し仮面のようなものであった。しかし、最後のこの写真で、仮面は突然消え去った。そこには一つの魂が残ったのだ。その魂には年齢がない。しかし、かといって時間の外にあるわけでもない。なぜなら母の顔と同質のものであるこの雰囲気は、私が母の長い人生の中で毎日眺めてきたものだったからである(Barthes 2002c: 876; バルト 1997: 134)。

写真を時間の外に位置付けたバザンとそれを拒否したバルト。それは写真というメディアの物質性に対する考え方の違いとしても現れる。バルトは『明るい部屋』の中で、以下のように述べる。

母のあの写真が黄ばみ、色褪せ、忘れ去られ、いつの日かゴミ箱に捨てられるとき——迷信深すぎる私の手によってではない——少なくとも私の死後に捨てられるとき、この写真と共にいったい何が失われていくのだろうか?(Barthes 2002c: 865; バルト 1997: 117)。

バルトは、写真という物体そのものも時間に巻き込まれており、それがいつか朽ちてしまうことを意識している。一方、バザンは、そのようなことを全く意識していなかったように見える。バザンにとって写真は時間を乗り越えるものであった。一方、バルトにとって写真は時間が乗り越えられるものではないことをまざまざと示すものであったのだ。

おわりに

バザンとバルトにとって、写真はサルトルが考えたように、何かしらの対象へ向かうための媒介ではなく、それ自体が知覚の対象となる。そこではイメージに付与される非合理性が、知覚の対象における合理性と混ざり合う。写真は想像と知覚、非合理性と合理性が出会う結節点となる。写真は、それ自体が志向的対象となりながら、同時にイメージの魔術的性格をも保存するのだ。また、そのような考え方の帰結として見出される写真の「豊かさ」は、写真を見る者と世界との関係を刷新する。「精神的な垢」(バザン)を取り除かれた眼差しは、通常の知覚では見逃されていたはずの細部(=プンクトゥム)(バルト)へと向かい、新たな世界を発見する。これらの点でバザンとバルトは、サルトルの議論を同じ方向へ発展させた。しかし、全ての点で両者の議論が一致していたわけではない。写真を特定の過去の瞬間から切り離せないものと考えていたバルトとは対照的に、バザンは、写真が特定の時間から切り離された、超-時間的存在であることを仄めかしている。

ここまで、バザンとバルトの写真に対する態度の共通点と、相違点を見てきたが、あえて触れてこなかった問題が一つある。それは、両者の間の最大の違いともいうべきものだ。すなわち、バザンが写真に見出していたものをそのまま映画に適用したのに対し、バルトは写真と映画を峻別し、前者を好む態度を明白にしている点である。バザンは「映画は写真の客観性を、時間において完成させたものであるように思われる」と述べ、両者を地続きのものとして捉えている(Bazin 2018b: 2557; バザン 2015: 18)。一方、バルトは『明るい部屋』の中で、たびたび写真と映画の相違を指摘し、映画は「写真に由来する」にも関わらず、根本的に「別の芸術」であることを強調する(Barthes 2002c: 852; バルト 1997: 96)。

このような決定的な違いは、写真と時間という問題の延長線上で捉えられるかもしれない。今後の研究の道筋として、以下で簡単にそのことを確認しておく。そこでキーワードとなるのは、バルトが用いた「展開」(développer, déploiement)という言葉である。例えば、バルトは『明るい部屋』の前半部分において、細部に関わるプンクトゥムについて語る文脈で以下のように述べる。

言葉の術策。《写真を現像する(développer)》と言うが、しかし化学作用が現像(développer)するものは、展開しえない(indéveloppable)もの、(傷の)ある本質であり、それは変換されるものではなく、ただ執拗さ(執拗な視線)という形態のもと、繰り返されるのみである。この点で、写真(ある種の写真)は俳句に近づく。なぜなら、俳句の表記もまた、展開しえないものだからである。そこでは全てが与えられていて、修辞学における拡大の欲求、あるいは可能性さえも生じることがない。双方に見出されるのは、活発な不動性と言うことができる、あるいはそう言うべき状態である(・・・)(省略筆者)(Barthes 2002c: 828; バルト 1997: 63)。

プンクトゥムを含んだ写真は、「展開」することができず、それゆえ、「激しい不動の状態」に置かれることになる。このような不動状態は、ストゥディウムによる読みと対峙させて考えるべきだろう。ストゥディウムによる読みにおいては、写真のイメージが、特定のコンテクストへ位置づけられることにより、社会的、歴史的意味を帯びる。本論稿で取り上げた、ウィリアム・クラインの写真をストゥディウムから捉えるとすれば、写真は「50年代のアメリカ」といった意味へと「展開」されてしまう。

このような考え方は、バルトがエイゼンシュテインの映画の「フォトグラム」(映画のコマ)について議論を展開した「第三の意味」という論考においても確認できるものである。バルトは、『明るい部屋』の「プンクトゥム」と非常に似た、「第三の意味」という概念を提起する。「第三の意味」も「プンクトゥム」と同様、いかなるコンテクストにも位置付けることができない。それはシニフィエが不在のシニフィアンとして定義される(Barthes 2002b: 487; バルト 1998: 75)。すなわち、フォトグラムのなかに見出される知覚対象(シニフィアン)は、特定のシニフィエへと「展開」することができない。バルトはこのような「第三の意味」を、映画の本質とする大胆な議論を展開するのだが、そこで映画の本質とされてきた運動は、「置換する展開(déploiement)の骨子でしかない」ものとして捉えられている(Barthes 2002b: 505; バルト 1998: 95)。

ここまできてわかるのは、バルトにとっての運動と不動性の関係が、ある種の複雑さを抱え込んでいるということである。ある写真が不動状態にあるのは、それが文字通り動かないからだけではなく、それがいかなるコンテクストにも位置付けられず、特定のシニフィエへの「展開」を含まないからでもある。一方、連続するコマによる映画の運動は、必然的にそのような「展開」を抱え込んでしまう。あるコマは次のコマへと「展開」していってしまうだろう[16]

このようなバルトの考えと、本論における写真と時間に関する考察を結びつけて考えることはできないだろうか。写真において「展開」が起こるとき、我々はその写真から特定のシニフィエへと移行する。そしてこの移行は、現在的な運動として捉えられる(この移行に用いられる知識も、我々が観賞の時点で持つものであるという点で現在的である)。クラインの写真から「50年代のアメリカ」、「移民の暮らし」といったシニフィエへの移行(ストゥディウムによる読み)は、今この現在に起こる。一方、バルトにとっての少年の歯は、「展開」を許されない。すなわちそれは、現在における運動を剥奪され、過去に固着したままである。もはやそれは、言語化(言語化は現在に起こる)することもできない。また、映画の場合、「展開」はあるコマから次のコマへの現在的な運動として、観客の世界と同時的な物語世界を構成し、過去に撮られたものに「現在」を付与することになる。そこから過去への固着(=非「展開」)を取り出すためには、映画を停止させなくてはならない。

バルトにとって写真は、過去と結びついたままでいなければならなかった。そこから、バルトによる「展開」(=現在化)の拒否が説明できる[17]。一方、バザンにとっての写真は、時間的な偶発性から解放されている。それ故、それがいかに映画において「展開」されようとも、現在化は起こらないことになる。結局のところ、時間という観点が、二人の写真論の相違を説明するために必要とされているのではないだろうか。

上記の議論は、現時点での研究の方向性を漠然と示すものでしかなく、大幅に精緻化するべき余地がある。ただ、一つ言えることは、映画における運動と静止を考えるにあたり、バザンとバルトの写真論を比較しながら、時間という項を取り出してその相違点を考察することは、何かしらの啓示をこのテーマに与えてくれるに違いないということである。

参考文献

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バルト, ロラン著, 沢崎浩平訳(1998)『第三の意味』みすず書房。

堀潤之(2018)「パンセプセストとしての『写真映像の存在論』」『アンドレ・バザン研究』2号, 30-55頁。

Notes

  1. [1]

    両者の文章は主に全集版から引用し、既訳を参考に筆者が訳出した。邦訳が存在する場合は括弧内に邦訳版の出典情報も記す。

  2. [2]

    唯一の言及は、バザンが「演劇と映画」や「絵画と映画」の中で展開した、スクリーンにおける「枠」と「マスク」に関する議論についてである。バザンは「スクリーンは絵画において考えられるような枠ではなく、出来事の一部しか見せないマスクである」と述べ、演劇や絵画における枠が外部を完全に異質なものとして設定するのに対し、映画のスクリーンは登場人物がそこから消えても別のどこかに存在し続けていると思わせる性質を持っていると指摘する(Bazin 2018a: 738; バザン 2015: 266)。バルトはバザンの名に言及しつつ、写真にはこの「別のどこか」が存在しないと主張する(Barthes 2002c: 834; バルト 1997: 69)。議論全体における類似性を考えれば、なんとも場違いな言及である印象を受けざるを得ない。

  3. [3]

    バザンによる後者に関する議論とバルトのエクリチュールに関する議論の類似性については、アンドルーの論考を参照(アンドルー 2020)。

  4. [4]

    バザンが所有していた『イマジネール』を未亡人から譲り受けたアンドルーは、それが1940年春に出版されたものであることから、すでにその時期にはバザンがこの書物に触れていたことを示唆している(Andrew 2008: 62)。バザンは戦前からサルトルの書物に大きな影響を受けていたが、バザンとサルトルは映画の上映会などで実際に顔を合わせていた。両者の関係について、歴史的背景も含めた記述としては、アンドルーの別の論考を参照(Andrew 2010: 61)。

  5. [5]

    サルトルは後の部分で、「自身の素材を事物の世界から借りてくるイメージ」と「心的世界から借りてくるイメージ」を区別することになる(Sartre 1940: 34; サルトル 2020: 72)。

  6. [6]

    ここでは、写真が被写体の存在を確証するという現象について述べられており、バザンはその力に「非合理性」を見出している。故、サルトルの論旨と完全に一致するわけではない。それでも、用語の使用における明らかな類似性から、両者間の影響関係は否定することができないだろう。

  7. [7]

    バザンとバルトの写真に対する態度を、シュルレアリスムを結節点として繋げる議論については、ローウェンスタインの論考を参照(Lowenstein 2014)。

  8. [8]

    アンドルーはバザンとサルトルの更なる類似性を語るにあたり、サルトルの以下の文章を引用する(Andrew 2008: 62; 2010: 12-13)。「ピエールの肖像画は、ほとんどピエール本人のように我々に作用する。(・・・)私は『彼はピエールの肖像だ』、あるいはより簡潔に『これはピエールだ』と言う」(Sartre 1940: 37; サルトル 2020: 78)(中略はアンドルー)。その上で、彼はバザンの「写真とはモデルそのものである」という主張を引き、両者の類似性を指摘する(Bazin 2018b: 2557; バザン 2015: 18)。字面だけを見ると、確かに似ているように見えるが、本文でも指摘した通り、ここには重大な違いが潜んでいる。サルトルは引用部分の後で、「その時、絵は対象ではなくなり、イメージの素材として働く」と述べている(Sartre 1940: 37; サルトル 2020: 78)。結局、サルトルにとって、肖像は(知覚の)対象ではなく、対象へ至るための媒介でしかない。一方、バザンが「写真とはモデルそのものである」という主張で言おうとしていたのは、写真が知覚対象そのものであるということだ。ただ、サルトルが写真に、知覚対象としての性格を全く見出していなかったわけではない、そのことについては以下で述べる。

  9. [9]

    サルトルは、立方体の知覚を例として挙げている。立方体は3面しか同時に見ることができないので、その実在には常に疑いが残る。そのため、「対象を学習しなければならない、すなわち、対象に対する可能な視点を増やさなくてはならない」ことになる(Sartre 1940: 18; サルトル 2015: 45)。このように、知覚においては対象把握のために無数の観点が要求され、そこに知覚の「豊かさ」が見出される。

  10. [10]

    ローウェンスタインは同じ箇所を引用し、バザンにとって写真を見る経験とは、知覚と想像、機械的客観性と情動的主観性(「私の愛情」)の融合であると述べている(Lowenstein 2014: 15)。前節の議論と同様、写真が二つの対立概念が共存する場として捉えられている。ここでの「私の愛情」に重点き、バザンにとっての「観客」の重要性を論じた論考としては、伊津野のものを参照(伊津野 2018)。

  11. [11]

    写真というイメージをそれ以前のイメージと区別しようとするバザンの企図の全体像については堀の論考を参照(堀 2018)。

  12. [12]

    バルトは『明るい部屋』の後半部分で、サルトルを参照し、「イメージ(写真)において、対象は一気に与えられ、それが見えていることは確実である」と述べている(強調原著者)(Barthes 2002c: 875; バルト 1997: 131)。

  13. [13]

    ガニングは、インデックスという語にバザンの写真論を還元してしまうことに疑義を呈し、写真の「豊かさ」や非合理性といった、本論でもすでに扱った側面に光を当てている。例えば彼は以下のように述べる。「インデックス的関係は合理性の範疇に完全に収まってしまう」(Gunning 2008: 36)。バザンの写真論との関係から、インデックス性に関する議論に疑念を表明する他の論考としては、モーガンのものを参照(Morgan 2006)。

  14. [14]

    モーガンはこのことをインデックスの一般的性質として捉えている。一方、ガニングは上記の論考において、写真のインデックス性に関する議論で強調されるインデックスの過去性は、全てのインデックスに共通のものではないことを指摘する。例えば、パースの議論においては風向計もインデックスの内に含まれるが、風向計が過去の風を示しているわけではない(Gunning 2008: 38)。すでに述べた、パースの記号論の過度の単純化は、このような側面で生じているということができる。しかし、本論の目的は、写真をインデックスとして捉える議論に反論することではなく(それはすでに何度もなされてきた)、その議論で前提とされている写真の性質から、バザンとバルトを捉えることである。

  15. [15]

    『明るい部屋』における以下の一節も参照。「現象学ではイメージは対象の無である。ところで、私が写真において措定するのは、対象の不在(absence)だけではない。その対象が確かに存在したということ、私がそれを見る場所にそれがあったということも同様に措定する。この場こそ狂気である」(Barthes 2002c: 882; バルト 1997: 139)。対象の不在だけではなく、対象の過去における存在の明証性が同時に指摘されている。ただそのような明証性は、対象の「現前」とは関係がない。あくまで対象は「不在」なのだ。

  16. [16]

    「第三の意味」の中で、バルトが映画とフォト=ロマンを類比的に捉えていることは注目に値する(Barthes 2002b: 504)。バルトにとっての運動は仮現運動としての運動ではなく、「展開」を引き起こすものとしての運動である。その時、スライドショーのように写真が連続する映像(例えば、クリス・マルケルの『ラ・ジュテ』のような映画)にも、運動が見出されることになるだろう。

  17. [17]

     この議論は、『明るい部屋』の前半部分と後半部分を連続的に捉えることを可能にする。展開を許さない細部としてのプンクトゥムは、あらゆる現在化の作用を退け、過去と切り離し難く結びついた写真の性格を顕にする。そして、時間としてのプンクトゥムはこのような過去性の上に成り立っている。

この記事を引用する

髙草木倫太郎「バザンとバルト」『Phantastopia』第3号、2024年、20-40ページ、URL : https://phantastopia.com/3/bazin-and-barthes/。(2024年10月30日閲覧)

執筆者

髙草木倫太郎
TAKAKUSAKI Rintaro

総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース修士2年。専門は写真論、映画論。

髙草木倫太郎(2023)「アンドレ・バザンにおける『現前』の概念について」『Résonances』14号, [online] Available at: https://resonances.jp/14/andre-bazin-et-la-notion-de-presence/(2024/02/03閲覧)。

英語要旨

Bazin and Barthes

TAKAKUSAKI Rintaro

The purpose of this paper is to compare the theories of Bazin and Barthes on photography, to present an overall picture of their relationship, and then to go into the differences between them to gain a more resolved understanding of each theory. The key to this will be Sartre’s L’imaginaire, which is an important reference for both.

Sartre found in the image a “magical” irrationality. The words “magic” and “irrational” are also used by Bazin and Barthes when discussing photography. However, in a common way, they both develop theories that are distinct from Sartre’s arguments. Sartre made a distinction between imagination and perception, and saw the image as a medium for reaching the original. Bazin and Barthes, however, consider the photographic image as the object itself. Sartre also brings up the concept of “quasi-observation” of the image. One cannot extract new information from an image by observation. This is because in an image, the object is completely given from the beginning. For Bazin and Barthes, on the other hand, the photograph is an object for observation. In other words, one can discover something new in a photograph.

The difference between the two can be found in their discussion of the relationship between photography and time. Whereas Barthes links photography and the past inseparably, Bazin suggests that photography is present and thus free from the contingency of time. These differences will be examined through a critical examination of previous studies that attempt to sum up their arguments with the term “index.” What will be found is a clue to the question as for why the greatest difference between the two arose, namely, the fact that Bazin applied the properties of photography to film as well, while Barthes attempted to distinguish between photography and film as two entirely different images.

Phantastopia 3
掲載号
『Phantastopia』第3号
2024.03.22発行