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『Phantastopia』創刊に寄せて

2021年度表象文化論コース主任 田中 純

表象文化論コースの新しいメディアである『Phantastopia』の船出を、現在のコース主任として心から喜び祝します。

これは表象文化論コースの院生の皆さんが主体になって作り上げた媒体です。同様のものとしては、学生論文集『表象文化論研究』のシリーズがありました。初期の成果である2004年刊行の第3号『エステティクス再考』については、わたしが教員側の編集担当を務めたことを思い出します。その編集後記にわたしはこう書いています──

〔エステティクスという〕学の成り立ちそのものを再検討しようとするこの野心的な試みの射程は、狭義の美学、哲学のみにとどまらず、神学からメディア論、映画論までを含む、この論集の構成に如実に表われていよう。責任編集者としては、表象文化論だからこそ、このような議論の場を提供できたのだと自負している。

最終的な産物としてのこの論集のみならず、準備段階の2003年秋には二日間に亘る公開シンポジウムが開かれました。こうした活動はその数年後に、「エステティクス再考」の研究会に集った若手の皆さん──現在では気鋭の研究者ばかりです──を実質的な戦力として、表象文化論学会が結成されるきっかけになったと言えるかもしれません。『表象文化論研究』を通じて生まれた「議論の場」が学会設立の大きな原動力になったのです。

Phantastopiaという名にはまさに「場所」を意味する接尾辞 -topia が含まれています。文字通りには「phantasia(表象)の場所」──わたしは「奇想」の意味をもちうるphantasiaに、感覚と認識、感性と知性を緊密に結びつけ、既存の異なる領域を越境してあらたに編成する、想像力のダイナミックな運動を見たいと思います。そのような意味で『Phantastopia』には、かつて『表象文化論研究』が抱いた「野心」がおのずと引き継がれているのではないでしょうか。第1号に掲載される論考やその他のテクストの多様性がそのことを示しているように思われます。

「表象文化論」という学術分野それ自体の草創期を記録する雑誌『Représentation』の第1号(1991年春刊行)で、昨年惜しくも急逝された渡邊守章先生は、現代において異常繁殖している「表象」を、「ロゴスとしての言語」とも、「欲望そのものの強度」とも異なりながら、「快楽の原理に沿って、言説とも強度ともその縁を重ねているような、両義的で、ある意味では極めていかがわしい領分である」と形容しています(「《討議》なぜ、いま〈表象〉か」より)。「快楽の原理」に沿いつつ、ロゴスと欲望の両者に接しているというこの記述に触れてわたしは、高度に知的でありながら、同時にきわめて官能的でもある、渡邊先生ご自身のテクストや演出作品のことを思わずにはいられませんでした。「いかがわしい領分」に果敢に挑戦した表象文化論そのものが、或る種の──まったく肯定的な意味で言うのですが──「いかがわしさ」を帯びていたのかもしれません。

phantasia という言葉にはそんな積極的な「いかがわしさ」が宿ってはいないでしょうか。それゆえ、30年後のこの『Phantastopia』には、院生の皆さんの充実した研究成果の発表という基礎的役割をしっかりと果たしつつ、『Représentation』の精神を継承し、「いかがわしさ」を恐れぬ冒険的な知的運動のプラットフォームとなり、わたしたち先行する世代には思いもつかぬ、表象文化論研究のあらたな展望が切り開かれることを期待しています。──この新しい活動の場をみずからの手で築いた編集委員の方々のイニシアティヴを称えるとともに、これからこの場に集う皆さんに表象文化論の将来を託すがゆえの、そんないささか挑発的な言葉を添えて、わたしからの祝辞とさせていただきます。

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Phantastopia 1
掲載号
『Phantastopia』第1号
2022.03.08発行