2016年京都開催の表象文化論学会での田中先生の発表が未だに記憶に残っている。同年にデヴィッド・ボウイが亡くなったことから、「デヴィッド・ボウイの宇宙を探査する」という企画パネルが設けられ、その中でのプレゼンテーションのひとつだった。といっても、残念ながら私には今その議論を詳述できるだけの記憶力はなく、最早その輪郭は茫々としている。しかし、ただ、それが「感動的だった」ということだけは今もはっきりと覚えている。それはボウイの音楽、MV、テクスト、発表者の声と身振りが混然となってリズムを刻む激流のようなプレゼンテーションだった。発表後の質疑では、困惑気味の質問者から「表象文化論ではこのようなパフォーマンスを行えばよいのか」といったやや棘のある(ようにも聞こえる)質問が挙がり、場には幾分不穏な空気が漂った。コメンテーターがそれを取りなすように、これは(パフォーマンスではなく)紛うことなき研究発表であると応答されていたが、対する田中先生当人はこれがパフォーマンスであると受け取られたのならばそれで構わないと簡潔に応じていたことが印象に残っている。それは怒っているというよりも、行為がそのまま言葉になることを確信しての身振りのようにも思えた。確かにそのプレゼンテーションは通常の研究発表という枠を超えた、対象と独立した価値を持つ批評であり、ボウイの翻訳と再制作とも言うべきひとつの表現だった。問題になるのはそれがどのような枠組みにおさまるかではなく、どのように居合わせた者に「可感化」したかということであったはずだ、と今ではそう思う。
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その発表はまたアビ・ヴァールブルクを論じた『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』の中に描き出された、ヴァールブルクその人の姿を想起させもするだろう。『記憶の迷宮』の物語は、W教授ことアビ・ヴァールブルクがクロイツリンゲンのヴェルビュー私設療養所に閉じ込められたことの記述から始まる。ヴァールブルクは自らの精神的回復とその証明を賭けて、その「クロイツリンゲンの地獄」から脱出すべく「蛇儀礼」の講演を準備するのである。ヴァールブルクはその講演で写真をバロック時代のエンブレムのごとく扱った。外観と本質の不一致や差異を認識の媒介とするエンブレムにおいて、「解読作業には究極的な答えは存在しえない」以上、「答え」ではなく「謎」そのものが、つまり対象に距離をとりつつ核心へと迫る「迷宮のダンス」の技法こそがその本質を成す。そしてその講演は正に「写真とスライドという仮面を用いた舞踊にも似たパフォーマンス」と化し、その魔除けの力によってヴァールブルクは地上への帰還を果たすのである。[1]
ヴァールブルクにおいては先行するボッティチェリの研究でも、その対象は「解読可能な図像学的意味」ではなかった。むしろそれは夢の仕事にも似た、古代の翻訳過程における画家のファンタスムの生成メカニズムの働きである。ボッティチェリの古代は自我の投射によって生み出されたファンタスムとして解され、それによって研究は客観的な歴史学であるよりも、創造の心理的なプロセスを解明し再構築する一種の詩学となる。そして時代を行きつ戻りつしながら、ヴァールブルクの知的業績よりむしろ、その精神の追跡を主眼とする同書の仕事もまた、ヴァールブルクその人の解釈の手つきのように、「最終的な決定の審級をそのネットワークの中に見失わせてしまう」一種の「迷宮のダンス」を成すのである。[2]ここでは、ヴァールブルクがボッティチェリの古代に彼の自我の投射を解釈したように、ヴァールブルクの研究には彼自身の自我の投射が見出され、更に同書の読者がその記述の中に見出すのは、著者たる田中純の自我の投射ということになるだろう。ここにおいてピラネージのごとき螺旋状の迷宮は閉じられ、詩学はそれ自体が芸術的表現と化す。
では、ここで田中純が抜け出そうとした「クロイツリンゲン」とは何か。話は再びデヴィッド・ボウイに戻ることになる。『政治の美学』でボウイを論じる中で、田中純はグリーン・マーカスを引きつつ70年代をロックの衰退期とする見地から議論を進めている。マーカスは1979年の「1970年代のロック・デス: 賭け金の配当」の中で、70年代に亡くなったミュージシャンの一覧表を作り、彼らに点数を付けた。それは「生き残り」が流行語と化し、それ自体がひとつの価値として歌われるようになった時代に対する苛立ちと皮肉である。60年代を通じてロックはその完成と絶頂に達したが、数々のカリスマの死といくらかの行き詰まりを経験し、70年代にはすでに自己言及的な批評へと向かい始めていた。ボウイの目まぐるしいスタイルチェンジは、この遅れと衰退の意識が促す「変化」への強迫であり、ロックに対する様々な形での喪として捉えられる。[3]しかし、その後上梓された『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』においては、この「変化」には「生き延びる」ことの意志が見出されることとなる。[4]先述の2015年の発表はこの二冊の中間の報告にあたり、ボウイの死と彼のレイトスタイルの考察が、ふたつの論考を架橋している。この「遅れて来た」という意識と、「生き延びる」ことのテーマが田中純のクロイツリンゲンとそこからの脱出の経路を知る導きとなるだろう。
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ところで70年代を主題のひとつとして多様な対象を扱い、フィルム・ノワールやサスペンス映画などの映画作品に触れた論考も多々見られるものの、不思議なことに田中純は70年代の典型的な商業映画についてはほとんど論じていない。だが同時代には、映画においてもやはり歴史の終わりが洞察されており、フレドリック・ジェイムソンはジャンル映画の回帰とそのメタ化、その偽りの歴史性にポストモダン映画としての特徴を指摘し、対して蓮實重彦は自律して完結した世界としての黄金期古典映画に引きこもることを勧めるようになる。ロックの終わりは単にそのジャンルの終わりを意味するのではなく、それが伴奏した革命の時代、そしてある歴史哲学の終わりに違いない。今やホブズボームが言うように1973年以降を「危機の時代」とすることが妥当かは分からないが、少なくともこの70年代に覇権国家たるアメリカでは、水瓶座の子供たちが主導するカウンター・カルチャーの時代が終焉を迎え、経済的停滞と政治的混乱と陰謀論の時代が訪れようとしていた。殊にJFKの暗殺とウォーターゲート事件はアメリカ人の自信喪失を自己不信的パラノイアへと悪化させ、その症候は時代を代表する映画作品にはっきりと表れている。サスペンスはホラーへと場所を譲り始め、スティーブン・キングは破綻した現実の二項対立を神秘や怪物たちの住まう超越的な領域に置き換えることで寵児となったが、その一方で古の探偵たちは脈絡を欠いた地上世界を五里霧中で彷徨うことになる。所謂ネオ・ノワール映画の興隆である。
ジークフリート・クラカウアーは1920年代の探偵小説について、「探偵小説を創出する理念、それは隈なく合理化され文明化された社会という理念である」として、探偵小説を合理の働きの過剰に特徴づけられる社会の鏡像であり、そこに未知なるものの余地が無いことの証左として論じたが[5]、これらの映画はその対照とも言える特徴を備えていた。ネオ・ノワールの外延は明確ではないが、1970年代の探偵映画、あるいは犯罪映画では、登場人物たちはしばしば陰謀に巻き込まれて結果としてそれに加担してしまい、物語的必然性を欠いた暴力に晒されもするが、彼ら自身の行動もまた支離滅裂で内面と行動原理の説明がつかない。50年代の原作を70年代に置き換えたロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』(1974)では、探偵フィリップ・マーロウがベッドで寝そべる姿で登場する。彼は20年の眠りからようやく目を覚まし、寝ぼけまなこで年代物の車を駆って70 年代のL.A.を彷徨う、現代のリップ・ヴァン・ウィンクルである。マーロウは訳も分からないままに警察に連行され(そして訳もわかないままに釈放される)、突如ギャングの襲撃を受ける(そして偶然の采配のために切り抜ける)など、物語は彼にとって不条理を極めるが、その間マーロウはただひっきりなしに煙草を吸い、曖昧な表情でその場しのぎを繰り返すことに終始する。それは確かに規範を失い強欲さを増す時代に対するニヒリズムの身振りとも見えるが、マーロウ自身もまた50年代的倫理の象徴としては過剰なものをその内に抱えたキャラクターである。映画版のエンディングは原作とは異なり、死んだはずの親友レノックスが実は生きており、マーロウは自分が彼に嵌められたことに気づくが、原作では彼と静かに別れるだけで終幕となる一方で、映画では唐突に銃を抜き親友を派手に撃ち殺す。レノックスが行ったのは彼の妻の殺人であり、彼女とマーロウの感情的紐帯は特段描かれておらず、レノックスがマーロウをあえて事件に巻き込んだ理由も判然としない。それ故、この唐突な暴力もまた物語上の必然性を欠いた不条理な印象の傷を残すのである。
一方、私立(private)ではない探偵(detective)たる警官もまた凶暴さを増した。『ダーティーハリー』(1971)のハリー・キャラハンは時代の犯罪者たるサイコパスを射殺するが、ポーリン・ケイルがそこにファシズムの影を批判したように[6]、当のハリーもまた法の外にある者とよく似た暴力を行使する一種の怪物である。更に『フレンチ・コネクション』(1971)では、警官たちのこの怪物性は自覚的に描写され、その正気さえも疑わしく見える。フランスから密輸されたヘロインの取引をめぐる捜査と抗争を描く『フレンチ・コネクション』は、説明を拒否した生々しく荒っぽい台詞回しとアクション、主観視点の映像、派手な銃撃戦とカーチェイスが見どころとされるバディムービーだが、そのラストシーンの含意は晦渋である。ジーン・ハックマン演じる刑事ポパイは紆余曲折の末にとうとう麻薬の取引現場を突き止め、廃工場で密売人たちを包囲することに成功する。警察との銃撃戦の末にほとんどの密売人は投降するのだが、黒幕シャルニエは投降を拒否し廃工場から出てこない。そこでポパイは単独で廃工場に乗り込み、相棒のクラウディもそこに加わってシャルニエを追跡する。70年代における米国の凋落を象徴するようなこの廃墟には幽霊たちの気配が濃密に立ち込め、それがドイルの神経を過剰に緊張させる。奥の暗がりに一瞬人影が走り、ドイルは反射的にその背中を銃撃する。しかし近寄って転がった死体を見るとそれは彼と折り合いの悪いFBIの捜査官であった。動揺するクラウディをよそに、ドイルは無表情で弾を装填しシャルニエの追跡を続行する。この衝撃的な同士討ちは果たして事故なのか故意なのか。主人公に唐突に裏切られた動揺と彼への疑念は、それまでに主観的な視点ショットの連続によって彼と視点を一致させてきた観客自身への疑念へと折り返され、後味の悪い自己不信を抱かせる。そしてこの映画が公開された翌年の1972年にはウォーターゲート事件が発覚し、それは単なる政治的なスキャンダルを越えて、今度は現実世界においてアメリカ人のセルフイメージに大打撃を与えることになるのである。
フランシス・F・コッポラの『盗聴 カンバセーション』(1974)は、まさにそのウォーターゲート事件で問題となった盗聴行為を主題としている。主役はこちらもジーン・ハックマンで、彼が演じるハリー・コールは腕利きの盗聴技師である。コールと彼のチームは依頼を受けて、ユニオンスクエアを歩くカップルを盗聴する。カップルは明らかに警戒しているが、コールは首尾よく仕事を成し遂げ、いつも通りの極端な秘密主義の生活へと帰還した。しかし、普段は録音の内容に関知しないことを主義とするコールだが、ふとした事から依頼者への不信を感じ、録音テープのノイズを除去してユニオンスクエアの音響空間の再現を試みる。すでにこのときから、音響上の公園のホームレスに同情する声がコールの孤独な境遇に対するコメントとも読めるように映画は構造化され、コールが現実と妄想の間をよろめき始めたことが示される。コールは再現した音響からこのカップルが何者かに殺されるのを恐れていることに気づき、その陰謀を食い止めようと奔走するが、現実と妄想の区別は一層怪しくなり、テープは彼の元から盗み取られ、不明な経路をたどって依頼者の元へとたどり着く。そして、コールが突き止めたと思った陰謀は実は誤解であり、カップルこそが殺人を計画していたことが明らかになる。物語の最後にはコールのもとに正体不明の電話が入り、「深入りはよせ、盗聴しているぞ」というメッセージと共に、その証拠のテープを聞かせてくる。錯乱したコールは盗聴器を部屋中探し、床板まで剥がし、とうとうマリア像にさえ手にかけるが、結局何も出てこない。カトリックであるコールはマリア像を破壊することを最期まで躊躇するのだが、実際に手をかけるとそれは中が空洞のビニール製であり、その神秘の皆無が虚無感を掻き立てる。それはある意味で彼に活気を与えていた陰謀が妄想へと裏返ったことの象徴に他ならないだろう。そしてコールは破壊され吹きさらしの部屋で、最早あらゆる秘密が不可能になったことに安心したかのように、趣味のサックスを吹き続ける。『フレンチ・コネクション』でジーン・ハックマンによって抱かされた自己不信は、とうとうパラノイアへと至り、その内的世界と外的世界の関係を転倒させたのである。
このようなプロットの複雑化、参照の過剰、主観ショットの多用、説明台詞を嫌うリアリズムといった新たな形式的特徴によって、ネオ・ノワールの観賞者はしばしば映画の筋を追いきれなくなり、その危険な犯罪都市に置き去りにされて「迷子」になってしまう。その犯罪都市の代表格はロマン・ポランスキーが描いたL.A.のチャイナタウンだろう。ポランスキーの『チャイナタウン』(1974)は1930年代に実際に起こった水源開発スキャンダルを下敷きに構想されており、その歴史趣味とジャンル性はポストモダン映画としてのネオ・ノワールの典型と言える。映画は、ジャック・ニコルソン演じる探偵ジェイク・ギテスが、水道局幹部の夫人を名乗る人物から、夫ホリス・モーレイの不倫調査を依頼されることから始まる。ギテスはホリスが若い女性と過ごすところをとらえ、その写真はスキャンダルを巻き起こすが、その後ホリスは何者かに殺害され、彼に依頼したモーレイ夫人は偽物だったことが発覚する。ギテスはフェイ・ダナウェイ演じる本物のモーレイ夫人エヴリンと共に真相の解明に乗り出すが、そこにはL.A.の水道利権をめぐる陰謀と権力者一族のおぞましい過去が入り組んだ「迷宮」が広がっていた。ホリス・モーレイを殺したのは彼と共に水源を開発したノア・クロスであり、彼はエヴリンの父でありながら彼女を妊娠させ、ホリスは逃げ出した彼女とその子キャサリンを匿っていたのである。クロスはホリスを殺害することで利権と共に、自身の子であり孫でもあるキャサリンを手に入れようとしていたのだ。ギテスはクロスに自身が突き止めた真相を突き付け、巨万の富があるにもかかわらず何故そのようなことをしたのかと問う。それに対してクロスは「未来だよ、ギテス君、未来だ!(The Future, Mr.Gittes──the future)」と繰り返し、キャサリンの居場所を尋ねる。物語の最後では、逃亡しようとするエヴリンは警察に撃ち殺され、キャサリンはクロスに連れ去られてしまう。ギテスは抵抗を見せるものの無力であり、仲間に両腕を支えられ、「忘れるんだ、ジェイク。チャイナタウンだよ。(Forget it, Jake──it’s Chinatown)」となだめられて退場する。
そうして子供はチャイナタウンの深い闇へと消えていった。「遅れて来た」我々は最早この子供が失われたということにさえ気がつかないかもしれない。そこに残るのは、あらゆる不正と理不尽と無力感が「チャイナタウンだ it’s Chinatown」と自明化された世界である。それは無論同時代の閉塞状況を暗示していたに違いない。時代の閉塞状況、言わばそれは、70年代における「クロイツリンゲン」的な監禁状態の精神と言ってもいいだろう。そしてこの犯罪都市が「クロイツリンゲン」だとすれば、田中純が一度は喪を行ったもの、そして、その後『過去に触れる』の中で「希望」としての子供と呼ぶことになるものは、共にチャイナタウンで「迷子」になったこの子供なのではないか。『過去に触れる』第四章一節では、『ドリーの冒険』(1908)、『マイノリティ・リポート』(2002)、『チェンジリング』(2008)という「行方不明の子供」モチーフとする3本のサスペンス映画を辿って、「サスペンスとしての歴史叙述」の可能性が探求されている。[7]そこで賭けられているのは、先に述べたような構成された所謂「大きな歴史」を逆撫でし、歴史を掻き立て、その中に失われていた「希望」という子供を救済することの可能性であった。『ドリーの冒険』を一連の系譜の起源に定め、『マイノリティ・リポート』では予言された確定的な破局の未来が、主人公の創造的な行為によってそこに潜在していた別の意味を現出し、失われた子供を新しい子供の誕生が埋め合わせる。『チェンジリング』では子供の生死が確定しない、その未決定状態をこそ「希望」の条件として論じ、確定して見える過去の中に「希望」を見出す歴史叙述の可能性がひらかれるのである。その仕事は、ヴァールブルクのムネモシュネ・アトラスが、モンタージュによってイメージの意味を変容させること、あるいは、その無数の意味のネットワークの中に不可視の可能性を示唆し続けることでイメージを活性化し、その意味を未決定の状態に置き続けることにも通じるだろう。
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だが、この記述では『ドリーの冒険』と『マイノリティ・リポート』の間に大きな時間的空白があり、『ドリーの冒険』についてはサスペンスの起源として措定されてはいるものの、その筋書きで子供が失われることはなく、物語は取り返しのつかない過去や「希望」の救出のメタファーとしては論じられていない。その一方で、チャイナタウンの「迷子」──クロスの目からすればキャサリンは初めから「迷子」でもある──は、その存在さえも忘れられているのである。それはこの「迷子」の救出が劇中で断念されたためだろうか。ならばここで『チャイナタウン』にも、この「未決定状態」の素がすでに含まれおり、それは映画を「逆撫で」することで顕在化することができるはずだ、と言ってみたい。探偵たちが途方に暮れて彷徨う70年代の「クロイツリンゲン」に消えた、その存在さえも忘れられた子供を探し、『過去に触れる』の『ドリーの大冒険』と『マイノリティ・リポート』の間にある長い空白に新たな起源を設定することで、『過去に触れる』の物語をもまた掻き立てよう。
ネオ・ノワールでは物語が不明瞭になるとともに、俳優の身振りと細部が突出する。それは例えば『ロング・グッドバイ』のにやけ顔や『フレンチ・コネクション』の銃撃であり、『盗聴 カンバセーション』のマリア像である。『チャイナタウン』における第一のそれは、クロスのあまりにおぞましい「未来だ The Future」という叫びだろう。この狂暴な老人の叫びはギテスの問いに何ら答えているようには思えない。恐らくこれは、映画の設定である1937年という古典的フィルム・ノワール成立直前の時代からハリウッドの地にかけられた呪いの言葉であり、ポランスキーによるその幻視と見なしうる。なぜなら、その後ポランスキーをこの地で待つのは、マンソンファミリーに妊娠中の妻を殺されるという悲劇であり、彼の子供もまたそこで失われてしまう未来だからだ。それは1969年の事件として正に60年代の終わりを象徴するような、60年代的精神が陥る典型的な隘路を示していた。『チャイナタウン』は、彼がその因縁の地に帰還して監督した第一作である。
『チャイナタウン』の時代設定は1937年、これは下敷きにした実話の年とは違っており、実に微妙な年代設定と言える。探偵ギテスはかつてチャイナタウンを担当する警官であったことが劇中で語られるが、歴史的には1933年にはユニオン駅の敷設のためにオールドチャイナタウンでは取り壊しが始まっており、1950年代までにほぼ完全にその姿を消す。ギテスは過去の時代にあって更に過去の時代を回顧していることになり、チャイナタウンは劇中ですでに二重のノスタルジアの対象である。一方、新しいチャイナタウンが開業となるのは1938年、つまりこの1937年とは、ふたつのチャイナタウンが入れ替わる狭間の期間──宙吊りの時間──に他ならない。すると最後の台詞「チャイナタウンだ it’s Chinatown」という言葉の含意も複層化するだろう。これがオールドチャイナタウンを指すのであれば、悪徳の町の常識と諦観を説くことになるが、それがニューチャイナタウンを指すとすればまた意味が変わる。ニューチャイナタウンは観光客向けに設えられ、ハリウッド由来の小道具で「中国性」が意図的に強調されており、セントラルプラザを中心にそれはさながらハリウッドのセットである。このチャイナタウンは悪く言えば自発性を欠いた根無し草のまがい物だが、その一方で人工的(plastic)であるということは可塑的であることをも意味する。そしてその町がハリウッドのセットそのものであるならば、恐らくそこには世界を作り変えるあらゆる可能性が潜在することになるだろう。つまりそれは死者さえも生き返らせられる映画の可能性ということでもある。キャサリンが連れ去られて行ったチャイナタウンは、ふたつのチャイナタウンの間に宙づり状態になった、映画の中だけに存在するヘテロトピアとしてのチャイナタウンである。ポランスキーは恐らくこのチャイナタウンの「迷宮」の中に、そのサスペンスの時間の中に、おぞましい未来において失われてしまう我が子を隠した。そこには映画を撮り続けることによって、つまりカメラと映写機がフィルムを回すことによって、その子を何度でもよみがえらせ取り戻すことができる可能性が託されていたのではないか。凍結させられた写真イメージが、円盤の回転によって、幾度でも光の中へと歩み出すように。
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本稿を書くに当たり久し振りにかつて熟読した田中先生の著作を読みなおした。今やこちらも博士課程と意気揚々と取り掛かったものの結局また圧倒されてしまい、せめてヴァールブルクよろしく思考する空間を作るべく、おっかなびっくり「迷宮のダンス」を踊ってみることにした。修士1年時の記憶に始まり、出口は一応の専門となった(はずの)映画である。また、『過去に触れる』出版時に、同書について各ジャンルの専門家と議論を交したいとおっしゃっていたので、大分どんくさいタイミングになったが自分なりの応答のつもりでもある。ここで触れた一連の映画の先史に位置付けられるアントニオーニの『欲望』(1967)の主人公のように、先生もまた見えないボールを投げ返すのだとどこかで書かれていたはずだ。[8]そのボールを受け取ったとも投げ返したとも到底言えないが、あいつにも少しは見えたのかも?と、チラとでも思っていただけたなら幸甚である。甲斐のない教え子だったと思いますが、ご指導いただけたことに心から感謝しています。ありがとうございました。
註
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[1]
田中純『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮 新装版』青土社、2011年、15-124頁。
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[2]
同書、127-155頁。
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[3]
田中純『政治の美学 権力と表象』東京大学出版会、2008年、98-135頁。
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[4]
田中純『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』岩波書店、2021年。一例として429頁では、「ロックンロールの自殺者」について、すでに死ぬには年老いたものに対してその老いを生き延びることを歌っているとして、ロックに内在する若さのイデオロギーの批判を指摘している。
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[5]
ジークフリート・クラカウアー『探偵小説の哲学』福本義憲訳、法政大学出版局、2005年、1-2頁。
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[6]
P. Kael, “Dirty Harry: Saint Cop,” The New Yorker, Jan. 15, 1972.
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[7]
田中純『過去に触れる 歴史経験・写真・サスペンス』羽鳥書店、367-376頁。
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[8]
本稿執筆後に、当該の記述が教養学部報384号1994年5月11日号に掲載されたコラム「見えないボールのゆくえ」にあることが明らかになった。実際の記事では「ロックとは見えないボールをつかむことだ」という誰かの記述を読んだ記憶を受けて、田中先生ご自身もまたそのボールの行方を追い続けるであろうことの予感が語られている。