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研究ノート

映画作家を忘却しないために松村浩行という映画作家についての試論

小城大知

p.69はじめに

本研究ノートは、映画作家である松村浩行(1974)が監督したすべての映画4作品について概観することを目的としている。

寡作の映画作家について研究することは極めて難しいものであるように思われる。理由は様々に挙げることができるが、やはり映画作品数が少ないことによりイメージや物語、証言等による分析による一定の限界を感じ取りやすくなってしまうが故なのではないだろうか。例えば、寡作の作家として有名な人物としてビクトル・エリセが挙げられるが、エリセの長編監督本数はキャリアの中でわずか5本(うち単独監督作品は3本)である。しかし日本での受容に比して、その研究事例は少ないことが挙げられる。

この研究ノートは、寡作の映画作家の研究事例が少ないという事態に対して一石を投じる、といった壮大な目的を持つものではないにしろ、寡作の作家である松村浩行という映画監督を論じることで映画研究を行う者が本義とすべき「問題意識をもって映画作家を忘却しない」ことに与したい。松村浩行について近年の状況を振り返るならば2021年3月20日、21日に大阪で全作品を振り返る回顧上映が行われたことが挙げられる。上映会を企画した国立国際美術館の目的としては、松村の映画の持つ衝撃を蘇らせ彼の新たな作品を待ち望むことであった[1]。本研究ノートにおいて、松村の映画作品4本を時系列順に取り上げ松村の執筆作業、松村や共同作業者の発言と共に、松村の映画の持つ衝撃を全作品に共通して存在している「抵抗」の観点から概観していきたい。

1.『よろこび』(1999):若者の虚無、そしてそれからのささやかな抵抗

松村の映画作業は1999年の短編『よろこび』から始まる。この作品は松村が映画美学校在籍時に製作した32分の短編作品であり、オーバーハウゼン国際短編映画祭で国際批評家連盟賞を受賞したことで、松村浩行という作家を世に知らしめた一作品であると言えよう。

ある女性(アオシギ)が労働をしている。しかし労働といってもそれは所謂労働に持たれるイメージとは一線を画すものであると言えよう。彼女が属しているのは「リズム社」という会社である。その会社の目的は「リズム社」という名がつくように毎日のように一定の「リズム」を作り出すことである。その「リズム」は何も人間の活動に寄与しない。女性は毎日のように「リズム社」に出社し、太鼓をたたいて「リズム」を刻み給料を受け取るという生活をしている。p.70今の言い方を使用するならば彼女の仕事は無くてもよい仕事=ブルシット・ジョブ[2]であることが言える。

対照的な登場人物として、学生の集団が挙げられる。学生集団は、自らの笛で「リズム」をかき鳴らすが、それに対して決して対価を受け取ろうとしないどころか、お金を渡そうとした人間に対し2度にわたり暴力をふるうシーンが存在している。学生集団にとって「リズム」は、金銭を受け取る手段には決してならず、自らの行動が生活にはなりはしないという思想をもって、無益な「リズム」を刻み金銭を受け取る生を感じることのできない少女に対する意趣返しのような役割を持っていることが言えるだろう。

ブルシット・ジョブによって賃金を稼ぐ少女を演じた遠山智子に関して、本作の撮影を担当した居原田眞美は以下のように振り返っていることも印象的である。彼女自身が巫女のような離世のような存在であったことが、この作品の製作においては重要であったらしい。

普通の20歳の女の子とは根本的に違った。彼女には一切、かわいく映ろうなどという考えはなく、白痴の死体のような肉の塊としてぼん、とカメラの前にいるので、私は試すようにファインダー越しに彼女を見つめるのがたまらなく楽しかった。[3]

実際に彼女の太鼓をたたくといった挙動、手を動かすといった身体的な動きは機械的であり、そこから生き生きとしたものは感じられない。松村の言うキャメラ[4]はパンやズームアウトを多用することで、また常にどこか暗さを顕現させる照明が伴い、彼女や周辺の風景の狭窄感を示す。そこには自由や広さ、明るさといった積極さは徹底的に排除される。

ところが制作者の発言やキャスティングとは真逆に、映し出される映像は隔世とは真逆の様相をたどることになっていることもまた皮肉であることが言えよう。ブルシット・ジョブで金銭を稼ぐことは、おのずと資本主義社会への痛烈な批判として出現するためである。その批判を表象するキャラクターとして「リズム社」に中途採用されていく中で太鼓を壊し、彼女の中からその無を暴露していく男の存在が挙げられる。男の存在は、女を「リズム社」の労働という無から一旦脱却させることになるが、それは同時に自らの生き方を彼女に思考させるという苦しみを与えるものであった。ここで、多摩の自然を舞台に彼女たちの逃避行が始まる。太鼓という無を生産する搾取の装置を持ち去り、広々とした空間を歩いていくことで映画は狭窄的な演出から脱することになる。

だが、若き松村が無から脱出できないように、若き少女が「無」からの脱却に対して答えを出すことはできない。少女は男を利用し自ら太鼓をたたく作業を捨て去りながら、自らの身体を映像から消し去ることでその後の自らの人生をどのように送るかに対する答えを出さない形で本作は幕を閉じる。無論、彼女自身が自ら選択した人生という観点から見れば、自ら無から脱却しないという行為そのものが無からの脱却であると言えるのかもしれない。だが、若き松村が無から脱却できなかったということと同じように、それは居原田が、思いやりの心があった松村のことを「自分でもどうにもできない彼の弱さ」であると評した[5]ように、女は男を利p.71用して自らの新たな人生を切り開くことはできなかったのである。しかし、彼女の表情にはこれまでになかった人間味のある色が立ち現れる。この映画は、機械的な「無」を脱却し自らの生を自立した形で生きるために必要な「無」への移り変わりとして考えることができるのではないだろうか。

2.『YESMAN/NOMAN/MORE YESMAN』(2002):日本語、しきたり、そして未完

2002年に初の長編作品として発表された本作は、ブレヒトが日本の能曲「谷行」をベースに翻案した同名戯曲をほとんど忠実なセリフ使用により映画化した作品である。この作品は三部に分けられ、①YESMAN第一稿(モノクロ)、②NOMAN第一稿(モノクロ)、③YESMANの第2稿からアプローチして新たに製作したMORE YESMAN(カラー)の三部構成として、それぞれが一つの始まりと完結を迎える構成となっている。

この作品を論じることにおいて間違いなく重要なこととして、全編がナレーション(戯曲原文におけるコーラス)のヴォイスオーヴァーで使用される副音声を覗いて原則日本語で展開されながら、戯曲の展開によって異なる運命を背負わされる少年を除き、全てのキャストが日本語話者ではなく、その日本語の発話も全てローマ字読みの発話形式を採用している点である。これはなぜなのだろうか。

まずは松村の記録からこの問いについて考えてみたい。以下のように彼は述懐している。

かれらと日本語のあいだの関係は、日本語がネイティヴである人間が母国語に対する関係とは当然質を異にする。個々の習熟度とは別に、やはりかれらと日本語のあいだには乗り越えがたい距離がある。だからかれらは、二重の意味で「法」のあからさまな強制を受けているといえる。すなわち、映画のシナリオという法と、日本語という法の。そしてかれらが体現してくれた不自由さは、この物語の基底に横たわって共同体の成員を律している「大いなるしきたり」の存在とも、どこか通底しているような気がするのだ。 いま僕はどこか他人事のように法の強制といい、不自由さともいった。そして僕はここ避けては通れない問題に出会うのである。[6]

松村の目的が、まさに言語と映画というものを「制度」として捉えることで、その御しがたい断絶を、外部へと曝け出すことであったことは間違いない。それは松村自身が自覚していたように映画を政治的な問題としてその俎上に載せることを意味する。日本語話者でない役者たちが話す日本語は、映画におけるシナリオや演出にどのような意図をもたらすのかということを、松村は本作品を通して思考しているのだが、それは映画のテーマである「しきたり」、すなわちここでは共同体としての映画を「受容」する/「放棄」するという二つの選択肢をもたらすことに成功している。その中で『YESMAN』ではしきたりを了解する子供の選択肢として共同体の受容、『NOMAN』ではしきたりそのものに疑念を呈することで「その変革」を了解するp.72子供の選択肢を与える。これは集団の持つ空虚さから脱却し、確立した一人の人間として逃避しようとする『よろこび』(1999)とは一種真逆の構造をとっていることが言える。

ところが、『MORE YESMAN』という作品は、ブレヒトの「イエスマン」第2稿を原案としながら、前2作と全く異なる映画となっている。まず映像としては全2作と異なり本作はカラーとなり、登場人物がより明瞭な形として登場する。これは松村が意図する言語の「外在性」をより際立たたせる役割を持つ。

そしてもう一つ異なる点としては、二つの形の「了解」を経ていることである。ブレヒトの『イエスマン』にしろ『ノーマン』にしても両方の冒頭では「何よりも重要な学習とは了解することだ。イエスといっておきながら、了解しないことがたびたびある。よく尋ねられもしないのに、間違った早のみこみをして納得している者が多い。だからこそ― 何よりも重要な学習は了解することなのだ」と示されているように、本作品のテーマは「了解」なのである。その中で、「イエスマン」ではある目的を完遂するために自ら自決する犠牲者とならなければならないというしきたりへの了解が示された。しかし、副題が「学校オペラ」となっているように、「イエスマン」への批判としてこの作品の東洋的な犠牲精神が教育上会わないという指摘が存在していた。そこで、「ノーマン」では「しきたりそのものを疑う」という対抗手段としての「了解」がとられている。これはブレヒトの「異化効果」の基本的な思考と類似したものを読み取ることができる。

ここで松村の『MORE YESMAN』の目的は(しきたりへ従属すること/しきたりそのものを疑うこと)という二つの了解=異化効果を獲得することを経て新たに描き直すことでで、了解行為=異化そのものを脱構築することにあったのではないのだろうか。その中で、カラーで「イエスマン」を描くことで、ロケーションを明瞭化することで、まず、『YESMAN』『NOMAN』という二つの映画の中に存在する既知のものを新たに異質化してしまうことを試みる。そうすることで2作以上に日本語が異質なものに感じ取られ、また作られた人工の部屋と多摩を拠点に展開される山中というロケーションの対立関係が鮮明なものとなる。そして、『YESMAN』ののしきたりへと従う、その振舞方そのものを脱構築する。実際に『MORE YESMAN』は『YESMAN』と同様、少年が最終的に井戸に投げ込まれるという結末には変化がないものの、その発言、身体表現、ひいてはしきたりを正当化する論理すらも変化していく。ブレヒトが教育劇として発表したこの戯曲は、松村の映画においても3部に分けることで、終わらないしきたりの運動イメージを構築することへとつながっている。

もう一つ忘れてはいけないのが、この作品も終わりが存在しない、「未完」の作品であることである。製作にかかわった柴野淳が回顧するところによると、この作品には本編を補完するためにジャン・ルーシュがシネマ・ヴェリテの手法の一つとして用いた、鑑賞後の観客の議論の様子を映画化するという構想があったらしい[7]。その構想自体は実現しなかったのだが、『YESMAN』の脱構築という『MORE YESMAN』に対照する形で、『NOMAN』にも『MORE NOMAN』という作品が存在していてもおかしくはなかったかもしれない。しかし、松村の営みはこの作品の補完を退ける形で、自ら完成することを拒否する。それは戯曲が教育劇というp.73終わらない対話と応答という役割を持つように、松村の映画も、完成を拒絶するということによって映画の「了解」の意義を体得していったのである。

3.『つかの間の秘密さ海の城で~水無月蜜柑試篇』(2005):音の断絶

2005年に発表された本作品は、後の作品『TOCHKA』につながる、北海道という松村の故郷への回帰としての役割を持つ。柴野は『YESMAN/NOMAN/MORYESMAN』の中で重要だったのは、映画におけるロケーションの必然性を求めていく営みであると指摘しているが[8]、本作は松村が述懐しているように旅による風景の変遷によって生み出された作品であり、そして変遷=ツアーの中から自らの故郷へ戻るという「この場所でなければならない」という前作がロケーションの確立の中で求めた問題を解いていくという営みの中で生み出された作品であると言えよう。

この作品はあがた森魚(1948-)が北海道で開催した自らのライブツアーについてのドキュメンタリーであり、松村はあがたの関係者から依頼を受け彼に同伴する形でこの作品を制作したという。偶然であるかもしれないが、両者はともに北海道を故郷とし、ツアーという連続や運動を表象する産物の中で自らの故郷というロケーションへと回帰していくという作業が重なっていくことを見出すことができる。

だが、この作品を考えるうえで重要なのは、本作品はツアーや音楽の流れといった運動を一切無視する形として、意図的に音楽を断絶させていることである。実際松村は、映像が持続している状況にもかかわらず音楽を意図的にストップさせることで、運動としての映画を拒んでいる。ある一つのカットにおいても映像から音が出力されている部分と音を完全に消去してしまう部分が混在しており、この意図的な音声の状況が本作品をドキュメンタリーとして北海道という居所を見出した自らの作業を否定し、本作品を極めて不安定なものにするという抵抗を生み出している。

本作品について松村が残したインタビューやノートなどが存在しないため、推測の域を脱しないが、本作品をアルトーの音声分析の関係の中で簡単に考察してみたい。アルトーは、ラジオ番組のテクストを制作し自ら録音する[9]中で、音と声の分解・解体を追求する試みを行っている。これをド・メールディエは以下のように分析している。

—あらゆる旋律のこちら側に、意味のこちら側に—本質的で、孤立し、分離している音の分子の側に、戻ること。「音の各原子の、根源にすぐ戻る用意のある断編的知覚の」、代わりとなるべき新しい音楽の方向性を見出すこと。世界の終りの、あるいは始まりの、全てが分離していて混合される前の、創造の曙の、音楽。[10]

これを本作品の分析に適用するならば、松村はあがたの楽曲を披露する一連のツアーという運動に断絶の補助線を引き足すことであがたの楽曲そのものを脱構築していくことを目指したp.74と考えることはできないだろうか。そしてその作業は、あがたの楽曲を原点となる北海道という場所に固定させる営みと共に見つめ、彼の楽曲から新たな解釈を生み出そうとする試みである。そしてそれはあがたの楽曲制作の原点となる「学校」での演奏を映し出す行為によって本作品は、創造の暁の音楽を観客に提示するのである。

4.『TOCHKA』(2008):抗するイメージ

松村の現時点での最新作は、2008年に製作した『TOCHKA』である。『つかの間の秘密さ海の城で~水無月蜜柑試篇』(2005)に至る北海道への運動は、根室のトーチカ遺跡を巡る友人を失った記憶を持ち、ある写真に取りつかれその過去を追い求めようとする一人の女性と父親をトーチカでの自殺で失い、その死にさいなまれながら自らも同じように自殺を反復する一人の男性との、断絶されながらも交流を図ろうとする本作品へとつながっていく。

松村の作品の中では本作品のみが唯一劇場公開されたこともあり、先行研究が存在するのだが、例えば堀潤之は本作品から「反復」の要素を多分に見出している。堀は作品の内容を精緻に分析したうえで以下のように結論づけている。

ここまで見れば、この作品が「反復」によって精緻に構造化されていることは明白だろう。トーチカの中でうずくまって外を眺めている人物という形象が、死んだ恋人から女へ、父親から男へ、そしてさらには観客―(中略)―へと反復されているのだ。[11]

確かにこの作品の物語が「反復」をテーマとしていることは、明白と言えよう。だが、自殺しようとする少年と犬の不意の登場が散歩中の男の幼少期の記憶を反復するという「もう一つの反復」に関しては、果たして「反復」という側面に捨象することは危険性を伴っているとも取れなくない。なぜなら死さえも「反復」するというある種の単一性は、トーチカの内部での死が繰り返されたという事実の神聖化を招きかねないと思われるからである。

故に本作品を別の視線、即ち抵抗という側面から簡単に考察していきたい。例えば、ジャック・リヴェットの「卑劣さについて」[12]には以下のように指摘されている。

恐れとおののきを抱きながらでしか取り扱うべきではない事柄というものがある。おそらく、死はその一つであろう。ともかく、自分に問いを課し、その問いかけを何らかの仕方で自分が撮るもののなかに含める方がよいだろう。[13]

松村はこのテクストに意識を向け、死を慎重に描く必要を意識している。その為、男性が父親と同様にトーp.75チカの中で自殺を試みる時に不意に出現する少年と犬の(とりわけ後者の)視線は流れのように進んでいた自殺行為の準備に断絶を与える。男性の表情は恐怖へと変化し、最後まで自殺をためらうように流れが変わっていくのである。即ち不意に出現した犬が、トーチカの内部へといざなうトラヴェリングに逡巡という道徳性を与えるのであり、父親の死の方法と同じ手法での死を選ぶ男性の振舞に逡巡による感情や振舞に変化をもたらしていると言えるだろう。こうして介在された犬は死の反復の「神聖化」を否定し、本作品のテーマである「断絶」が貫徹されることの一助となったのである。女性と男性との間にある断絶は明白なものとして示されていたが、父親と同様の死を選ぶことにおいても決して純然たる「反復」を松村は許容しない。それは死というものを慎重に描くという意図によって裏付けられていると言えよう。即ち「反復」という呪縛に対するささやかでありながら極めて重要な抵抗のイメージが示されているのである。

もう一点抵抗という観点で本作を考えるならば、戦争の惨禍の記録が眠る場所=トーチカというロケーションと写真という題材は、ジョルジュ・ディディユベルマンのアウシュヴィッツの記録への向き合い方との関連を喚起させる。ディディ=ユベルマンの分析では、戦争の惨禍を映し出す写真は「抗する」ために存在しているのであり、写真を生み出す行為は、政治的な抵抗運動であり、それは言葉を理解するために想像する必要性を持つのである[14]。本作品で考えるならば女性は未詳の写真、それは戦争の惨禍の記憶を映し出すトーチカの写真であるが、写真を持つことで、想像が不可能であったように思われる男性の自殺の記録と向き合わざるを得ないという事態へと陥ってしまう。戦争の記憶を持つ写真は、イメージ=欠落という図式の中で、想像不可能な事態を拒絶し男性の死の反復をも想起することを女性に可能にしてしまうものと考えることができないだろうか。イメージが持つ欠落は「悲劇的な歴史のまっとうな証言として、眼差しを向け、問いを投げかける価値のあるものとして」[15]観客の前に姿を現すとともに、二人の主人公の間の断絶を可視化することを可能にしていると言えよう。

終わりに

本ノートは、松村浩行の作業を抵抗という側面から考えることを目的にした。松村自身も指摘しているように、彼の作品は意図せず「そうなってしまった」という側面が多様に存在しており、本論もその「意図せず」の側面の一部を分析したに過ぎないかもしれない。しかし一つ断言するのであるならば、松村は映画を通して「特定されうる何かである」ことに常に抗し続けた人物である。そしてそのことは13年の沈黙の中における今においても、映画を世に発表しないことによって抵抗の一つの形式として、保たれ続けているのかもしれない。逆に言うならば、新たな作品制作が新たな「抵抗」となると信じたときに、新たな作品が我々の前に提示されるとも考えることもできる気がしてならない。

Notes

  1. [1]

    2021年3月20日から21日にかけて、国立国際美術館では「中之島映像劇場」第20回の企画として松村浩行の全作品を上映した。以下引用するパンフレットは本上映の開催に際し、主催者側から配布されたパンフレットである。

  2. [2]

    ブルシット・ジョブという表現はデヴィッド・クレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもよい仕事の理論』(酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹訳)、岩波書店、2020年を参照。

  3. [3]

    居原田眞美「まつむのこと」『松村浩行レトロスペクティブ』パンフレット、2021年、17頁。※本引用文の中には一部の表現に今日では使用が不適切な表現が含まれているが、引用文の本意図が差別を助長する目的ではないこと、また引用が学術使用目的であることを鑑み、原文をそのまま引用していることをお断りさせていただく。

  4. [4]

    同上。松村は「キャメラ」と頑なにカメラのことを言い続けていたそうである。

  5. [5]

    同上、18頁。

  6. [6]

    松村浩行『『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』ノート』#3http://kyouki.sodomnoichi.com/text/yesman-noman-more-yesman-3.html(最終閲覧2022年2月9日)

  7. [7]

    柴野淳「まだ見ぬ友たちへの手紙」同ペンフレット、13頁。

  8. [8]

    同上。

  9. [9]

    アントナン・アルトーが製作したラジオ用の番組の一つである『神の審判に訣別するために』のことを指している。詳しくはフロランス・ド・メールディエ「思考は記号を発し、身体は音を発す」野池恵子訳、今村仁司編『声』(Traverse3)、リブロポート、1988年、120頁を参照。

  10. [10]

    同上。

  11. [11]

    堀潤之「絶望的な反復の呪縛-松村浩行《TOCHKA》論」(初出:『中央評論』270号、2010年、133-139頁)、引用に際しては同論文が採録された同パンフレット、7頁を参照。

  12. [12]

    この文献を引用せざるを得ない理由として、松村が本作品の中で多分に参照したためである。このことは松村と堀潤之が対談したときに、松村の口から語られた事項である(2021年3月20日に国立国際美術館内で行われた対談に基づく)。 

  13. [13]

    ジャック・リヴェット「卑劣さについて」(原文はJacques Rivette, « De l’abjection », Textes Critiques, Post-éditions, 2018, pp. 222-225)、但し引用は堀潤之の訳出に基づく。https://tricheur.hatenablog.com/entry/20160130/1454167693(最終閲覧2022年2月9日)

  14. [14]

    Georges Didi-Huberman, Image Malgré Tout, Paris, Minuit, 2003, p. 84(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』橋本一径訳、作品社、2006年、86頁。)この中でディディ=ユベルマンは、アウシュヴィッツのゾンダーコマンドがもたらした写真に、想像不可能性への抵抗のしるしを見出している。

  15. [15]

    Ibid., p. 85(同上、87頁。)

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小城大知「映画作家を忘却しないために──松村浩行という映画作家についての試論」『Phantastopia』第1号、2022年、68-76ページ、URL : https://phantastopia.com/1/remember-the-cineaste/。(2024年04月20日閲覧)

執筆者

小城大知
OGI Daichi
Phantastopia 1
掲載号
『Phantastopia』第1号
2022.03.08発行