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研究ノート

バタイユと粒子ジョルジュ・バタイユにおける科学の位置づけについて

石野慶一郎

p.181ジョルジュ・バタイユは主著のひとつ『内的体験』(1943)において、粒子という概念を用いて「自己(ipse)」や「存在(être)」、「交流(communication)」を説明しようとした。粒子については物理学者ポール・ランジュヴァン(1872-1946)の『微粒子および原子の概念』(1934)の記述を参照して自説に応用している。強い意味での体験の書『内的体験』に、物理学の、それも当時としては最新の量子力学の成果が導入されていることは一見すると突拍子もないようだが、バタイユの友人に物理学者のジョルジュ・アンブロジーノがいたこと、そのアンブロジーノがバタイユ『呪われた部分』の執筆に大きく貢献した事実に鑑みれば、まったく不自然な組み合わせというわけでもない[1]。本稿では、粒子という物理学概念が『内的体験』においていかなる意味をもっているのかを考察したい。そうすることで、バタイユ思想における科学の位置づけが垣間見えるように思われるのだ。

フランスの物理学者ポール・ランジュバンは、磁性理論(とりわけ常磁性と反磁性についての理論)や超音波の研究で知られている[2]。前者は原子の電子構造に着目して磁性の原理を追究したものであり、後者は水晶の結晶構造を応用して初めて超音波を発生させることに成功したものである。原子も結晶も、それを構成するのはつまるところ粒子であり、上記の成果はランジュバンの粒子への深い理解に裏打ちされているといえる。そもそもランジュバンの研究自体、「イオン化された気体に関する研究」と題された学位論文、およびそれにつづくブラウン運動(コロイド粒子がおこなう不規則な運動)の研究など、ひろく粒子に関する探究から始まっていた。

バタイユが参照した『微粒子および原子の概念』は、そのようなランジュバンが粒子へ向けた関心のある種の総決算といえる。同書は、1933年に開かれた物理化学会議での報告「原子と粒子」をもとにしており、この報告はそれまでの約30年におよぶ光の粒子説の展開を概観したものとなっている。したがってその内容は科学史の文脈に大きく依存しているのであるが、ここでそれを簡潔にまとめておくのも無駄ではあるまい。というのも、以下で確認するとおり、粒子の個別性を考慮しないという当時の統計力学の最新の成果が、バタイユの議論でも重要になってくるからだ。

p.182われわれはいまや、光が粒子としての性質と波動としての性質の両方をあわせもつということ、すなわち粒子と波動の二重性を知っている[3]。しかしランジュバンやバタイユが生きた20世紀前半は、まさにそのことが明らかになる量子力学の黎明期、物理学史の大きな転換点であった。

19世紀までは、光は波動であるという説が有力であったが、20世紀に入ると、粒子モデルの有効性を裏づける成果がつぎつぎと確認された。アインシュタインは1905年、光をhはプランク定数、νは振動数)のエネルギーをもつ粒子として定義することで、それまで不十分だった光電効果の解釈を十全なものにした。あるいは1923年にコンプトンは、X線(X線も可視光ではないが光の一種である)が粒子として電子に衝突していると考えることで、異なる周波数をもつX線が出てくることにうまく説明をつけた。これらの粒子モデルによる説明に加えて、ルイ・ド・ブロイが光には波動性に加えて粒子性も付随することを実証し、最終的にはシュレディンガーやハイゼンベルクなどによる量子力学解釈によって、1930年代には光が粒子と波動という二重の性質をもつことはほぼ確実なものとされた。

ランジュバンは以上のような歴史を概説しつつ、「現行の表現の枠組みに組み込むことができないほど急速な実験的情報の並外れて急速な発展からくる困難」に冷静に目を向けるよう呼びかける[4]。未知の領域である「微視的世界」に対しては、「巨視的世界において成功していた概念や考え」はもはや通用しない[5]。では、この未知の領域をどう解すればよいのか。粒子に関していえば、結局は「個体として識別しうる粒子を導入しようとしたこと」が問題だったのだとランジュバンはいう[6]

どういうことか。これには微視的な世界のもつ根源的な不確定性が関わっている。とりわけこれは粒子たちの巨視的な性質をあきらかにする統計力学の領域において問題となる。というのも、微視的な世界の粒子のなかには大きく確率に依存するふるまい(量子的なふるまい)を見せる粒子が存在するため、粒子ひとつひとつを個別のものとして数え上げるような古典的な統計の仕方では、そのふるまいははかりきれないからである。

たとえばランジュバンはここで、ボルツマンとギブスによる古典的な統計法が最新の実験結果にはそぐわないことを指摘し[7]、それに対して、ボーズ-アインシュタイン統計やパウリ-フェルミ統計による「個別性によってではなく、数によってのみ特徴づけられる」ような粒子の分布を考慮した統計の優位性を主張する[8]。たとえば二つの部分に分かれた一つの箱の左右に粒子が同数入っていて、A群とB群に分かれていたとする。このとき古典的な統計においては、粒子の個別性を考慮するため、右側にA群、左側にB群がある状態と左側にB群、右側にA群がある状態を区別するが、ボーズ-アインシュタイン統計やパウリ-フェルミ統計では、同種粒子(原理的に区別できない粒子のこと。原子や中性子、電子などがそれにあたる)は区別しないため、その二つはまったく同じ状態と統計される。粒子を個別的に見るのか、全体として見るのか。それが決定的な重要性をもっているのである。

p.183ランジュバンは以上をふまえ、最後にもう一度、光の粒子性についての困難が「原子内の世界に、外から個別的な粒子の概念を導入した」ことに由来することを強調し、論を終える[9]

さて、ランジュバンの議論をやや詳細に記したのは、バタイユが『内的体験』のなかで、上述したうちの粒子説以降の内容、すなわち『微粒子および原子の概念』の「35ページ以下を参照せよ」と包括的に指示しているからである。バタイユはそれに関して具体的に何を言っているのか。該当する断章を、はじまりから引用してみよう。

存在はどこにもない
人間は存在を単純で分割不可能な一要素のなかに閉じ込めることはできるかもしれない。しかし、「自己性(ipséité)」のない存在はありえない。「自己性」がないので、単純な一要素一個の電子は何ものをも閉じ込めはしない。原子は、その名称にもかかわらず合成されているが、基本的な[それ自体が自己性をもたない要素による]複合性(complexité)しかもっていない。つまり原子それ自体は、その相対的単純性ゆえに、「自己的に(ipséellement)」決定されることができないのだ[10]

この引用の最後の箇所にランジュバンを参照するよう註が付されている。いささか抽象的な記述だが、われわれはいまやその意味を解するのに十分な準備を終えている。ランジュバンが「35ページ以下」で何度も強調していたように、光の粒子性についての困難は、古典物理学が粒子に個別的な性格を与えたことが原因だった。バタイユはここでひとまず「原子」に関してランジュバンと同様のことを述べている。原子はそれ自体で個別的に──バタイユが言うところの「自己的に」──決定されることができず、複合的に決定されるのである。そのようにして、「一存在を合成する諸粒子の数が、その『自己性』の構成のなかに介入する」[11]。あたらしい統計力学のように、個別性ではなく「数」という全体が問題になるのである。

では存在は「数」によって把握すればよいのかといえば、そうではない。「数」というのは、あくまで認識のための道具立て、媒介にすぎない。

存在は「把握不能(insaisissable)」だ。それは誤算(erreur)によってのみ「把握(saisi)」される。ただし誤算とはただ単に容易なものではなく、この場合、それは思考の条件である[12]

先の引用で「存在はどこにもない」と述べられていたことからもわかるように、あくまで存在は「把握不能」である。「数」での把握というのはあくまで「誤算」であり、しかし「誤算」によってしか存在は「把握」できない。すなわちここにはジレンマがあるのだが、しかしそれp.184自体、「思考の条件」でもある。

つまりここでバタイユが描いているのは人間の認識の抱える根本的な不可能性である。「科学」も認識のひとつ、思考の形式であるかぎりは、その不可能性の運動に与しているのではあるまいか。しかしそう断ずるのはまだ早い。もう少し、バタイユの論を追ってみよう。

バタイユは粒子の論理を人間の論理へと拡張する。バタイユはまず、「ひとりの人間は、不安定で、絡みあった多数の全体のなかに挿入されたひとつの粒子(particule)である」と定義する[13]。しかしそのように人間の存在を多数のなかのひとつ、すなわち「ひとつの粒子」として認識する仕方は先に見た「誤算」と同様のことである。そこでバタイユは以下のように留保をつける。

認識から出発すれば、ひとりの人間の現存在は、全体の現存在から、狭く、無視していいほどの視点によって隔てられているにすぎない。ただ結びつきの不安定性だけが[…]、おのれ自身のうえに身を屈した存在者、交換なしに存在する能力をもつ孤立した存在者という思い違いを許すのである[14]

「認識」ではかりうるのは、「存在」が「全体」の部分であるということのみである。しかしその「全体」のなかでの「ひとつの粒子」の結びつきは不安定である。つまり各「粒子」は、「一部」として「全体」でありながら、「全体」のなかでは相対的に「一部」である。バタイユによればこの二重性が、「自己、この微小な粒子、この予知できない、そしてまったく蓋然性のない好運は、他なるものとなることを願うよう定められている」、すなわち「絶頂へたどり着きたいという欲望に駆られた運動」に巻き込まれるのだという[15]。こうして各「粒子」は「合成」へと、「交流」へと導かれる。つづく「交流」の節では、「粒子」をはじめとして、「エネルギー(énergie)」や「運動(mouvement)」、「熱(chaleur)」といった自然科学の概念を用いて、「交流」の情景が描写されている[16]

バタイユは以上のように、「誤算」を招くはずの「認識」、あるいは「科学」を利用しながら最終的に「交流」の理論を導いている。バタイユは「科学」に懐疑的でありながらも、あたかもその権能を試すかのようにして、積極的に「科学」の成果に触れている。この科学的データの使用をどう考えるべきか。バタイユは以下のように述べている。

私が認識について語って、聖なるものについて語らなかったのは、親しみのある一現実から出発するほうがよい、という意味においてのことであった。何よりも私は、学問的がらくたにのめり込んだことでいっそう鬱屈している。しかし、この前提的な説明は、やがて粗描されるはずの交流の理論を導き出すものなのだ。これはおそらく惨めなことだろうが、p.185人間は燃えるような諸可能性がもっとも詰まったこの概念に到達するためには、常識に対して科学的データを対立させてゆくほかないのだ。私には、科学のデータなしに、どうしてあの未分化の感情に回帰しうるのか、まだ「常識」に染まっていない人間の本能にまで回帰できるのかわからない[17]

ここで言われている「未分化の感情」への「回帰」、ないしは「人間の本能」への「回帰」とは、主体と客体の束の間の溶融、つまり内的体験の頂点を示すものであるが、それは「科学のデータなし」にはありえないという。加えて「常識に対して科学的データを対立させてゆくほかないのだ」という一節からは、あくまで消極的にではあるが、バタイユが「科学的データ」に対立物としての価値をみとめていたことが読み取れる。

ここに、バタイユ思想における「科学」の位置が垣間見える。すなわち、「科学」は対立物として、「交流」の理論を導く「媒介」としての役割をもっていたのではないだろうか。さらに言えば、「科学」は哲学の言葉よりも強力なものとして定位していた可能性すらある。『内的体験』からの最初の引用にある「自己性」という言葉はヘーゲルを想起させるが、あくまでバタイユがここで「交流」の理論に対置させるのは、ヘーゲル哲学ではなく科学的データである。これはバタイユが、同じ認識の枠組みに属する両者とはいえ、対立物としては、哲学よりも科学に優位をみていたことを物語っているのではないか。実際、後年の論考においては、哲学の言葉よりも、科学の言葉に、内奥性を保持する権能をみる描写も見受けられる[18]

たしかに『内的体験』だけでは「科学」に重きを置いていたとは言い難い。バタイユはむしろそれを「認識」の枠組みにとどまるものとして扱っていた。しかし「科学」を対立物として、「媒介」として見たとき、そこに何らかの価値を見ることができるのではないか。バタイユ思想における科学の真価を見極めることを今後の課題としたい。

Notes

  1. [1]

    Cf. Georges Bataille, La Part maudite [1949], Œuvres Complètes, Paris, Gallimard, 12 vol., 1970-1988, t. Ⅶ (1976), p. 23(『呪われた部分──全般経済学試論・蕩尽』酒井健訳、 ちくま学芸文庫、 2018年、 20-21頁). 以下、バタイユの全集はOCと略記し、巻数と頁数のみを記す。なおバタイユの著作の翻訳は既訳を参考に筆者が行い、日本語訳がある場合は該当箇所を併記する。

  2. [2]

    ランジュバンの伝記的事実に関しては以下を参照した。スタロセリスカヤ・ニキーチナ『ポール・ランジュバン伝』伊藤隆訳、水曜社、1996年。

  3. [3]

    物理学の史実に関しては標準的な学説史としては以下の2冊を参照した。小山慶太『物理学史』、裳華房、2008年 ; 物理学辞典編集委員会編『物理学辞典 3訂版』、培風館、2005年。Paul Langevin, La notion de corpuscules et d’atomes, Paris, Hermann, 1934, p. 3-4.

  4. [4]

    Paul Langevin, La notion de corpuscules et d’atomes, Paris, Hermann, 1934, p. 3-4.

  5. [5]

    Ibid., p. 35.

  6. [6]

    Ibid., p. 36.

  7. [7]

    Ibid., p. 38.

  8. [8]

    Ibid., p. 38.

  9. [9]

    Ibid., p. 44.

  10. [10]

    Georges Bataille, L’expérience intérieure [1943], OC, t. Ⅴ (1973), p. 98(『内的体験』、出口裕弘訳、平凡社、1998年、196頁).

  11. [11]

    Ibid., p. 98(同書、196頁).

  12. [12]

    Ibid., p. 98(同書、196頁). 原文はすべてイタリック。

  13. [13]

    Ibid., p. 100(同書、200頁). 原文では全文太字。ここでバタイユが粒子の意で用いているparticuleの語は、参照しているランジュバンの著作のタイトルLa notion de corpuscules et d’atomesで粒子の意で用いられているcorpusculeとは異なるが、これはランジュバンの著作をまったく無視しているということを意味するのではない。まずもって、ランジュバンの著作のなかではparticuleとcorpusculeの語は同程度に混在して用いられており、corpusculeの語はとりわけ光の粒子を指すために用いられている。たとえば「粒子と波動の二重性」は一般にDualité onde-corpusculeとあらわされるものであり、ランジュバンの著作においてcorpusculeは光の粒子に意味を限定する語として用いられている。したがってバタイユがここでparticuleの語を選択しているのは、むしろそのような意味の限定をとりはらい、より意味をひらいたものと考えられる。以下同様に、バタイユからの引用で「粒子」と訳出したものの原語はすべてparticuleである。

  14. [14]

    Ibid., p. 100(同書、 200頁).

  15. [15]

    Ibid., p. 101(同書、202頁).

  16. [16]

    Ibid., p. 110-111(同書、220-221頁).

  17. [17]

    Ibid., p. 100(同書、199-200頁). 原文は「認識(connaissance)」以外すべてイタリック。

  18. [18]

    Georges Bataille, « De l’existentialisme au primat de l’économie » [1947-48], OCt. Ⅺ (1988), p. 294(『戦争/政治/実存──社会科学論集1』(『ジョルジュ・バタイユ著作集』第14巻)山本功訳、二見書房、1972年、280頁)。

この記事を引用する

石野慶一郎「バタイユと粒子──ジョルジュ・バタイユにおける科学の位置づけについて」『Phantastopia』第1号、2022年、180-186ページ、URL : https://phantastopia.com/1/bataille-et-particule/。(2022年10月06日閲覧)

執筆者

石野慶一郎
ISHINO Keiichiro

修士課程。

Phantastopia 01
掲載号
『Phantastopia』第1号
2022.03.08発行