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論文

シチュアシオニストの「日常生活」論

野上貴裕

*引用の文献について、邦訳のあるものは適宜参照したが、訳者が訳文を変更した箇所もある。

0、はじめに

本論文の目的は、アンテルナシオナル・シチュアシオニスト(Internationale Situationniste、以下「IS」と表記)における「日常生活(la vie quotidienne)」についての理論を詳細に検討し、その問題点を指摘するとともに、それでもなお彼らの活動が切り開いた可能性を提示することである。ISとはフランスを中心に1957年に結成され1972年に解散した、運動団体の名称である。ギー・ドゥボールの名に象徴される彼らの理論的・実践的運動は、後のさまざまな思想や運動に影響を与えており、特にフランスにおいては、2009年に「ギー・ドゥボールの個人資料(Archives personnelles de Guy Debord)」がフランス文化省によって「国宝(Trésor National)」に指定されるほど重要な存在となっている。

ISは1957年、国際的に活動を展開していた三つの前衛芸術家団体が結集し設立された。その理論的・活動的主幹はドゥボールであったが、彼の周りには芸術家のアスガー・ヨルンや建築家のコンスタント・ニーヴェンホイスらが集っていた。彼らの多くは、戦後に神秘主義化し硬直化してしまったシュルレアリスム運動の乗り越えを企図する芸術運動の流れに掉さす者たちであり、従ってISはその出自を芸術運動にもつ。しかし、彼らは徐々にある種の「政治的転回」を迎え、それに伴って1962年以降、ヨルンやコンスタントなど「芸術作品」の制作にこだわるメンバーを「除名」していった。そしてラウル・ヴァネーゲムを始めとした政治的な志向の強いメンバーを迎え入れることによってその活動を急進化させていき、やがて1966年から67年にかけてのストラスブール大学でのスキャンダルや、1968年のいわゆる「五月革命」に積極的に関与していくことになる。しかしながらその後の「プロ・シチュ」と呼ばれる模倣者の出現や、内部での理論的不徹底を理由に、ドゥボールは1972年自らISの解散を宣言しその15年の活動に幕を下ろした[1]

ISはその活動の根本的な目標として「状況の構築」、そしてそれによる「日常生活の革命」を据えている。彼らは「芸術」や「学問」などの制度化された専門領域を嫌い、もっぱら自らが生活する都市における日常生活を対象とした芸術的・政治的活動を志向していた。芸術や哲学なども「日常性」を論究することがあるが、それはしばしば超越的あるいは非日常的な「特権的瞬間」のためのスプリングボードとしてのものに留まる。それに対してISはまさに日常そのもののうちにおいて日常を変革しようと試みる。従って彼らの活動の場の中心は決して論壇や教室、ギャラリーなどではなく、都市空間のただなかであり、そこにおける日常を変革するたp.250めにスキャンダラスな実践を繰り返した。ISの前身であるレトリストの活動まで含めれば、ノートルダム大聖堂の祭壇の占拠、来仏したチャップリンへの妨害工作、自ら作成した雑誌のランダムな送付、道路標識の向きを変えたり書き換えたりすること、街の壁へのスキャンダラスな文言の落書き、テープレコーダーを用いた虚偽の演説、ビルの屋上からの大量のビラ散布、エッフェル塔爆破やユネスコの占拠などの計画(これらは実行されなかった)、都市空間での「漂流」、画面を白と黒までに縮減したほとんど無音声の映画の上映、過去に存在した作品の無許可の「転用」によってのみ作成された作品の発表、そして五月革命やそれに連動する出来事における攪乱作戦など。こうした諸実践は、彼らが度重なる(酒場での)議論において徐々に練り上げていった理論を現働化することであり、あるいはそうした理論へと素材を提供するものでもあった。こうして理論と実践とが協働するなかで形づくられていったISの日常生活論、あるいは「日常変革論」はいかなるものであったか。

マイケル・シェリンガムが述べているように、1980年代以降のフランスにおいて「日常的なもの(le quotidien)」についての思想が一種の流行をみた[2]。その源流として措定されるのがシュルレアリスム運動であり、さらにはアンリ・ルフェーブルによる「日常生活批判」の議論である。そして彼らの実践や議論を批判的に引き継ぎつつ、その志向性に更なる内実を与えたのがシチュアシオニストたちであった。ただし、シェリンガムがシチュアシオニストについて、ルフェーブルについての章のうちの一節を割いているに過ぎないという点からも示唆されるように、ISの日常生活論は単にルフェーブルとの関係において言及されるか、あるいはより広範なシチュアシオニスト研究の一部としてのみ扱われるに過ぎないことがほとんどである。本稿はこうした状況において、ISの日常生活論を独立して取り出すことで、それが問題点を含みつつも彼らの活動と共にあることで一定の衝迫力を発揮していたと主張したい。

本稿の流れは以下の通りである。第1節ではISの残した「日常生活」についての文章を吟味し、日常生活そのものの位置づけ、およびそこからなぜ日常生活を変革する必要性が生まれてくるのかという点についての議論を取り出す。第2節では、日常生活の変革が彼らにとっての中心的な理念である「状況の構築」といかに関わっているのかを示し、またそれが不断の「別の生のスタイル」の構築の運動として捉えることができるという点を示す。第3節ではISの日常生活論に対するもっとも一般的な批判を紹介する。そして第4節においては、批判を受け入れつつも、必ずしもそうした批判によって無化されるべきではない彼らの活動の可能性を提示したい。それでは本論に入っていこう。

1、なぜ日常生活を変革しなくてはならないのか

シチュアシオニストにおける「日常生活」の位置付けを最も明確に示しているのは、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第6号(1961)に収録された論文「日常生活の意識的変更のパースペクティヴ」である。当論文は、ルフェーブルが当時主宰していた日常生活研究グループにおいて、テープレコーダーを用いてドゥボールが行った口頭発表の原稿である。ここp.251においてドゥボールは、この年までの自身の理論的・実践的活動、およびルフェーブルとの議論を通して整理したと考えられる「日常生活」についての基本的なアイデアをまとめている。そしてまた同時にこの文章はこれ以後のISの活動の理論的基盤をなすものでもある。こうした背景を踏まえて、同論文の内容について詳細に確認・整理していきたい。

ドゥボールによれば、「日常生活の批判(critique de la vie quotidienne)」という語には二つの意味がある。それは一方で「日常生活を批判すること」を意味し、他方で「日常生活が、その外部にあるものを批判する」ということを意味する[3]。彼の理路においては後者の意味がむしろ重要であり、日常生活が十分な批判能力を発揮するために現在の日常生活を批判しなくてはならない、という流れになっている。順に見ていきたい。

そもそも一体なぜ日常生活が重要なのだろうか。彼の日常生活宣言とも取ることのできる一文を引用してみる。

日常生活が全てではない。〔……〕しかし、さまざまな活動を空間的に表象するという平易なイメージの助けを借りるとすれば、やはり日常生活をすべての中心に置かねばならない(il faut encore placer la vie quotidienne au centre de tout)。どんな計画も日常生活から出発し、どんな成果もそこに戻ってきて真の意味を持つのである。日常生活はすべてのものの尺度である。人間関係の成就あるいはむしろ非-成就の、生きられた〔経験された〕時間の用途の、芸術の探求の、革命的政治の尺度なのである。[4]

ドゥボールにとって、あらゆる活動は全て日常生活に照らしてこそ意味をもつのであり、その意味で日常生活とはあらゆる企図の試金石であった。この意味で日常生活とは無視してはならないものなのである。

ドゥボールが「日常生活」という語をもって指し示しているのは、まずもって「非専門的な活動領域」のことである。これはアンリ・ルフェーブルが日常生活を「経験のなかからあらゆる専門的活動を取り除いた時に残るもの」と定義したことに由来している。

日常生活は、ある意味では残留したものであり、分析によってすべての明瞭な、高次の、専門化され、構造化された活動を取り除くとき《残るもの》によって定義づけられるが、──それは、全体性として定義づけられる。〔……〕日常生活は、すべての活動と深い関係をもち、それらをその差異およびその葛藤と共に一つに合わせる。日常生活はそれらの遭遇の場所であり、絆であり、共通の場である。[5]

ルフェーブル-ドゥボール[6]によれば、一般に「専門家」と呼ばれる人びとは、しばしば現実に起きている事柄を日常から切り離して自らのよく知る「専門分野」──日常生活の場面に対して「上位」の圏域であるとみなされている──へと持ち込むことによって当の事柄について語ろうとする。このような「専門化」の作業は、他の専門分野に携わる専門家たちとともにp.252現実の解釈を分担、あるいは分業し、現実を切り分けていく過程であると言える。しかし、当然ながら日常的な現実のうちには、専門分野によって掬い上げられることのない、あまりにも些細であいまいな、しかし膨大な存在や出来事が含まれている。こうした「残余(résidu)」としての日常こそが、専門的活動の意味を決める、という方向に向かわなくてはならない。そうでなければ現実はいくつかの高次の分野によって互いに分離させられ、それでもなお日常生活を送るしかない人びとは、格下げされた「余りものの生/生き残り(survie)」を生きるだけになってしまうだろう。ドゥボールの危機意識はこうした観点に基づいている。

加えてルフェーブルは日常を「全体性(totalité)」という語をもって特徴づけていた。彼は日常が文字通りあらゆるものと関係する──しばしばその関係は無視されているのだが——という点に焦点を当ててこの語を用いており、ドゥボールはそこに「政治」の契機を読み取っている。「「日常生活」という概念は、類別され分類された現実の残余をカバーする。この残余に立ち向かうことを嫌う者もいるが、それは、この残余に立ち向かうことが全体性の観点を要請するからだ。それには当然、ある包括的な判断、ある政治が必要である。」[7]つまり日常生活と向き合うためには、特定の専門分野において予め定められた基準にもとづく価値判断とは別に、自らの現実あるいは生に対する包括的な態度決定、すなわち政治が必要なのである。この点において日常生活は政治の問題となる。

全体性としての日常を基準にして様々なことを批判しなくてはならない。しかし現状の日常生活はそうした批判的能力を持ちえないまでに軽視され格下げされてしまっている。ドゥボールによれば、それは彼の生きた時代において「日常生活がスキャンダラスなまでの貧しさの限界のなかで組織されているから」[8]にほかならない。しかし、人びとは自らの日常が悲惨なものであると暗々裡に認めながらも、同時にその事実を受け入れることを拒否している。こうした「否認」の身振りこそが日常生活そのものの軽視へと結びついている、というのがドゥボールの診断である。

ここで言われている「日常生活の貧困」は、発展した資本主義システムにおいて必然的に組織されてきたものである。資本主義システムとは、あらゆるものを「(交換)価値」という共通の尺度によって計測することで交換可能なものとし、労働者や自然環境を介して生み出された「商品」を、労働力に対して支払う代価以上の価値をつけて販売することで富を蓄積する、半自律的な搾取システムである。多くの人びとの日常生活はこのシステムに取り込まれ、労働時間以外の時間すなわち「余暇」さえも次の労働、あるいはより効率の良い労働のための時間として扱われる。そして労働者は昼と夜、一週間周期の平日と休日、労働の期間とヴァカンスの期間、などの反復的継起のうちで、一方では搾取され、他方では搾取を経て提供された商品を消費するという円環を延々と回り続けることになる[9]。余暇において消費される商品やサービスは、これまた商品の一つである広告を介して人びとのうちに描かれた「幸福」のイメージによって魔術的な魅力を与えられている。それは資本主義システムが自身にとって都合のいいように提示する「スペクタクル」であろう。そこでは「商品の豊かさ」以外の豊かさが剥奪され、反復のなかで「生活水準を上げる」[10]という全く空虚なフレーズを目標に人びとはまた労働へp.253と戻っていくのだ。ドゥボールが「日常生活の貧困」として描き出す事態は以上のようなものである。人びとは自らの日常が悲惨に陥っていることを認めがたくも認めてしまっており、その悲惨を直視したくないがためにそもそも日常とは退屈で面白みのないものだとみなしているのである。

しかしながら日常を軽視する態度は、逆説的にも日常生活が本来は「富の源泉」であることに皆が密かに気付いているという事実を示している、このようにドゥボールは主張する。

それゆえ、人々が自分自身の日常生活の問題に対して検閲を行っているとすれば、それは彼らが自分たちの日常生活は耐えがたい悲惨であることを意識しているからであり、同時にまた、社会生活の働きによって妨げられてきたあらゆる真の可能性や欲望が存在したのは日常生活のなかであって、いかなる意味でも専門化された活動や娯楽のなかではなかったのだということを感覚している──その感覚は公言こそされないが、いつか必ず身にしみて感じ取られるだろう──からにほかならない、と考えねばならない。つまり、日常生活のなかには深い富が、打ち捨てられたままのエネルギーがあることを認識することは、この生活の支配的なやり方での組織化の悲惨を認識することと切り離せない。活用されていないこの富を知覚できる存在だけが、それと対照して日常生活を悲惨としてまた牢獄として定義し、次に、その同じ動きによって、問題そのものを否定することができるのである。[11]

富の源泉としての日常、そして資本によるその収奪──「植民地化された(colonisé)日常生活」──、これこそがドゥボール/ISの日常生活論の根底にある認識なのである。では私たちは一体どのようにすれば富としての日常生活の潜勢力を活動へともたらし、日常による批判を機能させることができるようになるのだろうか。ドゥボールは、「自分自身の歴史を作る」ことによってであると答える。

彼らにとって「歴史」とは「現実を変形すること(transformation du réel)」[12]である。私たちは現在のこの地点において自らの現実を変形することで初めて自らの時間を生きることができる、すなわち自らの歴史を作ることができるようになる、というわけだ。そうすれば資本主義システムによって作られた反復や退屈に取り込まれずに生きることができるようになるであろう。ではそうした「現実の変形」はいかにして可能となるのか。彼らによればそれは「別の生のスタイル」を形成することによってである。

〔生の〕剥奪の本性についてのこの問いに積極的に答えるための仮説は、従って、豊かさを生み出す企図のかたちでしか言い表せないだろう。すなわち別の生のスタイルの企図(projet d’un autre style de vie) 、実際には、一つのスタイルの企図(projet d’un style)というかたちで……。[13]p.254

「別の生のスタイル」を作り出すこと、このフレーズはシチュアシオニスト(Situationniste)をシチュアシオニストたらしめている標語、すなわち「状況(situation)の構築」という目標と密接に関わっている。この点について節を改めて論じたい。

2、「状況の構築」と新しい生のスタイル

「状況」という語はそれ自体さまざまなコンテクストのなかで用いられてきた言葉であり、それだけに端的な定義を設けることが難しい概念である。シチュアシオニストの用いる「状況」もまた把握することが容易ではない。ここでは、「状況の構築」についての彼らの記述を確認しながら、そこに見出すことのできる、ほとんど不可能な主体への彼らの希求を読み取っていく。

まずはIS自身による、「構築された状況」の定義を確認しておこう。それは、「統一的な環境(ambiance)と出来事(événement)の成り行きを集団的に組織することによって具体的かつ意図的に構築された生のモメント(moment de la vie)」[14]である。私たちは自分たちを取り囲む空間のあり方と、そこで生起する時間の流れ方を共同で組織することによって、「生き生きした経験」をもたらしてくれる一つの「状況」を作り出すことができる。そうした状況を規定するのは、時空間を組織する一連の「身振り」である。

状況とは、同時に、時間のなかでの一つのまとまった行動(comportement)でもある。それは、ある瞬間の舞台装置(décor)のなかに含まれた一連の身振り(geste)から成る。これらの身振りは舞台装置とその身振りそのものから産み出されたものである。そしてそれらの身振りがまた別の形の舞台装置と別の身振りとを産み出すのである。[15]

彼らが「舞台装置」と呼ぶ時空間的な設定は、それが現れる以前の場面における身振りあるいは行動によって構成されるものであり、そうして出来した舞台装置における身振りが次の舞台装置と身振りのあり方を形成する。状況は、例えばボードゲームの「局面」とも似ている。ボードゲームにおいては駒を動かす各々の一手、すなわち一つの身振りが、現在の空間配置とゲーム全体の時間の流れを組織することになる。晩年のドゥボールは「戦争ゲーム」[16]という独自のボードゲームを開発しアルルの山奥でそれに興じていたが、そこにおいて彼は盤上で状況を作っていたと、それほどの隔たり無く言うこともできよう。彼のことを「哲学者」であると考えていたジョルジョ・アガンベンに対し、「私は哲学者ではない。兵法家である」[17]と答えたというドゥボールの発言はこうした文脈において意味をもつことになる。ドゥボールは局面=状況を作り上げることに腐心する兵法家であり、戦略家なのである。以上のように「状況の構築」とは、自らの一連の身振りによって、自分たちにとって望ましい空間の構成と時間の流れ方を、自らが生きるための舞台装置として構成することであると言える。

また、状況とは「方向=意味(sens)」として捉え直すことができる。「状況とは〔……〕瞬間を制御する(促進する)一つの総体的な組織である。」[18]ここで言われている「瞬間」とは、束p.255の間現れてすぐに滅びてしまう、把握しがたい一瞬の事実である。そして状況とは、一定の意味=方向によって個別具体的ないくつかの瞬間を、組織化し布置づけることである。例えば、「食事」という状況は、そこに含まれる個別の運動──食器をもつ、咀嚼するなどの一回的な行為──を「食事」という総体として組織化し、そのうちに意味づけることである。こうした「意味=方向」としての状況は、その始まりと終わりを客観的に確定し得るものではない。従って状況を性格づけるのは、状況を構築する実践、つまり諸瞬間を意図的に意味づけ限界づけるという主観的な行為なのである(あるいは、それが集団的なものとされていた点を考え合わせるなら、共同主観的な意味づけと言うべきである)。

しかし、ISの「状況」は単に所与のものの見方を変えるなどといった程度のことではない。彼らは意味=方向としての状況を構築するために、別の意味=方向のうちにあったさまざまな要素を取り集め、それらが従来備えていた意味を残響させつつ、自らの意味=方向のうちに統合し組織化する。ISは「転用(détournement)」と呼ばれる方法を好んで用いていたが、それは既存の文章、絵画、映像などを自らの作品のうちに断りもなく取り入れるという実践であった。

モーリス・メルロ=ポンティは、「意味」とはそれ自体が「共通の変形」であり、すなわち「スタイル」であると述べていた[19]。「意味」を生み出すのは一つの文字や事物ではなく、それら同士の関係であり、それらのうちのいくつかを慣れ親しんだ規範からある方向に一定の幅だけずらし、浮き上がらせる偏差である。そしてスタイルもまた、諸物を同じ偏差でずらすことによって立ち上がる一つのゲシュタルトなのである。この議論を援用するならば、「状況の構築」とは世界の諸物を自らの企図した意味=方向、あるいはスタイルの内に置き入れること、またそうしたスタイル自体を生み出すことであると捉え直すことができる。

ISの言う「状況の構築」が一つの「スタイルの構築」であるという点を確認してきた。彼らが日常生活を自らの活動の場としていたという点を考え合わせれば、ここでのスタイルとは「日常生活のスタイル」のことを意味し、従って「状況の構築」とは「自らの生のスタイルの構築」であると言うことができる。実際、ISはその主張のなかで、既存の生活様式とは異なった「新しい生活様式」の獲得の必要性について何度も言及している。「新旧の地区における構築物が、既成の行動様式に対しては無論のこと、われわれが探求している新たな生活様式(nouveaux modes de vie)に対してはそれだけ一層、明らかな不調和を呈しているのである。」[20]あるいはまた次のような記述。「かつての政治の、偶然ではなく根本的な失敗を認めるグループは、新しい生のスタイル(nouveau style de vie)──新しい情動──の例を自ら示すことができて初めて、自分たちに恒久的なアヴァンギャルドとして存在する権利があるということを認めねばなるまい。」[21]シチュアシオニストは自らの企図を「別の生のスタイル」の企図として位置づけていた。彼らは、現存の社会に対する闘争を、別の思想やイデオロギーの形成、あるいは別の社会体制の構築としてではなく、何よりも別の日常生活、別の生の形式の構築として遂行しようとしていたのである。

それでは、彼らが目指す新たな生活様式とは一体いかなるものなのか。当然ながら彼らが、別のものではありながらも一つの形式として同定できる具体的な生のあり方を規定することはp.256ない。ISの目指す生活様式、それは恒常的な変容によって特徴づけられる生である。「われわれの関心は不断の発明、生活様式としての発明(l’invention comme mode de vie)にある。」[22]彼らは芸術作品がスタイルとして確立され、制度化されて固定化されることに強く反対していた。いまやそうした態度から導きだれた「連続的発明」あるいは「連続的創造」としての生への希求こそが、彼らが新たな生のスタイルとして求めるものである[23]

恒常的に変容を続ける生とは、いかなる固定化された制度も習慣も反復もなしに、欲望の全面的な実現のために「遊び(jouer)」続ける生のことである。それは混乱、熱狂、祝祭によって特徴づけられる。破壊することによって構築される「別の」状況が次から次へと生み出され、既存のもの、すなわち芸術作品、建築物、都市、技術等々はそうした遊びのためだけに使われる。そしてふつう私たちが文脈と呼ぶものの一切は放棄されることになる。ISは「忘却」を賞賛する。「時間を確立する習慣までが崩れ去るのだ!〔……〕要するに、記憶を持たない人間、つねにゼロ点から出発する、連続的な暴力状態の人間が形成されるのである。/それは批判的な無知となるだろう。」[24]過去を積極的に失い、過去あるいは記憶を取り戻そうとする身振りを拒否し、つねにその場でゼロから始める人間の狂乱。そうした人間たちのアイデンティティなるものは当然固定された何かに基づくものではない。「そういう世界では、変化の速度が新たなアイデンティティを決定するだろう。すなわち、価値が変化とだけ融合することになるだろう。」[25]そこでは変化のあり様、傾きの大きさが価値判断の対象となるのだ。別の生への不断の変様こそが彼らの言う「新しい生活様式」を特徴づけている。

とはいえISの構想した新しい生活様式は、単に個人がアナーキーに混沌とした世界を生きるというものではない。状況とはあくまでも「集団的」に構築された時空間にほかならないからだ。彼らは一切の組織化を拒否するのではなく、固定されて永続化しようとし、何よりも自らを自然化しようとする組織を拒否していた。従って、求められた生とは完全なカオスの生などではなく、そこここで一時的な秩序が生み出され、またしばらくすると解けていくという力学の上に成り立つ生である。そうした志向性は、彼らがその活動の後半においてある独特な「評議会主義」の立場をとるという点にも表れている[26]。ここで言われる評議会とは「一般化された自主管理」──つまり単に生産部門にのみ関わる自主管理ではなく、日常生活全般に関わる集団的な管理の原則──に基づき、一定の規模の直接民主制によって成立する労働者評議会である。そこでは人びとが、生存に必要ないくつかの生産部門を分担して、短い時間(1日に3~4時間程度)、しかも遊戯的に働くことになる。いかなる分離された権力・部門も作ってはならず、各部門に「代表者」は置かれるものの、彼らは純然たるローテーションによって入れ替わり、制度上いつでも解任されうる。「労働者評議会は、新しいタイプの社会組織であり、プロレタリアートはこれによって万人のプロレタリアート化に終止符を付ける。一般化された自主管理とは、それによって評議会が、個人と集団の──統一的なやり方での──永続的な解放に基づいた生活スタイルを創始する、その全体性に他ならない。」[27]こうした構想は、理論的にも実践的にも十分に練り上げられたとは言えないものの、ISは、状況の構築における集団性を生存のための戦略と結びつける回路を探っていた。p.257

ISがここで述べる「新たな生活スタイル」とは、各人がそれぞれの時間と場所で集合的に一時的な状況を構築し、それが解消されればまた別の状況を構築する、と繰り返されていくノマド的なスタイルのことであった。前節の議論と重ね合わせれば、それは「スタイルを構築する」というスタイルであると言うことができるだろう。断続的なスタイルの構築、それこそが彼らの求める生の様式である。ISにとって以上のような仕方で営まれる日常的生こそが真に生きる価値のある生なのであり、従ってこうしたシチュアシオニスト的生をこそ、あらゆる批判の基準としなくてはならない。そして彼らは、この世界を、あらゆる人々が状況を構築しうる世界にすべく運動を展開していった。

3、あまりに苛烈な日常生活

ここまで私たちはシチュアシオニストの日常生活論について、彼らに最大限寄り添いつつ記述してきた。しかし当然ながら彼らの議論にはすでにさまざまな批判がなされている。例えばマイケル・ガーディナーは、シチュアシオニストによって言及される「日常生活」なるものは一体誰の日常生活なのかと問う。

まず、ISは特定の集団にとっての「日常生活」を適切に考慮することがおしなべてできていない。もっとも顕著なのは女性についてであり、人種的/民族的あるいは性的少数者たち、またそれらの人々に重なるインターセクショナルな人々についても同様である。この点は部分的にはISそれ自体の社会的構成によって説明することができる。彼らの大部分は(全員がそうであったわけではないが)男性であり、白人であり、異性愛者であった。[28]

ルース・バウマイスターも指摘する通り、ISの歴代メンバーは72人を数えるものの、そのうち女性は7人のみであり、しかもほとんど全員が男性メンバーの恋人や妻、あるいは家族として加入した者たちであった[29]。もちろんISがある種のボーイズ・クラブであるということそのものだけで彼らが彼らにとっての他者を無視していたと断言することはできない。しかし、「日常生活」という語がつねに単数形で登場するという点、そしてそれがあくまでも一つの概念的標語としてのみ使われているように見えるという点などを考慮すると、つねにすでに送られている日常生活のさまざまな側面、あるいはさまざまな人によって送られている複数形の「日常生活(les vies quotidiennes)」を、シチュアシオニストは無視してしまっていると考えるのが妥当である。

また、ISは「習慣の要請に完全に反抗すること」[30]を称揚し、「漂流(dérive)」や「心理地理学(psychogéographie)」などさまざまな実践を通して既存の習慣を無化しようと試みていた。心理地理学とは都市のさまざまな環境が人びとの情動や行動に対していかなる影響をもたらすのかを研究する試みであり、漂流とは心理地理学での研究結果を参照しつつ、既存の習慣や環境からの影響を敢えて切断するように都市をさまようという実践である[31]。こうした習慣破壊p.258の志向性は第一に既存の秩序を強制してくる「伝統」的な社会や官僚制、そして何よりも資本主義システムへと向けられるものであるが、同時に習慣を身につけることでなんとか自らの生の場を確保している人びとの諸実践を──副作用として──無化してしまう危険をはらむものである。

この点はあらゆる人びとが自ら状況を作るという状態を目指したISにとって躓きの石となる。すなわち、文字通りあらゆる人びとが状況を構築することはそもそも不可能なのではないかという当然の疑問が生まれてくるのである。その不可能性の一端はすでに彼らの仲間の一人においても表れている。ISの前身であるアンテルナシオナル・レトリストのメンバーであったイヴァン・シェグロフは1953年頃に約4か月もの「継続的な漂流」を試みた結果、精神のバランスを崩し精神病院に収容されることとなった[32]。彼は「自己」を形成し維持するために必要不可欠な「反復」を一切拒否したことで臨界点を超え、もはや通常の精神的生活を送ることが不可能になってしまったのである。シェグロフ自身も漂流の危険性を自覚しており、のちに漂流は長くても1週間程度に留めるべきだと提案している。日常生活の完璧な破壊、それが彼の生に刻み付けられた瞬間、彼は状況の構築へと至るはずだった。しかし、彼はこう述べている。

漂流は確かに、一つの技術であり、ほとんど治療法と言ってもいいものである。しかし、ちょうど、他に何も伴わない精神分析がほとんどいつも禁忌とされているように、継続的な漂流も危険である。無防備に(基地がないわけではないが……)遠くまで進みすぎた人は、分裂や衰弱や精神遊離や崩壊の危険にさらされるのだから。そして、その行き着く先は、「日常生活(la vie courante, 流れ去る生)」と呼ばれるもの、すなわちはっきり言えば、「石と化した生活(la vie pétrifiée)」への回帰である。[33]

これは彼の精神が小康状態にあるときに書かれたドゥボール宛ての手紙である。この後彼は精神の深い闇へと落ちていき、戻ってくることはなかった(最終的に彼はフェリックス・ガタリの存在で有名なラボルド医院へと収容されたとされている[34])。ここで示唆されているのは、反復や習慣の破壊がつねにシチュアシオニストたちが言う意味での「構築」へと向かうわけではないということである。

言うまでもなく、単に生物学的な意味においても、あるいは社会的な意味においても、生きるためには反復が必要不可欠である。具体的な日常の場面において、資本主義システムが強制するリズムを拒否するとしても、反復の必要性を無視することはできない。ガーディナーがリタ・フェルスキーを引きつつ述べるように、「日常生活を構成するには即興と反復の両方が必要なのである」[35]。日常生活の反復としての側面を無視するならば、それは日常生活そのものを裏切ることになってしまいかねない。それは彼らが見ていた日常の「富」を失うことを意味するだろう。日常生活の富は、むしろ即興と反復とが織りなす「わざ」のうちにこそ備わっているのではないか。

シチュアシオニストの目指す生のあり方は極めて刺激的なものである。そこに見出せるのは、p.259絶えざる変化に身を晒し、それでも新たなそして一時的な秩序を打ち立て続けることのできる強い主体のあり様であった。こうした主体が前提される世界において自らスタイルを形成しえなくなってしまった者はどうなるのだろうか。ISは「遊び」を称揚するが、遊ぶためには健康が必要であり、遊び続けるには尽きせぬ体力が必要であろう。そうしたものをもち合わせない人々を無視する「運動」は挫折する運命にある。いかに彼らの理論的遺産が大きくとも、実際の活動目的が十分に実現しなかった原因の一つには以上のような困難があったことは認めざるをえない。

4、日常生活──語りえないものを生きること

確かに、ISの求める生の様態は苛烈なものであった。それは必ずしもあらゆる者の参入を容れるものではなかったし、現実に営まれている日常生活ともかけ離れたものであった。しかし、なによりもまず彼らは自分自身が「新しい生の様態」を生きようとしていた。そこで彼らが求めていたのは、理論を伝えることよりもむしろ、彼らの生き方そのものが人びとの「例」となり、そして人びとの生を変える契機となることである。従って私たちが見るべきなのは、理論が理論として成立するさいに切り落としてしまったものではなく──それはそれとして重要ではあるものの──、彼らがその理論をもって生きることを試みたさいに示しえた事柄なのではないだろうか。本節ではこの点について、著書『身体の使用』(2014)の「プロローグ」をドゥボールのために費やしたアガンベンの記述を導きの糸として論じてみたい。

アガンベンは、晩年のドゥボールの一見奇妙に思える身振りを踏まえて、そこに見出される戸惑いが指し示すある重要な圏域について指摘している。すでに見てきたように、ドゥボールはその理論および実践を通して、過去を忘却し、反復を退けた、つねに変転するスタイルとしての生を構想してきた。そしてそれは間違いなくドゥボール固有の生のあり方をかたち作ってもいた。しかし、晩年の彼の作品には安直なノスタルジーと取ることもできる回顧的なトーンを帯びた場面が登場する。アガンベンが指摘するように、ドゥボールは最後の映画作品である『夜ぶらつき回りに出かけよう、そして火で焼き尽くされよう』(1987)のなかで、唐突に自らが若いころに住んでいた家やかつてあったカフェなどのパリの街並み、そして友人たちの写真を登場させ、そこにノスタルジックな語りを随伴させている[36]。「興味深いことにも、ギー・ドゥボールのなかでは、私的な生(vita privata)では不十分だという明澄な意識に、自分の生活や彼の友人たちの生活にはなにかユニークで範例的なものがあって記憶され伝達されることを要請しているという多かれ少なかれ自覚的な確信がともなっている。」[37]つまりドゥボールは、資本主義や官僚制によって生そのものを剥奪された生=私的な生(vie privée)を拒否し、過去の忘却すら肯定する一方で、自身や仲間たちの生のあり方を一つの重要な「例」として記録し伝達しようと試みていた、というわけである。この身振りは、自身の理論に反してISの生の形式を特権化し、保存しようと試みる者のそれであるようにも思われる。ここに単なる矛盾を見出し、ドゥボールの「いいかげんさ」[38]を指摘して溜飲を下げることも十分に可能であろう。しp.260かし、アガンベンはこの一見した撞着にこそ真に取り組むべき問題が潜んでいると考える。

とは言え、ドゥボールの提示する語りや映像は彼の他のほとんどの作品同様に断片的であり、それだけで彼らの生がいかなる仕方で営まれていたのかを十分なかたちで知ることはできない。あるいはそれはドゥボール自身の言葉を借りて言い表されるように、「笑い出したくなるほどわずかの記録資料しか所有していない私生活の秘密」[39]の伝達不可能性そのものを指し示しているようにすら思われる。自らの日常を伝えようとする試みは往々にして〈笑い出したくなるほどわずかの記録資料〉を後付けの枠組みに押し込めただけの、事実とは多かれ少なかれ隔絶したものへと帰結するだろう。アガンベンはここに、自身の生の伝達を安易に試みるドゥボールの「無邪気さ」を読み取りつつ[40]、それと同時に彼の内での日常的生あるいは「内密の生(vita clandestina)」についての葛藤を見出している。

ドゥボールにとって自身の日常的生とは、伝達不可能でありながらも伝達すべき重要な事例であった。しかし、そうした生はいざ記録や伝達をこころみるとすぐに把捉を逃れ、ただ「退屈で何の感動も呼ばない日常性」をあとに残すのみである。ドゥボールは『スペクタクルの社会』(1967)においても「真の生」や「直接に生きられたもの」、「強烈な生」などの言葉を絞り出すように繰り返しているものの、その具体的な内実を明確に示すことはない。第1節で見たように、ドゥボールは日常生活に対する「全体的な判断」の必要性をもって日常を政治へと持ち込もうとしていた。しかし日常的生はそうした全体的把握に抵抗し逃れ去ろうとするものである。ドゥボールが「完全に現実のもの」であると認めた「ドアを開けたりグラスを満たしたりする行為」[41]は、その都度の具体的で一回的な行為において厚みや強度をもちつつ、「意味」に抗い続けるだろう。「全体」について一つの判断を下したからといって、一つ一つの行為がそうした全体的判断に還元され意味あるものとして把握されるわけではないのだ。

把握にも伝達にも抗う日常的生のうちには、西洋において伝統的に「内に秘められたもの」とされてきたものもまた登録されている。「食物の摂取、消化、放尿、排便、夢、性欲、等々。そしてこの顔のない同伴者が占める比重は各人がそれをだれか他人に負担してもらいたいと求めるほどまでに重い。」[42]伝達も共有も不可能な、自ら担うほかないこうした内密の生もまた日常的生の一部である。ここでアガンベンは以下のようなイメージを想起している。「生はここではほんとうに、若者が盗んで外套の下に隠していて、肉をずたずたに引き裂かれていても白状できないでいる狐のようなものだ。」[43]ドゥボール自身が若いころからの慢性的なアルコール依存症に苦しめられていた[44]という事実を差し引いたとしても、意味を逃れ去る内密の生、あるいは日常的生の存在が彼の生を裏側から侵食しつつ同時に支えていたという解釈はアガンベンの慧眼である。ここに見いだされる苦しみや葛藤こそが、彼をして生の形式の不断の変容という企図へと向かわせていた。そしてその企図は、生には完全には理解も言表も不可能な要素が必然的に含まれており、それでもなおそうしたものと向き合って生き続けなくてはならないという直観に支えられている。

アガンベンが指摘したように、私たちは完全には私たちの自由にならないものと関係しつつ生きていくしかない[45]。いわゆる外的なもの、すなわち大地や気候、環境、他者などをはじめ、p.261言語や、「自らのもの」として登録されがちな身体や精神なども完全にコントロールすることは不可能である。それでも私たちは、それらが私たちに対してもつ異邦性を何とか馴致し、親密なものへともたらすことで生を何とか生きうるものにする。習慣を生み出すこと、あるいは自らの生のスタイルを作り出すこととは、世界の異邦性を縮減することにほかならない。もちろん私たちが扱うさまざまなものの疎遠さが根本的に消え去ってしまうことはない。世界は突然私たちに牙を剝くし、身体は突然不調を告げる。そのようなとき、私たちの世界や身体はコントロール不能な他者として立ち現れる。いかに習慣化され同じことを繰り返す生活であったとしても、その日常は極めて脆弱なのだ。日常とは従って、世界の異邦性と私たちによるその親密化とがせめぎ合う、絶えざる緊張の場であると言える[46]。私たちは「形式化」あるいは「スタイル化」という武器をもって異邦性を内に巻きこみつつ何とか防波堤としての習慣を形作るしかない。

アガンベンによれば、近代世界は世界の異邦性を、私たちの生にとって完全に外的なものとして放逐してしまった。より正確に言えば、近代の政治権力はそうした異邦性を「非人間」的なものとして排除しつつ、同時に「排除されたもの」として社会の前提に据えている。そしてその排除されたものが回帰するとき、権力はその「管理」に全力を傾けることになる。彼の診断によれば、現代とは「排除されたもの」の全面化とそれに対する権力行使が常態化した時代である(「例外状態」の恒常化)[47]。こうした状況においては、もはやそれ以前のように端的に「自然なるもの」のもつ異邦性を排した「人間的なるもの」を恢復するという空しい試みは無意味であろう。むしろ異邦性を受け止めつつ何とか親密化を試みる場において成立する、生の形式やスタイル──彼の表現を借りるならば〈生の形式〉(forma-di-vita)──をこそ政治の中心に置かなくてはならない[48]。これがアガンベンの主張であった。

こうした〈生の形式〉とはしかし、ある意味で私たちがつねにすでに行っていることでもある。問題はそれが政治的な言説においてまともに取り上げられることがなかったという点にある。こうした観点から評価するならば、ISはすでにその実践において〈生の形式〉のありようを提示しえていたのではないか。彼らは自らを、漂流やスキャンダルという仕方でもって「都市」を始めとした他者へと晒し、一時的に形成されしばらくすると放棄されるスタイルについての探求を続けた。それは非日常的な地点から大衆を導く「前衛」としてのあり方ではなく、むしろ私たちが日常においてつねにすでに行っていることを意識化し先鋭化することで「方法」の領域にまで持ち来たらせるという道筋であったと言える。

ドゥボールはシチュアシオニストたちのことを「決死隊(enfants perdus)」と呼んでいた[49]。それは彼らが敢えて他なるもののうちに身を投じ、すんでのところで生きながらえるという命がけの行為を通じて、むしろ生とは元来このようなものであると誇張気味に示すパフォーマティヴな実践だったのではないか。そしてその実践は「マジョリティ」と呼ばれうる人びとが普段は見ないで済ませている「異邦なもの」を決定的に暴き出す身振りであった。その身振りは、言語化不可能な異邦なものへと自ら身を晒し、そこで何とか把握可能な形式を作り出すというプロセスと不可分である。これこそが「日常生活」を考えるさいに取るべき姿勢についてシチp.262ュアシオニストが示した一つの回答である。本論文はこのように結論したい。

5、おわりに

本論文ではここまで、ISにおける「日常生活」論についてその内実を検討してきた。まず日常はそれ自体があらゆるものの判断基準となるべき「中心」であるとされる。しかしISの見た人びとの実際の日常生活は、主に資本主義システムによって植民地化され、労働と余暇のリズムに象徴される強制的な「反復」によって組織された、退屈でつまらないものであった。彼らはそこから抜け出すために「新しい生活様式」を獲得しなくてはならないと主張する。それは生を不断に別の仕方で再形式化しようと試みるというものであった。そこには変化こそがアイデンティティを規定するというほとんど不可能な主体への希求を見出すことができる。しかし、彼らの言う「日常生活」論がつねにすでに存在する日常生活の多くの側面を無視している点、また習慣や反復を無化することのできる強力な主体を前提している点などから、その理論的・実践的限界が指摘されてきた。それでも、ドゥボールにおける日常生活への戸惑いに表れているように、ISの人びとが自身の求めた生を実際に生きることで示しえた生の重要な側面がある。それは、生が自身にとって脅威となりうる異邦なものと、スタイルや形式を用いることで関係しつつ生きているという事実である。この事実は日常についての思考にとって見落とすことのできない、親密性、異邦性、そして形式性についての問いの圏域を開くものであったと言える。

シチュアシオニストの日常生活論として本稿が取り出しえた議論は以上である。更なる議論の発展のためには、ここでの結論を踏まえ、より広範な日常性研究の文脈にシチュアシオニストの日常生活論を位置付けることが求められる。この点をもって今後の展望としたい。p.263

参考文献

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鷲田清一『メルロ=ポンティ 可逆性』講談学術文庫、2020年。

Notes

  1. [1]

    ISの歴史については以下に詳しい。Trier,Guy Debord, the Situationist International, and the Revolutionary Spirit ; Trespeuch-Berthelot, L’Internationale situationniste : De l’histoire au mythe (1948-2013).

  2. [2]

    Sheringham, Everyday Life : Theories and Practices from Surrealism to the Present, p.3.

  3. [3]

    Internationale Situationniste, no 6, Août 1961, p.24./③67頁。

  4. [4]

    下線筆者。Ibid, p.21./③61頁。

  5. [5]

    ルフェーブル『日常生活批判1』144頁。

  6. [6]

    ルフェーブルとドゥボールのあいだにもさまざまな立場の違いがあり、その点についてはこれまで多くの論述がなされてきた。しかし本稿の目的はあくまでもドゥボール/ISの日常生活論の内実を明らかにすることである以上、この点については詳述しない。彼らの立場の違いについては特に以下の文献を参照。Goonewardena, “Marxism and everyday life: on Henri Lefevre, Guy Debord, and some others.”

  7. [7]

    下線筆者。Internationale Situationniste, no 6, Août 1961, p.21./③60頁。

  8. [8]

    Ibid, p.22./③62頁。

  9. [9]

    別の場所でドゥボールはこの反復を「疑似円環的な時間(temps pseudo-cyclique)」と呼んでいる。これは身体のリズムや環境のリズムまでもを自らのリズムに取り込もうとする資本のリズムである。Debord, La Société du Spectacle, Thèse 148, p.831.(ドゥボール『スペクタクルの社会』142頁。)

  10. [10]

    資本主義システムはただ搾取するだけではなく、その搾取自体に気づかせないために「商品のヒューマニズム」を構成し、労働すれば多くの商品が手に入り従って豊かになるのだと囁く。ただしそれはあくまでも「商品の豊かさ」に過ぎないのだ。Ibid., Thèse 43, p.779./37頁。

  11. [11]

    下線筆者。Internationale Situationniste, no 6, Août 1961, p.23./③65-66頁。

  12. [12]

    Ibid, p.22./③64頁。

  13. [13]

    Ibid, p.24./③68頁。

  14. [14]

    Internationale Situationniste, no 1, Juin 1958, p.13./①42-43頁。

  15. [15]

    Ibid., p.11./①38-39頁。

  16. [16]

    ドゥボールはこの「戦争ゲーム」のルールを記した手紙を、晩年の同伴者の一人であったジェラール・ルボヴィッチに送っている。(Guy Debord à Gérard Lebovici, à 24 mai 1976, Le « Jeu de la guerre », in Œuvre, p.1317-1325.)

  17. [17]

    ジョルジョ・アガンベン「ギー・ドゥボールの映画(1995)」『ニンファ その他のイメージ論』63頁。

  18. [18]

    Internationale Situationniste, no 4, Juin 1960, p.10./②37頁。

  19. [19]

    メルロ=ポンティはスタイルを「首尾一貫した変形(déformation cohérente)」として捉え、そこから〈意味〉が湧出するとした。(メルロ=ポンティ『精選 シーニュ』129頁。)彼にとってスタイルとはいくつかの要素に、馴染みの規範からの一貫した逸脱を与える図式のことなのである。メルロ=ポンティのスタイル論については以下に詳しい。鷲田『メルロ=ポンティ 可逆性』、落合「スタイルの創設 メルロ=ポンティにおける意味と表現」。

  20. [20]

    下線筆者。Internationale Situationniste, no 3, Décembre 1959, p.37./①258-259頁。

  21. [21]

    下線筆者。Internationale Situationniste, no 7, Avril 1962, p.161./③139頁。

  22. [22]

    Internationale Situationniste, no 3, Décembre 1959, p.30./①240頁。

  23. [23]

    ドゥボールはヨルンへの書簡のなかで以下のようにも述べている。「私はすでにこのように言いました。私はただ「動く秩序(ordre mouvant)」においてのみ働きたいのであり、決して教義や制度を構築したいのでないと。」(Guy Debord à Asgar Jorn, 9 août 1962.)ここで読み取るべきは、ドゥボールが「無秩序」ではなく「動く秩序」を志向していたということである。完全なる無秩序はむしろ完全な秩序へと至るのであり、そこに情動的な強度はありえない。それよりもその都度構築される秩序という形象こそ彼の求めたものなのである。

  24. [24]

    Internationale Situationniste, no 3, Décembre 1959, p.32./①246頁。

  25. [25]

    下線筆者。Ibid., p.35./①252頁。

  26. [26]

    ISにおける「評議会」の思想史的立ち位置については以下を参照。江口幹『評議会社会主義の思想』。

  27. [27]

    下線筆者。Internationale Situationniste, no 12, Septembre 1969, p.75./⑥235頁。

  28. [28]

    Gardiner, “The Situationist’ Revolution of Everyday Life,” p244.

  29. [29]

    Baumeister, “Gender and Sexuality in the Situationist International,” p.118.

  30. [30]

    Debord, « Introduction à une critique de la géographie urbaine », in Œuvres, p.208.

  31. [31]

    「漂流」や「心理地理学」などの実践が都市空間といかなる関係にあったかという点については以下を参照。南後由和「シチュアシオニスト 漂流と心理地理学」。

  32. [32]

    Internationale Situationniste, no 9, Aout 1964, p.38./④307頁。

  33. [33]

    Ibid., p.38./④306頁。

  34. [34]

    Hussey, The Game of War: The Life and Death of Guy Debord, p.95.

  35. [35]

    Gardiner, “The Situationist’ Revolution of Everyday Life,” p.246.

  36. [36]

    アガンベンはここでこの映画作品の名を『賞賛の辞』(1989)だとしているが、これは映画化されていない作品であり『夜ぶらつき回りに出かけよう、そして火で焼き尽くされよう』との混同であると考えられる。彼が映像に出てくるものとして描写している箇所が後者のなかに確認できる。

  37. [37]

    Agamben, L’uso dei corpi, p.1013.(アガンベン『身体の使用 脱構成的可能態の理論のために』3頁。)

  38. [38]

    上野俊哉は『シチュアシオン ポップの政治学』において、ISやそれを引き継いだプロ・シチュたちのある種の「いいかげんさ」がさまざまな文化的・政治的活動を可能にしたとして肯定的に描いている。

  39. [39]

    Debord, Critique de la séparation, in Œuvre, p.546.(ドゥボール『映画に反対して ドゥボール映画作品全集 上』111頁。)

  40. [40]

    Agamben, L’uso dei corpi, p.1013./ 4頁。

  41. [41]

    Internationale Situationniste, no 6, Août 1961, p.20./③57頁。

  42. [42]

    Agamben, L’uso dei corpi, p.1018. /12頁.

  43. [43]

    Ibid., p.1018./12頁。このイメージは、プルタルコス『英雄伝』において記された、古代ギリシャの都市スパルタでの子供の教育についての逸話に由来している。当時の子供たちは敢えて飢えさせられ、大人たちから食料を盗むことを通して大胆さや不埒さを身につけるよう強制されていた。「子供たちはこうして、いろいろ考えをめぐらした上で盗みをやる。そこでこういう話もある。ある子が狐の子を盗んで、それを擦り切れた外套の下にくるんで運んでいたが、腹を爪で引っ掻かれ、歯でかみつかれながらも、気づかれまいとこらえているうちに、死んだ、というのである。」(プルタルコス『英雄伝1』149頁。)また、モンテーニュも『随想録』の「1の14 幸不幸の味わいは大部分我々がそれについて持つ考え方のいかんによること」という章のなかでこのエピソードを引用している。(モンテーニュ『随想録』101-102頁。)

  44. [44]

    以下を参照。Trespeuch-Berthelot, Guy Debord ou l’ivresse mélancolique.

  45. [45]

    Agamben, L’uso dei corpi, p.1093. /144頁.

  46. [46]

    この点については以下を参照。Bégout, La découverte du quotidien.

  47. [47]

    以上の点についてはアガンベン『ホモ・サケル』を参照。

  48. [48]

    Agamben, L’uso dei corpi, p.1211. /344頁.

  49. [49]

    「私たちは決死隊として生きている。」(Debord, Hurlement en faveur de Sade, in Œuvre, p.58.(『映画に反対して 上』p.28。))

この記事を引用する

野上貴裕「シチュアシオニストの「日常生活」論」『Phantastopia』第2号、2023年、249-267ページ、URL : https://phantastopia.com/2/situationist-theory-of-everyday-life/。(2024年11月21日閲覧)

執筆者

野上貴裕
NOGAMI Takahiro

博士課程。「日常性」をテーマに研究しています。

英語要旨

The Situationist’s Theory of “Everyday Life”

NOGAMI Takahiro

This study examines the theory of “everyday life” derived by the Situationist International (SI), clarifies its content, highlights its problems, and presents the possibilities available due to its practice. The SI was an international activist group mainly active in France from 1957 to 1972 and originated from the avant-garde art movement. The SI also participated in the radical political demonstration called, “May 68.” Their theory and practice were based on everyday life, and they repeatedly committed various scandalous acts to change it. Even though their efforts are not fully appreciated, we attempt to give them due credit for their theory of everyday life.

In the first section, we confirm that SI defines everyday life as the measure of all things. The situationists argue that the highly developed capitalist system enforces repetition which lowers and degrades the quality of everyday life. They conclude that to escape mere repetition and live an authentic life, we need to embrace a constantly changing lifestyle.

In the second section, we discuss how creating a new lifestyle is associated with the SI concept of “construction of a situation.” Situations are the meanings that organize things, and meanings are the styles that define the way things are. We show that the SI sought a new situation, an intense life that continues to create a new lifestyle.

In the third section, we examine the critiques on the situationist’s theory of “everyday life.” This theory is criticized for its theoretical and practical limitations, namely that it ignores many aspects of everyday life that already exist and assumes that one can live without habits and repetition.

Finally, in the fourth section, we examine the important aspect of the situationist’s theory on “everyday life” as demonstrated through the actual lives led by SI members themselves. This viewpoint reveals that life is led in accordance with “the strange,” which threatens life through stylization and formation of life itself. This fact reveals a host of questions about intimacy, strangeness, and formality that cannot be overlooked in thinking about everyday life.

 

Phantastopia 2
掲載号
『Phantastopia』第2号
2023.03.27発行