田中純先生が、この3月で駒場を離れられる。その報を受けてから随分経つのに、不思議と実感が湧かないままに、いま、この記念論集の序文を書いている。「教養学部報」第651号に掲載された、「駒場(コマバ)への感謝」という文章の冒頭に、田中先生はこのような言葉を綴っている。
研究室のある18号館から生協へ向かう裏道沿いに、樹木が点在し、夏になれば草の生い茂る空き地がある。取り立てて用途のない遊休地だ。ぽっかりと空いたその空間の脇を通り過ぎるとき、なんとなくほっとする。そこに私にとっての「駒場」があるように感じる──自分がここで過ごした年月(としつき)ばかりではなく、一高時代、いや、それ以前からの息吹を肌に感じ、その頃の光景を幻に見ることすらできるように。[1]
実に田中先生らしい、静かな情感に満ちた書き出しに胸打たれつつ、「ぽっかりと空いた」「遊休地」こそ「駒場」である、というこの言葉が、私が駒場という地を大切に思う理由をまさに言い当てている、と感じた。
数多くの若草が、思い思いに根を張り、葉を広げ、新たな世界と出会う場所。様々な過去の蓄積、未来の可能性と接続していく場所。個々がその活動を自由に展開していけるだけの余白が保たれている場所。私にとって、そしておそらくは、同じようにそこで学んだ多くの学生たちにとって、駒場はそのような地であったはずだ。そして、その「遊休地」としての駒場を、常に守り育ててきた方こそ、田中先生だったのではないか。
僭越ながら、少し個人的な思い出を綴らせてもらいたい。私が田中先生に出会ったのは、東大入学直後のことだった。必修ドイツ語の授業の担当で、実は私の属していたクラス(文三15組)の担任でもあった。田中先生の授業は厳しいと愚痴をこぼすクラスメイトも多かったけれど、私自身は毎週のドイツ語の授業が楽しみだった。興味を抱いて著作を紐解いてみると、その博覧強記ぶりと魅惑的な文体に圧倒され、この先生が所属している学科で学んでみたいと思った。田舎ののんびりした学校で部活動ばかりして育った私が、「表象文化論」という学問分野に出会ったのは、まぎれもなく田中先生がきっかけなのである。私はドイツ語に関してはたいして良い生徒ではなかったと思うし、なぜあれほど先生の授業に入れ込んだのか、いまとなってはよくわからないが──授業はいつも淡々と正確に進み、雑談などをされることはほとんどなかったと記憶している──きっと何か直感めいたものが働いたのだろう。その後、表象文化論コースに進んで得たたくさんの学びを養分にして、頼りない若草だった私はなんとか大きくなり、(当時は想像もしていなかったことだが)研究者としての人生を歩み出している。
表象文化論コースに進学した後も、田中先生の授業はできるだけ履修した。ヴァルター・ベンヤミン、ガストン・バシュラール、アビ・ヴァールブルク、カルロ・ギンズブルグ、ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト、マイケル・タウシグ…。先生の授業でそのテクストに触れたことで、私にとって重要な存在となった固有名は多い。なにより私のなかに貴重な経験として刻まれているのは、授業内での発表である。田中先生の前でのプレゼンは非常に大きな緊張感を伴うが、そこには確固とした安心感もあった。学生の着想を頭から否定することなく、常に的確に改善点を指摘した上で、+αの知識を提示して新たな洞察への補助線を引いてくださるからだ。自分なりの自由な発想で対象に向き合い、それを論理的に分析し、考察を深め、その成果を他者に伝えていくこと。そのために必要な知識とテクニック、そして何より勇気を、先生から与えていただいた。
教室を飛びだして動的に展開していく、授業構成の斬新さも大きな魅力だった。授業テーマに則した展覧会やパフォーマンスを企画したり、フィールドワークのために街に繰り出したり…。その姿勢から、書物を通した学びを現実の経験に紐づけること、文字通り歴史に触れることの有意義さ・奥深さを知った。たとえば、グンブレヒトの In 1926 : Living on the Edge of Time に着想を得て行われた2015年の授業では、1950年代の「新宿」という場所の歴史を、実際の身体経験を通して考えることを目的として、新宿のジャズ喫茶・歌声喫茶へ調査に出向いた。その際には田中先生にもご一緒いただいたのだが、多くの学生たちや一般のお客さんとともに、楽しそうに過ごされていた様子を懐かしく思い出す。
研究に悩み、落ちこんだ時に、さりげない優しさを向けてくださったことも印象深い。年末の忙しい時期に、指導学生でもない学部生の卒業論文に目を通し、コメントをすることが、どれほど大変なことだったか。曲がりなりにも教員として働いているいまなら、私にも身に染みてわかる。博士課程からは指導学生として大変お世話になり、博士論文の執筆および書籍化、そして修了後のキャリア構築において、常に背中を押してくださった。感謝の思いは尽きることがない。
本論集の序文を担当するという特権を利用して、私的な思いを長々と書き綴ってしまったが、田中先生に教えを受けた多くの学生ひとりひとりが、きっとそれぞれの大切な思い出を胸に抱えているはずだ。柔軟で豊かな知の空間を作り、活性化させることに注力し続ける教育者であった先生は、それを守るためには強い意志のもとに戦うことも厭わなかった。そのような知の空間こそ駒場であり、私たちはまさに、その恩恵を受けて育ったのである。
本論集のタイトルは “Spielraum” である。直訳するなら「遊戯空間」。ベンヤミンが複製技術時代の芸術の可能性として提示した概念であるが、そこには「遊び場」、「余地」といった意味合いもある。つまりこの論集は、駒場という「遊休地」、すなわちひとつの “Spielraum”で学んだ(いまも学んでいる)学生たちが、まぎれもなくその守護者であった田中先生へ贈る手紙に他ならない。そしてその “Spielraum”を引き継ぎ、さらに発展させていこうとする、私たちの決意表明でもある。
本論集に収められた、石川愛氏、一之瀬ちひろ氏、小城大知氏、小手川将氏、西川ゆきえ氏、相馬尚之氏、高部遼氏、田口仁氏、谷口奈々恵氏、山田惇一氏、そして私・菊間による論考および作品のテーマは、美術、映画、写真、音楽など多岐に及ぶ。そのなかには充実の「田中純論」も含まれているが、それ以外の論考や作品にも、各執筆者が先生から受けた影響の大きさを感じとることができる。それぞれの論考・作品に込められた深い思いを束ね、このような素敵な論集を作り上げてくださった、編集委員の木下紗耶子氏、一之瀬氏、田口氏、そしてデザイナーの小熊千佳子氏には、心からの御礼を申し上げたい。
最後に田中先生。これまでのご指導、本当にありがとうございました。これからのますますのご活躍において、どうかお身体を大切に。今後とも末長く、よろしくお願いいたします。
註
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[1]
田中純「<駒場をあとに>駒場(コマバ)への感謝」、「教養学部報」第651号所収、東京大学教養学部、2024年1月9日。